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今日も仮面をかぶって生きている。

ボランティアで関わっている高校生と、
「早く大人になりたいか、それとも子どものままがいいか」
というテーマで話をした。

高校生のこたえは「早く大人になりたい」
大学生の私のこたえは「子どものままがいい」

なぜか、と聞くと、
「発達障害で、人の気持ちとか空気を読めないでいた。いろんな人と衝突してきた。だからもっといろんな人と関わって、うまく人と付き合えるようにしたい。本当の自分を隠せるようになりたい。」
とこたえた。
なぜか、と聞かれて、
「大学生になって、いろんな人と関わるようになった。そうすると否が応でもこういう時にはこう行動方がいいというのがわかってくる。でも最近自分が本当に好きなことに素直になれなくなってきた。小学生くらいの時が一番素直だった。」
とこたえた。

相反する私たちの思い。
自我を出せるようになりたい私は、自我を隠したい彼女に何か説得したくなった。
でも彼女の生まれ持った特性を思うと、同情もした。

そうだ、と思い出して「ペルソナ、って言葉聞いたことある?」と聞いてみた。一緒に調べてみた。
ちょうどこんなnoteが出てきた。

人間誰しも全ての人に本心をさらけ出して生きているわけではなく、何らかのお面をかぶって接することが多いと思います。しかしそれは必ずしも悪いことではなくて、社会の中で生きていくためにはある程度必要なことでしょう。

あぁ、悪いことではないんだったな、と私は思った。

しかしあまりにも周りに合わせすぎていると、本来の自分の姿を見失ってしまうこともあると思います。今一度本来の自分と、表向きの自分の違いを見つめ直してみましょう。

へぇ、極端もよくないんですね、と彼女は言った。

どっちも上手く使いこなすことが大事なんだね。

どうやったらいいだろうね。
場面場面でペルソナ使いつつも、メタ的に自己認識するといい、とは言われつつも、難しいんだよね。

難しい。
どんなふうに生きるべきなんだろう?
何が正解なんだろう?
正解なんてないのはわかっているのに。
体に染みついた規律教育・規律社会による血肉が
一面的でなくて、多面的に、なんて言われると多面的になることが正解と思わせる。
両極端に偏ることなく、中庸であることが正解だと思わせる。
そんな思考ではだめだと思わせ、それらをまた、理性でコントロールしようと試みる。
答えなんてない。絶対なんてない。確信なんてない。普遍的なんてない。
そんな自分自身が不安だ。

そう思いながら、
「どっちも上手く使いこなすことが大事なんだね。」
と、年上の大学生として答えていた。

今日も私は仮面をかぶって生きている。

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