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学生スポーツのあり方を考えてみる

数年後には部活動がなくなり
地域の活動に移行する流れが今後加速していくことになります。
各地域において、人材確保や環境の準備などに追われているところも多いとお話を伺いました。
これはあくまでも教師の負担を減らすためのものであり
子ども(学生)が提案したものではありません。
まずは、やりたいと思う学生が思い切ってスポーツをやれる環境を作ることは第一として考えてほしいところです。
話は変わって、実際に現場では学生の思いと大人の思いの乖離が生じていることがあります。
その点を学生に関わる者として考えてみようと思います。

学生の想いってなんだろう?

部活動を選ぶのか、クラブチームに行って競技を行うのか。
選ぶことの出来るスポーツもあれば、出来ないスポーツにあります。
クラブチームに行く学生は何かしらの想いを持って足を伸ばしてスポーツをやりに行ってるのでやはり競技力は高い学生が多いと考えます。
一方で、部活動はそうではありません。
ここが非常に大きな問題ではないかと考えます。

部活動に参加する学生や、クラブチームでもそこまで競技力の高くないチームにおいては
もちろん「勝ちたい」という想いはあるものの
そこが第一ではないことが非常に多いようです。
例えば
「友達と楽しく競技をしたい」
「競技が上手くなりたい」
と言った意見が半数以上を占めるとのことでした。
「上手くなりたい」はイコール「勝ちたい」とは異なります。
勝ちたいよりもどうせやるならうまく出来るようになりたい。
そういったところではないかと考えています。

しかし、大人はそうではありません。
「勝ちたい」という想いが非常に強い。
さらに問題なのは、自分がやってきた経験でしか物事を考えられません。
勝つためには練習が必要で
厳しい環境が必要で
怒ったり厳しい関わり方もする。
指導者とはそういうもので、それが当たり前だから。
親もそれが普通だと厳しさを指導者に求めることも多い。
練習を乗り越えることは非常に重要なことですが
それを求めているレベルの学生でないのに。
そんなすれ違いが生じています。

役割の明確化

大人になって仕事をする時
当たり前のように役割を分担します。
場をまとめる人がいて
営業する人がいて
会計をまとめる人がいて
企画する人がいて  などなど
分担は当たり前ですが、スポーツは全てが同じように考えられている印象があります。

スポーツをするからには勝った方が楽しいのは間違いありませんが
それがエゴになってはいけません。
自分が勝ちたいと思うことが
=学生が全員そういう思いを持っているかがわからないのです。
本当に勝ちたいと思う人は、そういうチームに行きます。
でも、楽しみたい人はそういう雰囲気のチームの選びます。
もちろん、様々な条件により選べないこともあることは存在します。
何事にもしっかり状況を考えて、提案するだけの引き出しや思考を持っておくのは重要なのだろう。

今後のスポーツの発展に向けて

近年では、怒らない指導現場を作るべく数々の有名アスリートが動き出しています。
それをやることも大事だが、それが意味するものも大切です。
トップアスリートがそう動く意味として
「怒ることが不必要」であることを示唆しています。
言い換えると、そんな指導をすることで得られるメリットが非常に低いことを理解しないといけません。


学生はいつからか
指導者に怒られないために
親に何も言われないために
スポーツをしていることが非常に多い。
これは中学生に聞いての意見です。
「あのコーチめんどくさいから怒られないようにしよう」
という状況です。
これ、非常に多いし、意味がありません。
もちろん、関係性の作り方も非常に重要です。
全員を常に褒めて機嫌を取りましょう。
ということでもありません。
ただ、むやみに声を荒げることのメリットはどこにもないということを理解しないといけません。
「選手がいうことを聞かない」のは
声の問題ではなく、その人との関係性の問題もあれば
伝え方の問題もあります。
不必要な思考が入ることで、明らかにパフォーマンスを落とす要因になるのです。

そんな指導者がいないときのリラックスした練習は非常に良い動きをしています。
それが事実です。
身体的にも精神的にもパフォーマンスを出しやすい状態を指導者が作ることが何よりも重要なのです。
部活動の移行が始まり、外部の大人が関わりだすタイミングだからこそ
学生スポーツに本当に大切なことを考え直さないといけません。

学生がやりたいと思えるにはどうしたら良いのか?
正解はないからこそ、大人が今までのやり方に捉われずに考える必要があるのではないでしょうか?
楽しい時間を共有してあげること。
やりたい人は上のチームにいく。
選べる自由度を作ってあげることも時には重要です。
スポーツの良さをもう一度取り戻すため
指導者・トレーナーが改めて必要なる時代がまた来るのではないかと考えています。

お読みいただきありがとうございました。

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