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生はいとしき蜃気楼

暖かくなり、桜が咲いてきましたね。
今年はじめての桜は目黒川沿いでみました。

桜が咲いたら紹介しようと思っていた、わたしのとっても好きな詩を紹介します。

ことしも生きて
さくらを見ています

ひとは生涯に
何回ぐらいさくらをみるのかしら

ものごころつくのが十歳ぐらいなら
どんなに多くても七十回ぐらい
三十回 四十回のひともざら

なんという少なさだろう
もっともっと多く見るような気がするのは
祖先の視覚も
まぎれこみ重なりあい霞だつせいでしょう

あでやかとも妖しとも不気味とも
捉えかねる花のいろ

さくらふぶきの下を ふららと歩けば
一瞬
名僧のごとくにわかるのです

死こそ常態
生はいとしき蜃気楼と

「さくら」 茨木のり子


生はいとしき蜃気楼。
切ない響きを残しながらも、人生を暖かく肯定してくれているこの言葉をきき、安堵して涙しました。

わたしたちが生きていたという実感がもてるのは消えるときなのかもしれませんね。


わたしは生涯に、

あと何回ぐらい、さくらを見れるのだろうか。

あと何回ぐらい、あなたと他愛もない会話ができるのだろうか。


あと何回ぐらい、太陽を眩しく感じるのだろうか。

あと何回ぐらい、noteを書くことができるのだろうか。


わたしたちがいまこうして生きているのは蜃気楼のようにそれ自体がとても儚いもの。
そう思うと、自分がいま生きているこの刹那がとてもいとおしく感じられてきます。



散歩中に木の葉がひらりと舞うのを見るとき

ひだまりの中であなたと話しているとき

おばあちゃんと2人で食事をとっているとき

海辺にて落ちる夕日をみるとき



儚い日常のひとコマが美しく、大切に思えるようになったのはこの詩のおかげです。

あなたの忘れたくない日常のひとコマはどんなものですか?

忘れたくないひとコマだけでなく、今日過ごしたあなたの何気ない時間ももう二度と帰ってくることはありません。

素敵なひとコマで溢れていますように。

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