京都旅行においていかれた話

 聞こえがいいから自己紹介の時に「学生」と名乗っていたものの、実態は単位とか進級とかいう理の外にいた頃の話。おそらく19か20。

 おそらくこの世で一番辺鄙な場所に鎮座していた我が学び舎は、とにかくセキュリティという点で終わっていた。
 僕の友人の何人かは施錠という文化を捨てて久しかった。金も遊ぶ場所もない田舎学生は施錠のしていない空間で、ひたすら大乱闘スマッシュブラザーズに勤しみ、桃太郎電鉄を通して、自己研鑽に励む日常を送り、徐々に現世と乖離していく。所謂ゴミクズと化していくのだ。
 その日もいつものように数人の友人とお酒を飲みながら映画を見たりなんだりしてグダクダ過ごしていた。お酒がそんなに強くはない僕が酒を飲み、紫煙をくぐらせ、ジャンクフードに舌鼓を打ってご満悦な時、体の方はとうに限界をむかえていた。

具体的に体というか肛門にだ。

 人生で初めて痔というものを経験した。
 なんとなく違和感があるというふんわりしたものから痛みに変わるまでそう時間はかからなかった。 はじめは痛みや違和感を感じながらも、楽しい!!が勝って遊んでいたものの、徐々に友人たちのペースについていけなくなり皆でカラオケに行くというイベントを友人宅で寝て過ごす選択をとった時にはもう僕の体は自由に羽ばたける状態では無かったのだ。
 
 その後静養していると友人から楽しそうな写真が送られてきた。夜も深まりそろそろ自宅に帰ろうと行動をした途端。とんでもない痛みに襲われた。
 痔を経験していない人に分かりやすく説明すると、トイレットペーパーが荒目の紙やすりだったのを想像していただきたい。どうだろう?想像してと言ったものの想像を絶する痛みなのではないだろうか。ペイン。

 そんなこんなで自分の体を最大限労いながら徐々に自宅へと向かって病院に行き、数日間悶えながら完治を迎えることになったのだ。
 体が資本とはよく言ったもので、何事も健康が一番である。

 療養中、友人から一枚の写真が送られてきた。立派な仏閣と笑顔の3人。

『京都なう』

 あろうことか、彼ら彼女らは人が悶え苦しんでるのもつゆ知らず、カラオケを終えた先のコンビニでみた京都の旅行雑誌を見て思い立ち、ジャージ姿のまま京都観光をしていたのである。

 健康体そのものの今の自分の精神状態なら、おほほほ。若いですな。で終わるのだが当時の僕は健康を害されて精神的にもお尻中心に物事を考えなくてはならない、ナーバスな状態だったのだ。
 あの時の怒りを僕は今でも覚えている。誰も悪くないのになんだこの胸のザワメキは・・・・っ!!!とか考えていたが、冷静に文章に起こすと明らかに僕が悪い。自堕落は身を滅ぼすね。

 彼ら彼女らにとっては3人の思い出としてふと思い出すことがあるだろう。あの時は楽しかったねと。
 そのイベントに僕の事は当然入っておらず、それに反し、こうやって文章に起こしておきたいほどには僕は鮮明に記憶にあり勝手に4人の思い出としてカウントしているのがまた一層の寂しさを助長させる。


 吹き荒ぶ風が今年の終わりを告げようとしていた。

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