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【小短編】パンゲアの夜に

 パンゲアの夜は、全人類が緊張して、早々に眠りに就く。出来るだけ多くの人間が寝静まっているほうが、早く柔らかに終わるという噂を人々は信じていた。

 ある国の小さな家で、親子が食器を箱に詰めて、鉢植えを家の中に引き入れ、雨戸を閉めた。リュックを背負うと、もう一度、家の中を見回ってから、玄関の鍵を掛けた。
 町中の住民が、広場に集まって来ていて、炊き出しで、温かい味噌汁が振る舞われていた。少しでも人々の緊張をほぐそうという趣向が、ひしひしと伝わって来る。
 午後七時、日没と同時に、柔らかな生き物の群れのように、広場に張られた色とりどりの小型テントは、住民達を吞み込んで、ゆったりと寝息を立て始めた。

 三億年前、古生代の地球では、大陸はパンゲア大陸一つきりだった。その後、長い年月を掛けて、大地は六大陸と無数の諸島に分岐した。ところが、十五年前から五年に一度起こるパンゲアでは、世界中の国々が不規則に混ぜられて、配置し直されるようになったのだった。パンゲアの夜には、国境というミシン目に沿って、丁寧に切り離された国々が、パズルのように、神の見えない手によって一晩で組み替えられる。

 熱帯の暮らしに慣れた国々が、突如として、豪雪地帯に放り出され、寒冷地での暮らし方を元の住民達に指南され、なんとか凍死を免れた。また逆に、極寒の国々が、亜熱帯に位置してしまい、暑熱地の元住民達に教わって、なんとか熱射病や食中毒を免れた。

 不思議なことに、動物や植物は、何千年も前から、そこに自生していたかのような顔をして、ころころと変わる熱帯雨林や砂漠や極北に、すんなりと適応して生き延びていった。

人間の生活習慣だけが自然から取り残されて、毎回、パニックに陥ることになった。

 一度、国境を辞めてしまえばいいと言って、複数の国が公式声明を出したが、すると今度は、文化習俗、信条理念などの明文化されない微細な集団単位で土地が細分化されてしまい、パンゲア・パズルがより一層複雑になってしまったので、翌五年期には、それらの国々も、また元の国境に収まった。

 人類は、パンゲアの規則性を見出すために血眼になり、叡智の総力を傾け、一つの有力な説を導き出した。それが、世界ランキング左右説だった。
どうやら、世界ランキングが優良な国から、食糧が豊富で、気候の変化が穏やかな緯度経度に、国ピースを当て嵌められるらしい。無数にあるランキングの指標と、緯度経度の関係性の計算に、世界中の数学者、地政学者、社会学者、政治学者、経済学者が、夢中になって取り組んだ。世界ランキングの評価軸は多岐に渡る。GDP、一人当たりGDP、差別指数、幸福指数、自殺指数、芸術作品数、学術論文数、環境配慮指数、暴力犯罪指数、平和指数、人道的援助指数、食糧生産量、工業生産量、出生率、生存率、平均寿命。

以来、全人類が、自国の世界ランキングの向上を願い、必死になって、指標の改善に取り組んで、祈るように生活をしている。その四度目の評定日が、今夜だった。複数の世界機関から予測値が発表されていたが、本物の世界ランキングとの一致精度は未だに低いままだった。明日の朝、目が覚めた時に、砂漠にいるのか、氷雪を踏むのか、湿気た水辺の空気を嗅ぐのか、世界中の誰にも分らなかった。

 二人用の小さなテントの中で、隣で眠る親に子が尋ねた。
「目が覚めたら、新しい位置に着いているの」
「そうだよ。前のパンゲアのときは五歳だったから、覚えていないかな」
 親はあくびをしながら、団扇で子供を扇いでいる。
 暗闇で見えないけれど、唇を突き出した声色で、子供は答えた。
「ちゃんと覚えているよ。位置が悪くなってから、いっぱい一緒に居られるようになって、毎日とっても楽しかったから、また悪くなるといいよね」
 親は瞼をぎゅっと強く瞑ると、暗闇の中で子供の頭を撫でた。
「そうか。そうかもね。でも、それは、外では言っちゃだめだよ」
「なんで」
「みんなは位置が良くなりたくて、とてもがんばっていて、そのおかげで、大人が家族と一緒に居られるようになったからだよ」
「ふうん。そうなんだ。位置が良くなっても、家族は一緒に居られるの」
「居られるよ。これからは、位置が良くなると、大人と子供が一緒に居られる時間も長くなるんだよ」
「なあんだ。じゃあ、どこでもいいね」
 子供は実に嬉しそうに笑った。親は子供を抱き寄せた。
「そうだね。どこでもいいね。だから安心して、おやすみ」
「おやすみなさい」
(終)

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