ここ最近の一部の気持ちの言語化

人と関わることが、最近本当にぎこちなくなっている。
甘えたい気持ちが前面に出てる気がして、それをなんとか無理やり抑え込んでいる。
そうすると一言一言が、今の返しで冷たくなかったか、相手のほしい言葉をかけてあげられているか、こんなこと言って相手の負担にならないか、失礼にならないか、めちゃくちゃ気になる。
いやなんかもう、いい子ぶらずに端的に言うと、嫌われないか不安になっている。
だからもう、しばらくは自分から誰かを遊びに誘うことはしないようにしようと思う。
そうすれば、「この人私が誘ったから仕方なく来てくれてるのかな」という最大の不安がなくなる。
逆に、乗り気じゃない誘いは断るようにする。
仕方なく行くのは、あくまで私の価値基準だけど、失礼にあたる気がするし、
何より、自分が誘った時に「この人仕方なく来てくれてるのかな……いや来てくれてるってことは私のこと嫌いではないんだろうな」と無根拠に納得するには、まず自分の行動をしっかりやることが大事。

最近ツイッターで、「ADHDのパワー系ソリューション」が流行り、1日遅れて「ASDのパワー系ソリューション」が流行った。
私のおすすめ欄には3日くらい経ってもなお流れてくる。
ADHDの方は、物をなくさないためのライフハック、不注意で仕事をミスらないための心がけが主だけど
ASDの方は対人の心得ばかりだなという印象がある。

ちゃんと診断された訳じゃないから名乗るべきではないのだけど、4年ほど前に心療内科で鬱の検査のついでに発達障害の検査もやった時、結構ポイントが高かった。
所謂グレーゾーンというやつ。
物をなくすことや締め切りを守れないことはあまりないけど、対人の項目が基準を満たしまくっていた記憶がある。

ASDのソリューションは、私が30年かけて学習して拾い上げてきた心がけと大体一致していて、やっぱり私はASDなのだろうなという気がする。
ADHDとASDは症状が被るところがあるし、診断を分けるのは難しいらしい。
私はとにかく集団が苦手で、空気が読めなくて、言葉の通り受け取るから皮肉にも気づかなかった。
最近は積み上げた経験のおかげで多少常人ぶることができる。多少は。

たとえば、「楽しそうだね」と言われた時に、それが皮肉なのかそうでないのか、本当に分からない。
嫌われても別にいいやという関係性の人にそれを言われたら「あ、はい楽しいです」で済ます。
仲のいい友達に言われたら「やってみる?」と言う。
嫌われたらまずい人に言われたら「すみません、以後気をつけます」と言う。
表情や文脈で読み解けないから、そういうパターンで動いている。
でもこのアプローチ方法でコミュニケーションを構築していくと、反応が一拍遅れるし、3人以上のグループ会話では破綻してしまう。
それでいまだに集団が苦手なのである。

転職して2ヶ月経つ。
会社は人間関係が希薄ではあるけど、ホワイトだし、欲を出さなければ生活できるくらいの給料ではある。
ただ、私の頭が悪いばっかりに、自分の一挙手一投足が正解かどうか気になって仕方がない。
それで勝手に疲れている。
他人はそんなに自分のことを気にしてはいない、というのは頭では分かっている。
それでもうっかり地雷を踏まないようにするためには、日頃から注意深く過ごすに越したことはないとも思う。

と、そういう意識を平日1日9時間ちょっと、週に5日もやっているせいか、プライベートでも気になるようになってきた。
特にこの2ヶ月、人と会う予定のほとんどが消えてしまい、ドタキャンめいたことも3度目くらいから、本当は会いたくないのかなと思い始めた。
そうなると、たとえ相手が体調不良だと言っていても、前回の私の言動の何が悪かったのかと取り留めもなく考えてしまう。
いや、私も一回体調不良でドタキャンしているので、お互い様だし、信じればいいのに、もうそれができない。
そして次に誰かに会う時にぎこちなくなる。

ASDソリューションでは、「減点になるからとにかく自分の話はするな」「思ったことを口にするな」「リアクションは2倍にしろ」「雑談の意味を考えるな」「流行は追っておけ」みたいなことが書かれていた。
みんな同じような症状で、同じような対処法を身につけているんだと思う。
そして大体みんな「孤立は避けられない」と言う。

2019年、一生独身でいることを決意したけど、寂しさを諌めることは到底できないと思い、いくつかコミュニティに属そうと思った。
しかし、そのあとすぐにコロナ禍になり、新しいコミュニティは見つけられず。
そしてコロナ禍が落ち着き、そういえば趣味らしい趣味が野球観戦くらいしかなく、コミュニティが見つからないのはコロナのせいではなく自分のコミュ障のせいであるという現実を見ることになった。

超絶恵まれていることに、学生時代までに知り合った友達は、深い仲の人がいる。
これまでの信頼関係があるし、学生の頃は性格がまだこんなに捻くれてなかった。
あと、一対一なら会話ができる、というのもある。
ただ、新しい友達が全くできない。
社会人になって、初手の距離感がやたらと近い人には警戒心を持つようになってしまった。
もちろん、天真爛漫で人懐こい人はいるだろうけど、そんな明るい人は私みたいな人を友達にしようとは思わないだろう。
初手の距離感がやたら近い人には、本音で話せる気がしてつい心を許してしまいがちだった。でも、コミュニケーションの正解を模索している人間というのは、コントロールするのにちょうどいい存在なのだ。
どうせ正解が分からないのだから、その日によって正解を変えて八つ当たりしてもバレないと思うのだろう。
そういうモラハラっぽい人ばかりが寄ってくる。

もうコミュニティはおろか一対一の関係すらまともに築ける気がしない……。

年の瀬に相当絶望的な気持ちになっている。
35歳までは人間関係を頑張ろうと思っていたけど、何もかもだめだったとき、どうしたらいいだろう。
そのことを2024年はじっくり考えたいと思う。
それから、もうしばらくは自分から誰かを遊びに誘うのは極力やめようと思う。
早くてプロ野球開幕まで。遅くてGWまで。
今はインプットの時間として、本を読んだりするのが良さそう。
あと、友達に対しても疑り深さとぎこちなさが、1/14くらいまでに解消されなかったら、2年間行ってなかったカウンセリングに行こうと思う。

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