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定型発達という言葉の衝撃

定型発達という言葉があるのを知っていますか?


私は、定型、なんて言葉
郵便出す時くらいしか使わないですけど


実は、

神経発達症(発達障害)ではない人を指す言葉です。


先日、娘の記事を書いていて色々思い出し、また、記憶を書いています。


その時の衝撃と感情が蘇り書いていますので、
不快な表現の箇所もあると思います。

不快に感じられた方には申し訳ありません。

また、10年前に見聞きした情報をそのまま書いているので、
今の情報と違う部分もあると思います。



私がこの言葉を初めて聞いたのは、10年ほど前、
障がい者雇用支援の仕事に就いた時でした。


初めて聞いた時、
私は意味がわかりませんでした。


定型と発達


この言葉の組み合わせ


人が発達していくのに
決まった型があるの!?


衝撃でした


それまで、
自分の子育てや食育相談の仕事から育児にまつわる本を色々読みました。

雇用支援より10年前から自閉症スペクトラムやADHDのお子さんの食育相談も受けていました。

でも、一度も「定型発達」という言葉に出会ったことはありませんでした。

きっと、障害の専門書ではなかったからだと思いますし、
相談者の方も「定型発達」という言葉を口にされる人はいませんでした。


私が目にしてた本には
障害児育児についても記述はありましたが、
月齢や年齢の目安になる記述はあれど、
必ず、発達、発育には個人差があって、一様ではない
と書かれ、定型などありませんでした。


しかも、実生活で


我が子二人を産む前に、
私の姪姉妹が先に産まれて、
3歳違いの姉と妹では、
歩き始め、発語など、
妹の方が姉と比べると一年ちょっとくらい遅かったです。

その子たちの成長を見ながら、
それぞれの発達する速度があるので、
妹はのんびりさんだね、という感覚でした。


もちろん
我が家の二人も
それぞれの成長、発達をしています。
こだわりも好みもそれぞれ違います。

二人とも
生活習慣を作ることが苦手で、
独自の世界観を持っていましたが、
姪姉妹を見ていたので、
発達に違いがあることに何の違和感もありません。


私の子ども時代を思い出しても、
同級生とか本当にそれぞれ違ってました。

昔は情緒対応の通級クラスなんてなかったので、
みんなで一緒に学んでましたから、
個性際立つ子もいました。
その弊害でいじめもありました。

ただ、その環境で育ち、子ども心にわかったことは、
「人は色々いて、私自身は誰かとは違うし、同じことはできない」
ということ。




人はそれぞれ違うのだから、
発達過程もそれぞれ違うのは当然だと思っていました。


みんなそれぞれ違うんです!


だから


定型発達


この言葉と漢字の威力は
凄まじく衝撃でした。


そして、
恐怖を覚えました。


定型発達があるということは

非定型発達がある


非定型発達!


もう、
頭がグラグラするほど衝撃でした。

怒りと恐怖の感情です。


これって、言われたらショックだ!

破壊力が半端ないよ。


何を隠そう、この私自身
なわとび、鉄棒、腕たせ伏せなど、産まれてこの方出来たことありません。

球技も水泳も陸上もどれも出来たことないです。

自転車も幼稚園から練習して小3でやっと乗れるようになりました。
すぐに事故って骨折しました(T ^ T)

本当になめらかに動くことは難しい💦
CMで
「なんてなめらか〜〜」って
多部未華子ちゃんの歌に反応するほど、なめらかに憧れる、
超超の不器用なんです。


クラスのみんなが出来ることが
いつまでも出来ずにいる
それだけでも負い目なのに…

みんなが出来ることができないから
非定型発達のりつさん

診断されてなくても
出来ないことに対して
そんな風に区別差別されていたら。。。
そう思うと
悲しさとどうすることもできない虚しさしかないです。

子ども時代にこんな言葉言われたら
自分全否定になって大人になっても立ち直れないです。

ことあるごとに
自分は非定型と思ってしまう。


あ〜本当に!

この業界は、何て言葉を使うんだぁー!


言葉は破壊力があるんです


この言葉を知ったのが、
自分の気持ちをある程度制御できる
大人になってからで良かった



今は
非定型発達は
神経学的多様などと言われているんです。


そのとおり


神経発達症(発達障害)は、
すごーくグラデーションがあるんです。


この障害自体の診断基準はありますが、そこからの派生も多様です。
しかも診断がない人たちでも、グラデーションの薄い方に属してます。

支援でお伺いする精神科医から、
薄いと個性だけど、濃いと特性になって困ることも出てくる
でも、薄くても場合によっては困ることもある。
と聞かされ、幅がかなり広いことを知りました。


だから非定型なの!?

いや、定型ありきの非定型?


診断基準があるので、
検査や本人の様子、成育歴を見て障がいを確定していかれるのですが、

正直、この障害が診断されていない人々も全員多様です。
一人ひとりの個性なんです。型なんてありません。


そもそも人間自体がグラデーションなんです。

だったら、定型なんてないじゃん!


それで
私が出した結論は、

定型とか非定型とか
分けることが便利な職の人は分ければいい

私には必要ない

大事なのはその人自身だから

ラベルはいらん!

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結局、雇用支援の仕事でこの言葉使うことはなかったです。


支援の現場や日常生活では全く不必要なラベルです。

診断に対しては、必要な支援があるので、
しっかりと念頭に置いて支援していますが、
一番大切なのは支援を受けたい人自身がどう思いどう考えるかです。


定型、非定型の型なんて関係なく
社会で生きていかなきゃならなくなる。


生きる社会は無人島じゃない限り誰かがいます。


親、そして家族以外の他人、
人と関わって生きていくのが社会です。


型なんて関係なく、
誰かとの関わりを持つことが生きる上で必要となるんです。


だったら、
その人自身が持っている強みをしっかり引き出し、
弱みは何かで補って生かせるようにする、
苦手で苦痛なら無理しなくてもよい


これって、誰にでも当てはまることなんです。


もしかして型で人を見ていますか?

もしそうなら

それって本当に必要?

一度は自分に問いかけて欲しい。


言葉や型に惑わされず
その人に何が必要なのか見つけること何より大切だから。




〇私の記事に時間をとってくださり、ありがとうございます!
 とってもうれしいです。大感謝!










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