愛なんか語っちゃって〜
暖かい春の日が続いていますね。
もう一年の4分の1がおわりました。
ピザを4分の1食べるってなるとだいぶたべてますよね。
この一年のことも、だいぶ食べてます。
さて、今日ともだちと、死生観や家庭の教育方針、座右の銘などについて話しました。
そのなかでわたしの人生哲学「人は愛と孤独でできている」ということを少しお話をしたんですね。
孤独についてはここでも語ってます。
そういえば愛については語っていないなと思ったので今日、綴らせてください。
わたしはいろんな人と話すにあたり、愛情深い人間の一面が、かならず、どんな人にもあるなと感じました。
小さい子供を思い浮かべると分かりやすいかと思います。
ビー玉を空にかざして綺麗と思ったり
草っ原に寝転がってきもちいいと思ったり
好きな子にたんぽぽを手折って渡したり
それって、地球や人、世界に対する愛だと思うんです。
わたしたちは子供出身で、そんな純粋でキラキラした想いや願いを持っている。
いろんなことがあったり、傷つけられたりしてその愛を表面的には見せないようにしている人もいる。
でも、見せないようにしているだけで、そのうちには必ず愛を秘めている。
先日、インターンの卒業式がありました。わたしはそこで、たくさんのメッセージやプレゼントをもらいました。
たくさんの人がわたしのしてきたことを見て言語化して届けてくれました。
それは、如実に愛を具現化したものだと思うんです。
誰かのことを想う。
空を綺麗だと思う。
大切な人を守りたいと思う。
映画を観て涙する。
これは愛がないと、きれいな気持ちがないと、できないことだと思うんです。
今年始めた、100人の人と話すチャレンジ。様々な色の夢を見て、聞いてきました。
盛大なお祭りを創りたい人。
その背景には、たくさんの人が集まって笑顔を溢れる空間をつくり老若男女いろんな人に幸せを届けたいという想いがありました。
人々を癒す音楽を創りたい人。
その背景には、自分が悩み苦しんだ時に聴いた音楽をきっかけに自分もだれかの支えや生きる希望になりたいという想いがありました。
コーチングで世界をワクワクで溢れさせたい人。
その背景には、自分が一番辛かった時に救われたコーチングという手段を用いて、あの時の自分のように苦しんでいる人を少しでも減らしたいという想いがありました。
ひとりひとりの「やりたい!」の裏側には大きな愛が溢れていたのです。
「やりたい!」が具体的な形になっていなくてもおんなじことです。
友達に対する接し方、言葉の選び方、想いの伝え方、どれひとつとっても私たちからは愛が溢れてるんだと思います。
悲しいものを見て憐れむ気持ち、どうにかしてあげたいと思う気持ち、そこにも愛を感じます。
その気持ちは人類共通だと思うんです。
そのベクトルがどこに向かってるかは違うけれど、みんなが愛をもっている。これは事実。
だから私は、人は愛と孤独でできていると思うのです。
それでは!
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