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著者に会いたくなる本(魔法をかける編集 藤本智士)謎、叱咤、発見。

本を読んだとき、私の反応は3段階に分けられる。以下、発言と行動の傾向。

①ふ~ん。(とくに新しい知見なし。付箋も不要。メモもしない)

②そうなんだ!(世界を見る目が変わった。違う角度から見れたり。見える世界が豊かになる。付箋を貼りつつ読む。なるほどと思ったところをメモする。)

③わかる!この内容を言語化してくれてありがとう!会いに行っていいですか?(付箋だらけになる。メモが数ページに渡る。著者への連絡手段を探す。そこまでの行き方を調べる。「ここに共感しました」を言うために会いに行く。場合によって、そこから突発的インタビューが始まる。)

本の感想 【魔法をかける編集 藤本智士】


※この画像だと帯が表紙の9割を占めてて、せっかく素敵な表紙なのに、なんか勿体ないと思った。しかもその帯が情報過多ではないか、と感じたのですよ。「こんなにたくさんの編集関係の人が推薦してるよ!この著者はこういうメディアをやってる人だよ!こういうテーマだよ!」っていう情報。もちろんそれが入り口になる人もいる。多分編集関係の人、そのメディアを知ってる人、そのテーマを掘り下げたい人にとっては、助かるんだろうと思う。ただ、私はこの本はむしろ編集に遠いひとに向けられている気がするんです。いや違ったらごめんやけど・・・。編集が本業じゃない、一般のひとにこそ読んでほしい(私が)。そんなとき、その情報はむしろ一般人を遠ざけてしまわないか?と思った。ちょっと編集って気になるかも・・・くらいの、むしろ世界を変える魔法とかないかな~みたいな人に、響くタイトルと表紙だと思うんだ。この帯だと、私的いちばん魅力のタイトルが数字や肩書き、枝葉の文字に埋もれていて、「その本だけなぜか浮き出て見える!」効果が薄まりそう、と思ってしまった。いや、「この本いいから多くの人に読んでほしい」っていう気持ちの部分では、帯の作り手さんとおんなじだと思ってるんですけどね。欲を言えば、自分で撮った本の写真(表紙とこじんまりした帯の組み合わせがちょうどよかった)をここに貼りたいよ・・・本の表紙の著作権ルールって誰得なの?どうしたら著者本人にコンタクトとれるの?noteってフォローしても直接メッセージ送れないよね。

結論とあらすじ 

この本は、上の分類でいくと③著者に会いたい。

読んでの感想は 謎、叱咤、発見、そして会ってお話したいと思った。(けどここに書くことできっと満足できるはず。アウトプットの弊害=表現すると行動のためのエネルギーも燃え尽きる。今回はそれを逆手にとり、完全燃焼させて突撃しないように自分をコントロールする作戦。)

あらすじというか、この本で言われている大切なことは、

「編集とは、理想=ビジョンを多様なメディアを活用することで実現させるための手段」

「編集力とは、メディアを活用して状況を変化させるチカラ」

「いちばん強いローカルメディアは、あなた自身。あなたが何を着て、食べ、誰と付き合い、何を話し、どんな行動をとるか・・・それらすべてが発信であり、他人に影響を与えている。」

の3点にまとめられる。

ふと、母校の創立者が生徒に送ったことばを思い出した。「あなた方は自由学園の手紙です」と。生徒が社会でする行動、発言、あり方のひとつひとつが、すべて自由学園がどんな教育をしているか表す手紙なのだと。そういえば、確かに創立者は日本で初めての女性ジャーナリストであった。最強のメディアは新聞ではなく生きた人間そのもの、と感づいたから新聞記者をやめて学校をつくったのかな、と懐かしい気持ちになった。

①謎 なぜか読み進められない。

最初に断っておくと、この本はとても分かりやすい。

使われている言葉も平易だし、例えも「勇者」とか、「魔法使い」とか、ゲームしたことがあれば、うんうん!ってなる。

そして、著者の言いたいことの根拠になる具体例やエピソードも豊富だ。

考えと、事例と、一度抽象化して整理する、そのバランスもよさそう。

ハウツーにもしっかり触れていて、心構えだけじゃなく目安となる数字もでてくる。

文章の密度も高すぎず、図も入っていて、読みやすさにかなり配慮されているのを感じる。

また、編集の王道じゃない(経歴を持ってる)人が書いているから、そもそも論からはじまって、より編集のことをわかりやすく解説できているのかもしれない。(もうその道のプロなのに、まだ素人目線で話せているのもすごい)

な の に、

なぜか読み進められない、のである。

とても、読みにくい。引っかかる、のかな。

あえてすらすら読ませない作戦なのか。じっくり読ませる作戦なのかい?

私だけ?と思ったら、Amazonのレビューで読みにくいって書いてる人いた。いや、読みやすいんですよ、だけど読みにくい。

謎に読み切るのに3日かかってしまった。なぜだ?付箋がないために、行きつ戻りつしながら、メモしつつ読んだからか?

著者が頭良すぎて、わかりやすく簡単そうに装ってみたけども、頭の良さがにじみ出てしまった、とかそういうことなのかい?

謎だ。読んだ人の見解を伺いたい。「読みにくい」とレビューを書いた山本さんに聞いてみたい。

②叱咤 こだわるとこ、そこじゃないんじゃない?というツッコミ

まず、私は基本他者に興味がないので、本を読んでも結局自分のことを振り返っていたりする。自分ごとにできる、と言い換えれば聞えがいいが、自分語りが多いとも言える。ここから自分語りになりますが、ご容赦ください。

本質を外していない、というか。目的を忘れずに成果物を作り上げている感じがこの本そのものからも伝わってきた。

あーこだわるとこ、そこじゃなかった、ってことが多い私にとって、目的を忘れないというのは重要なお𠮟りである。

例えば、最近よく行っている佐渡が面白いので、友達と佐渡のZINEを作りたいね、みたいな話になった。ZINEを印刷する機械もないし、○○新聞みたいなのから作ろうか、とPinterestで手作り新聞の画像を検索する。可愛いのが見つかる。

友人に気に入ったものを送ってみると、「△△新聞はすごく可愛いし部屋には飾りたいけど、たぶん読まない…。○○新聞は新聞感とごちゃっと感のバランスがちょうどいいね。可愛さと読みやすさが両立されててすごい、これなら私も全部読む」との返答がかえってきた。

私は衝撃を受けた。

自分は新聞書こうと思ってるくせに、読んでもらえるかよりも、いかに可愛くするかしか考えてなかった・・・からである。

そもそもおしゃれな新聞を見たときに、「文字を読みたいと思えない」という人もいるんだってことを、初めて知ったのである。そりゃ文字だけびっしりの新聞とか印刷物は「オエ~!!」ってなるけどさ、可愛い絵の隣に、なんか書いてあったら読みたくなっちゃうもんだと思ってた。

いや、もっというと、可愛い絵が描いてある新聞が作りたいだけになって、読んでほしい!伝えたい!っていう本質を見失っていた自分に気づかされた。

新聞・ZINEを作るのが目的になって、社会になんの変化ももたらさず、自己満に浸る・・・あやうくそういうことをやらかすところだったぜ。(いや、それはそれで豊かなのだけど。)

私はよく、そういうへまをやらかす。可愛さ・面白さを追求して、とても綺麗で精巧な、箸をおけない箸置きを作ったり。(グー・チョキ・パーの箸置き、面白いやん!?って思いついて作ったものの、グーは転がってしまって箸をおくことはできず、ただの置物になっている。)

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パー✋は置きやすいがたまに出番が多く、落として指が割れてしまった、探したけどないところを見ると破棄された模様

おしゃれなHPにしたいんや!などと言って、外注していたHP作成と管理を解約し、自分で寝ずにHPを作り直して、元々検索で一番上に来ていた助産院のHPが、今では2ページ目にも出てこない。おしゃれで見やすくっても、検索に上がってこなければ何の意味もないのに。

地域おこしでも、PRでもイベントでもなんでも、作りっぱなしやりっぱなしが多いことを著者は嘆いておられた。もちろんそれで満たされる部分があるのは事実だけれど、それでは状況は変化していかない。

なにかをやりたい!というパッションは大事、それは間違いない。けど、社会を変えたいならビジョンをもってやる、ことも忘れちゃいけない。

そんなことをこの本は教えてくれた。

③発見 自分の欠点は長所だったらしい、という気づき

最初に書いた通り、この本ではワザとしての編集にも言及されている。

例えば、紙の制約から逃れられるWebの記事といえども、尺の制限はついてまわるということ。(対話形式でも1万字、そうでなければ5000字以内が目安とのこと。やばい、あと200文字で書ききれるのか、私!?→無理だったので前半の迷言は別の記事にそっと置いておく)


そして、目からうろこだったのは「まとめることの罠」という部分。

「現場の温度・熱量をそのまま伝える」
「うまくまとまった!と思えば、いい部分8割消えてます」
「尺の制約があるときは、思いきって抜き出す。100のうち、薄く、こちらの言葉で10より、ありのままを10抜き出すことで、読者は残りの90を豊かに想像してくれる。」
「とくにインタビューでは、会話の意味を不用意に要約したり、半端に言葉を省略したり、言い換えたりは、熱量を減らすもと。極力しない。」
(抜き出したメモを参照して書いているので一字一句同じでないです、ごめんなさい)

私は昔から話をまとめるというが苦手で、どーーーーもボリュームが大きくなってしまうのである。話でも文章でも。それがコンプレックスだった。

そのくせ、人の話を聴いたり、インタビューするのは好きである。(飲み会や雑談で突如インタビューが始まってしまうことも。)しかしそのメモを取るときにも、まとめるのが絶望的に下手なのである。

なぜか。

私は、要約したくないのだ。要約を突き詰めてしまえば、すべての人の話にそんなに違いはなかったりする。(「人間が行動し、思考した」「ある組織が問題に対し試行錯誤し改善した」でおしまい。つまんねえ!)

その人の、その言い回しにぐっと来たのだよ!

そのエピソードが、面白かったのだよ!

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相手の言葉を、そのままメモするのが、私なりの誠実さだと思っているのだよ。違う言葉に替えたときに失われる、微妙なニュアンスに、なにか大事なことが乗っている気がするんだ。(逆に自分の話したことを、文字数とか変わらないのに、わざわざ別の言葉にされてるともやっとする。対話の中でこういうこと?って言い換えるのは構わないのだけど)

自分の表現に「うまく書けている」自信がない私だからこそ、相手の話したことを大事にできるのかもしれない、なんて思えたりした。

話の熱量を大切にしたかったんだね、私。

そして、このまとまらないメモは、そういう使い方ができるのね。

そんなふうに、まとまらない私のインタビューやメモのあり方も、論理的に肯定してもらったような、自分のなかにすでにある価値に気づかされたような、エンパワーメントされる瞬間があったのでした。



さいごに、感謝

最後に、私の中にすでにあるものの価値に気づかせて下さったこと、文字や写真の印刷されたきれいな紙を作っているのではなく、編集の力で社会を変えるムーブメントを起こしてくれたこと(とくにマイボトル!)、私でも編集の力を使ってみたい、と思わせてくれたこと。

「人生では、その時必要なものが与えられる、そんな人に出会える」というのが持論なのですが、まさに今必要な本だったなと思います。

この本に出会えてよかった!ありがとう。そんな感謝の気持ちが表現できていたらいいな。

そして、著者に会いに行くのもいいけど、つくり手・魔法の使い手(プレイヤー)になって世界を少し面白くした先に、著者に会えたらいいなとも思うので、とりあえずビジョンをもって新聞づくりに入ろうと思う。(明日から)


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