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どん就(どんな就活をしたか)

シャカチカ(社会人になって力を入れてきたこと)を会社の昇格試験で聞かれる気がするので、練習として書いているやつ③

ぼくはもともと教員になりたいと考えていました。教職を取っていて、教員以外の道はまったく考えていませんでした。

教科は何でも良かったのですが、教員の仕事以外でも役立ちそうという理由で英語にしました。

でも教員にはならなかった。なぜか?

小学校の学級運営補助や林間学校のスタッフなどなど、教育系の活動で感じたことと、英語の授業で出会った先輩の一言が転機でした。

教育系の活動で徐々に気づき始めていたことがあります。それは、「嫌いなタイプの子どもがいる」ということでした。

これは、ぼくにとっては深刻な問題でした。
そもそもぼくが教員を目指した理由は「見落とされている子どもの力になりたい」ということでした。子どもの世界でうまくいっていない子は、先生からも見落とされていることが多い。
そういうことに気づける大人の「ほんの一押し」が、その子の人生を大きく変えることがあります。

自分自身が、やたらうるさくて浮いている子どもでした。でも小学校ではミニバスのコーチ(小チカ)の、中学校では部活の顧問の先生(いつか書きます)の、「ほんの一押し」で救われました。

そんな「ほんの一押し」ができる先生になりたかったわけですが、当時のぼくは、「まずその先生自体が生徒の好き嫌いをしてはいけない」と思っていました。このことに矛盾したわけです。「オレみたいなヤツが先生になっちゃいけない」と、思いました。

(もちろん今では、そんな聖人はいないし、そんな聖人でなくても「ほんの一押し」ができることを知っています。当時はこじらせていました。)

就活で周囲が動き始めた頃、そんな話を英語の授業の先輩にしました。そしたら一言。

「ていうかさ、他人のために奉仕することだけが仕事じゃないよ?自分が生きたいように生きれば?」

当時のぼくには、天地がひっくり返るような思いがしました。自分が生きたいように生きる?社会人って、世のため人のために働くんじゃないの?

それで考えたわけです。先生はハードな割に給料が高くない、部活の顧問もあるからバンドも続けられない…チョークの粉が服につくのは嫌いだし、そもそもあの職員室という場所も暗くて嫌だよな(偏見)…などなど。もう少しバンド続けたいな。

当時やっていたバンド(学チカ)の相方には、
「教員になったら続けられないから」
と話していたのですが、その夜帰ってから、
「教員やめた。続けるわ」
と伝えました。幸い喜んでくれた。

そういうわけで、就活の動き出しは遅かった。
ただ最初から教育業界に絞っていたのと(やはり教育には関心がありました)、「本当にやりたいことなんかわからん、わからなくなったしそれでいい」という割り切りがあったので、ドライで効率的な就活をしました。

面接官はバンド活動のことにはほぼ関心を持ってくれませんでしたが、「遊びと教育の関係」を研究したゼミの話はよく聞いてくれました(これもいつか書きます)。

母校で大学事務のお手伝いのアルバイトをしていたのがきっかけで、いくつか受けていた大学の一校に縁あって入社しました。母校は筆記試験がダメで落ちました。「ステークホルダー」の意味がわからなかったのです。そりゃダメだよね。

経緯は良い加減ですが、面接のために仕事研究はしたので、一応やりたいことはありました。
社会連携系の仕事です。

ところが最初の仕事は経理でした。
ぜんぜん仕事のイメージがなかったので苦労しましたが(そして成果も効率もイマイチだった)、ここでも先輩に恵まれて、何とか乗り切りました。学んだことはたくさんあります。それはまた「シャカチカ」で…。

ちなみに免許は取得しましたが、就活では「ホントに教員の道は諦めたの?」と何度も確認されて、納得してもらうのに苦労しました。
これから就活をする人は、教職か就活か、早いうちに決めておいたほうが良いですよ。

ただ、教職課程の中で学んだ発達心理学ではいまでも活かせる学びがありましたし、介護体験実習教育実習は、一生ものの経験でした。
そこで出会った人たち、交わした会話、悩んだことは、財産です。

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