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ガクチカ(大学時代に力を入れたこと)
会社の昇格試験でシャカチカ(社会人として力を入れてきたこと)を聞かれる気がするので練習として書いているやつ②
中高と部活漬けだったので、大学に入ったら絶対に文化的活動をするのだ、と心に決めていました。
音楽が好きだったので、やっぱりバンドかなぁなどと考えていたところ、小学校からの幼なじみがやっているバンドのブログに、こんなことが書いてありました。
「バンドやめます。組みたい人がいるため」
僕のことでした。
好きな曲をあつめたMDを貸し合ったりしてきた仲で、バンド組みたいね、オレ部活引退したらね、なんて話をよくしていましたが、こんなにドラマティックな展開になるなんて。
そんなわけで始まったバンド活動でしたが、1年ほどはライブもやらずにダラダラしていました。こんなのもやりたい、あんなのもいいねとか話すんですが、話すと満足してしまって動き出せない…僕ら以外に誘ったメンバーも、活動がないのでフェイドアウトしてしまいました。
それでもう、一緒に住むことにしました。
メンバーも、2人でやることに。
僕がボーカルで、彼がギター。その時々でベースも入ってもらいましたが、終始ドラムレスでした。
一緒に住むとやっぱり活動は加速します。
大学行ってバイトして、寝る時間以外は曲作りと練習。食事中もバンドの話です。
僕は楽器が弾けなかった(ギターはちょろっとやりました)ので、彼がつくったギターのコードに合わせて、僕が鼻歌でメロディをつけました。歌詞は適当な英語。
バンド活動というのは、まずはライブハウスの出演を決めるところから始まります。
デモテープを送って、OKなら日取りが決まるので、あとはすべての準備を間に合わせるだけ。
最初の拠点になったのは、吉祥寺の曼荼羅というカレーが美味いライブハウス。
大変お世話になったのですが、ひとつ問題がありました。共演者が僕ら以外、詩の朗読だったりしたのです。普通のバンドも出ているライブハウスなのに、なぜか僕らはそういうジャンルにカテゴライズされていたみたいです。
それだと客層がちょっと違うよね、ということで、下北沢のMOSAiCに拠点を移しました。
ここにも大変お世話になった。
ライブハウスってふつう内装が真っ黒ですよね?ここは真っ白なんです。それで禁煙なんですが、健康優良不良少年な僕らには、そこも良かった。
路上ライブからお客さんを引っ張りやすいのも良かった。吉祥寺で路上ライブをやると、どうも湿っぽくなるんですよね…それで実際にライブ来てみたら詩の朗読との共演なわけですから、これは僕たちがやりたい世界観ではなかった。
僕らはとにかく下手でした。バンド界隈で仲良くしていた人たちからは「お前らよくそのレベルでステージ立ってるな」と言われるほどでした。実際かなり下手でした。いつも曲作りに夢中で、2人であーだこーだと喋っているので、個人練習の時間が殆どないのです。
せめてステージングだけでも良くしよう、ということで、深夜の小学校の校庭で、朝礼台をステージにして練習したりしました。先輩がお客さん役になってくれて、根気強く指導してくれた。
ほかにも力を入れたのが、ライブハウスの近所のイタリア料理店からピザを届けてもらいお客さんに出す、登場シーンに凝る、など地道な個人練習以外の部分でした。
そんなわけで、僕らは誰よりも下手でしたが、
お客さんは多かった。「聴いてくれる人がいなければ意味がない」がモットーで、楽しめるライブを心がけていたので、その点は良かったわけです。
お客さんが増えるにつれ、僕はだんだん「エモいのがやりたい」と思うようになってきました。歌詞もちゃんと日本語にして、お客さんの心を動かすような…。
でも僕らはもともと、「ドライで無意味でカッコいいやつをやる」というバンドだったので(ライブはエンタメ性を持たせましたが、曲はあくまでドライなやつをやっていました)、さんざんケンカして「じゃあもう解散しよう」ということになってしまいました。
ところがそんな会話をしたその夜に、当初からデモテープを送ってはボツになっていたライブハウスの mona records から「ウチでやりませんか?」というメールがきていた。
バンドの曲を上げていたSNSを見て、連絡してくれたのです。
「こんなのやるしかないよね」
ということで、ケンカしながらもその後1年半ぐらい続けました。
ベースやバイオリンやキーボードのメンバーに入ってもらったり、鉄琴やタンバリンを取り入れてみたり、ちょっとだけエモくしてみたり、とにかく色々試しました。
でもやっぱり、底の底では合わなかった。
音楽って、うわべだけでつくるものではないと僕は思っています。2人が納得できるような妥協点はどんどんなくなっていったし、妥協したものを人前に出すのは我慢ならなかった。
それで、やめました。
でも…
ステージに立つ直前に、必ずやっていたことがあります。
舞台袖で、よっしゃ行こうぜ、ということでグータッチするのです。
暗い舞台袖から眩い照明の向こうに飛び出したら、あとはもうやるだけ。NO EXCUSES.
毎回、足がすくむような思いをしたものです。
毎月毎月、そんなことをやっていました。
彼のことは、そんな戦いを一緒にしてきた本当の仲間だと、今でも思っています。
…部屋汚いな笑
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