《 親ガチャハズレだと思ってたら特賞だった話 》
あれは、会社が分裂騒動で揉めている夜だった。
ちょうど30歳の誕生日だった。
珍しく大阪にいるはずの父親から連絡が入る。
「いま東京にきているけど、飲まないか」
僕は父親が好きではなかった。
ほぼ無職で、頑張っているのをみたことがないし、家事もしないくせに母親に偉そうだった。
中学校の時、僕は名門私立に入らせてもらったものの、すぐに辞めたくなった。
階級があまりにも違った。場違いだった。
言い過ぎでなく、半分親は医者だった。
他にも社長、大企業役員、科学者、公務員。
うちの親は、、、なにしてるんだろ、、、
そんな親を見て、自分はこんな風になりたくはない。
頑張ろう。と、塾も行かずに頑張った。
ちなみに慶応を受けたいと言った時は、お金ないから無理。と即答された。
お前、、、働けよ。
完全に親ガチャでハズレをひいたと思った。
そんな親が東京に来たところで、 会社が分裂しそうな今の苦しい状況に、なにかプラスになるはずがなかった。
でもどうせ会うなら、昔から気になっていることを聞いてみようと思った。
父親に、「お父さんは、なんで生きてるの?」と聞いてみた。
僕は、人生は、なにか目標に向かって頑張るから意味があると思っていた。
そんな僕からは、父親が生きている意味がわからなかったのだ。
意外なことに、その時の父親の一言が、僕の人生の方向性を、大きく変えることになる。
父親は即答した。
「そらぁ、お前たちが、胸張って生きていることや」
「お父さんは、お前たちと遊ぶ時間が、何よりも大切やった。だから、仕事とかしてる場合じゃなかってん。」
「毎日、大きくなるお前たちを見て、ほんまに幸せやった。」
そういえば、僕は毎日、朝起きるのが楽しみだった。
父親とキャッチボールをして、相撲して、 ゲームをしてからプロレスをして、 ブルース・リーの映画を一緒に見た。
次の日もそれを楽しみに、川の字で寝た。
僕には特別な経験というのがない。
英語教室や自然体験もしてなければ、科学について学んだこともなかった。
外国にも行ったことはなかったし、恩師と呼べる先生にも出会ったことはない。
でも、気づいた。 僕には、全力で遊んでくれる、 子どものような大人がいた。
“生きるって、たのしい”
そのことを、人生で一番大切なことを教えてくれた。
これこそが、僕のベースだったんだ。
だから僕は頑張れる。
辛いことばっかりだけど、
だから前にすすんでこれたんだ。
こんな父親は、きっと他にはどこにもいない。
そんな父親が、2年前の誕生日に、こんなメッセージを送ってきた。
"大学に入学した年、保険の先生が言いました。凡人にできる唯一の創造的行為は、子どもを造ることだと。
お父さんはそのとき思いました。自分は凡人であると。凡人としてお父さんは、充分に幸せに生きてこれたと思います。
自由に生きてください。後悔のないように。
でも、途中で違うかなと思ったら、いつでも方向転換してかまいません。 どのような生き方をしても、いつも応援しています。
弱音を吐くときは、 吐いてもかまいません。
自分の気持ちに正直に生きてください。
困ったことがあったら、頼りにしてください。
たいした力にはなれないかもしれないけど、何かできるかもしれないと 思うので、何でも言ってください”
僕の父親は、無職でケチで、冷房の効かないワゴンR乗ってるくせに、トルコで90 万の絨毯を売りつけられ、息子の学費も出さない。 母親に偉そうにするし、自分で散らかした新聞紙を「片付けろ!」ってキレるし、店員さんに偉そうやし、おそらく社会不適合者である。
だけど、僕にとっては、最高の父親だ。
何も教えてやれなくても、満足に教育費を出せなくても、それでも、一緒に遊ぶことはできる。 子どもに、「この世界って楽しいんだ」と感じさせることはできる。
僕は、そんな最高の親の元に生まれたことを、
人生をかけて思いっきり表現したい。
残りあと50時間。
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《 父と子が、”いっしょにハマれる” カードゲーム、できました。》
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