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初めまして。すべてはNYCのテロから始まりました。


フォトグラファーとしての経歴はだいぶ経ちますが、職業をうまく伝えられない不思議な状態になったのは、2001年のニューヨークがきっかけだったと思います。

写真修行後、独立してすぐにニューヨークのテロが起こりました。
「100年に一度の教科書に載るような事件が起きているのに、カメラを持っている僕がいかない訳にはいかないじゃないか!」と、周りに言い残した僕は突然1ヶ月超、ニューヨークに旅立ちました。因みに報道カメラマン志望ではありません。
その事件当時はANAの成田⇔ニューヨーク便が往復5万円。747(ジャンボジェット)には僕を含めて乗客5〜6人と、スチュワーデスさんより少ない状態でした。1ヶ月も過ごすのにホテルは高いのでシェアアパートを探したら、みんな逃げ出しててガラガラだったので、ジョンレノンが射殺されたアッパーウエストの高級住宅街にある広いアパートを月6万円で借りました。あの時の、巨大な街の全てがお葬式のように重たい空気に包まれたニューヨークは今でもはっきり覚えています。
あれから20年経った今、世界はコロナで人類が経験したことのない危機に陥って、あのお葬式のような空気がまた街を覆い始めています。人間は社会、文化という鉄壁のシステムを作り上げて地球上の生物の頂点に立っていますが、今後いつ何が起こるか分からない状況は結局、常に生き死ににさらされている野生動物と似たり寄ったりな気がします。

おっと、初めましてのご挨拶をするつもりだったのに。

そうやって若手フォトグラファー時代からやりたいことをやり、持論を展開しては企画に口を挟むのが好きだった僕。日を追う毎にエスカレートして、いつの間にか自分で仕事を作り出したり、終いには写真にすら関係のない好きなことに挑戦するクセがついていきました。今でも一番好きなのは写真ですけど。

在るとき、若手の映画監督と意気投合して一緒に映画を作ろうという話になりました。これは監督から言い出したことですが。あれよあれよと映画の段取りが進み、気がつくと僕は撮影監督という立場でした。あのー、映像ほとんど回したことないんですけど。と、逃げ出したい気分になっても、もはや言えないタイミング。そんな撮影監督に長編映画です。約2ヶ月の撮影を帯状疱疹を出しながら乗り切りました。
そうやって出来た、初の映画が東京国際映画祭にノミネートを受けました。六本木ヒルズのレッドカーペット(その時はグリーンでしたが)を有名な監督、俳優さんと共に歩き、何万人という見知らぬ人の好奇な目と報道陣の無数のフラッシュを浴びせられました。それが別に僕に向けられていたのではないということは翌日には目が覚めるのですが、冷めないのは火が付いた映画熱。
それから6年後、イタリアのモンテカティーニ国際映画祭で審査員特別賞、テヘラン国際映画祭でグランプリをいただきようやく落ち着きました。
地元からは「それならCMやPVも撮れるだろう」と、動画のオファー。そんなつもりは毛頭なかったのに。写真を撮ったり、映画を撮ったり、企画を考えたり、商品プロデュースしたり。目の前の熱中したいことに一生懸命やっているちに、不思議な人になっていくのでした。

ということで、noteで整理して、見ていただこうと思いました。

そして、また新しい出会いもあれば、素敵だな。
また不思議なことになるだろうか。

またそれも面白い。
よろしくお願いします。

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