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Reflection Journal 2019年8月15日 朝

日曜日から那須塩原に移動して、3泊3日の夏休みを満喫してきた。リフレクション・ジャーナルも折角の機会なので、お休みにすることにした。リフレクション・ジャーナルからも一旦離れることで、また別の角度から気づきがあったので整理したい。


1.気ままに生きること
まだまだ妄想の中にいることを、体験した3日間でもあった。ふとしたメールから思考が捉われ、妄想し、夜も眠れなかったが、それが単なる自分の妄想であったと気がついた。

結局は、優しさと感謝の中で生きることが、一番だと思い返し、でも妄想に反応してしまう自分がいる。

ここは宣言が必要なのだろう。なぜか気ままに生きるという題名をつけたが、「感謝」「優しさ」「ご機嫌」に生きる自分にシフトします。

松任谷由実の「やさしさに包まれて」がふと頭をよぎったので、ここに生きる宣言がてら。

「小さい頃には神様がいて
不思議に夢をかなえてくれた
やさしい気持ちで目覚めた朝は
おとなになっても 奇蹟はおこるよ

カーテンを開いて 静かな木洩れ日の
やさしさに包まれたなら きっと
目にうつる全てのことは メッセージ」

松任谷由実(荒井由実)は、何歳のときにこの歌詞を書いたのだろう。やはり、この世界観を理解して書いたのだろう。そうだとしたら、本当に驚きである。

色々な解釈ができる。特に、発達段階によって、様々な捉え方ができる歌詞である。どのような発達段階でも、意味が分かる・解釈できる詩は素晴らしいと思う。

僕の現段階の解釈を言葉にする。

純粋な状態からだと、その意図をくみ取って、それは現実になる。この現実は、一人ひとりの意図を現実化する不思議な空間である。そういった意味で、この現実は仮想空間かもしれないが、身体の感覚がある以上現実空間でもあるだろう。

内面と外面が融合しているものの、それが全ての人のなかで起きるから摩訶不思議である。
内面がコントールできると外面(現実世界)もコントロールできるはず。だが、コントールするとなると、それはエゴ的な現実になりがちである。

よって、感謝・やさしさの状態で行き、そのまま現実をご機嫌に受け取るこれができればそれだけで体験は完成する。体験は、良い体験も悪い体験もあるかもしれないが、そのサインをそのまま受け取ることで、人生は豊かになる。

何度も挫けそうなので、何度も忘れそうなので、今日ここに宣言しておく。


2.夢日記
ノートに書かなかったので、大分忘れてしまった。

1つ目の夢
珍しくワンダーランドのような夢であった。海の近くのお店みたいな一軒家で博士をしていた。まるで映画に出てくるような世界で、不思議な国のアリスの海バージョンみたいな風景であった。
好きな人がいたが、その人は漁師と結婚した。彼氏は、イルカの中に入って漁をするのであるが、そのイルカを好きな人が操縦する感じで、二人は海の中に消えていった。その動きのしなやかさ、周囲にバルーンなどが飛んだ風景が印象てきだった。

2つ目の夢
コンサルティング先のお客様から作成した資料について、1つ1つ指導を受ける場面だった。3年ぐらい前にコンサルティングした方なので、なぜこの時点で夢に参加したのか、不思議な感じである。

【夢をひも解く】
言葉にするのは難しいが、2つの夢とも言葉にすると少々ネガティブな表現になるが、実は感情的にはポジティブな夢であった。自分の中で何かが切り替わったのか。
1つ目の夢は、少々寂しさを感じながらも、夢の中の世界の風景に圧倒されて楽しみながら波に乗っている感じ。2つ目の夢は、嫌な感じはなく、その通りだと流れに身を任せていた感じである。


3.食べて飲んだ
ビュッフェが3日間続いたので、ついつい食べてしまった。
那須塩原の3日間は、
1日目は、NOZARUという空中アスレチックで遊んだ。新鮮な気づきは、高いところはそれほど怖くなくなったこと。アスレチックの慣れかもしれないが、落ちる怖さ≒肉体を守ることの執着がなくなった感じがあった。力を緩めて、空中を楽しむことができた。
というものの、筋肉痛にはなった。
2日目は、那須ハイランドパークでジェットコースターなどに乗った。太陽の厳しく、夏を感じた。娘と二人で並びながら、十分に家族感を堪能した(家族感という変な表現にわざとしている)。娘は、お店の店員さんごっこにはまっており、ずっと説明を受けるという苦行も体験できた。
3日目は、同じく那須ハイランドパークに行ったが、一転バケツをひっくり返したような雨が降り、久しぶりに雨にあたった感じがある。都会だと、雨に降られる時間も少ないと感じた。

身体を動かすことも大切だと思った。何か運動を始めよう。身体がくたくたになる感覚は良い。

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