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【小短編】お気に入りの生活はみんな丁寧

 美術館のように、白い陶器や木工芸品や藤籠が、余白を保って並べられている雑貨屋の前を、緑色のジャージを着た若者が通りかかった。
 ショウウィンドウには、緑ジャージが長年探し求めていた形がそのまま具現化したような鉄急須が飾られている。
 うっとりと急須を眺めていた緑ジャージは、ショウウィンドウに映る自分の姿を見て、眉を顰めた。こんな小奇麗な店で買い物をする心積もりは毛頭なく、着古したお気に入りのジャージで外出していた。この店には不釣り合いのような感じがする、だがしかし、別に汚れているわけではない。
 さっと意中の品を買って帰るだけなら、構わないだろう。緑ジャージは、ガラスに映る自分に言い聞かせると、店に入った。

 クラシック音楽が低く流れ、一筋の香が焚かれた店内を、真っ直ぐに急須へと向かって歩いていく途中に、ふと、横に置かれていた布巾に描かれた、極採色の鳥の刺繍が、気になった。何という名前の鳥だったろうか、と一瞬、思考が横にずれる。
 そのとき、背後から店員が、緑ジャージに近づいて来て、言った。
「布巾をお探しですか。」
 普段から人と話をし慣れず、言葉が遅いため、視線を逸らして、緑ジャージは沈黙した。
 店員はやんわりとした口調で言い募った。
「化繊やケミカルな布地が苦手というお客様も多くて、うちの布地は、上質な木綿を揃えているのです。この刺し子風の鶏の刺繍も、一枚ずつ手縫いで仕上げられているのですよ。丁寧な生活に、ぴったりの逸品です。」
 緑ジャージは、着古した化学繊維のジャージ生地を握りしめた。
 言葉が頭を駆け巡り、焦ったあまりに、突拍子もない言葉が、咄嗟に口をついて出た。
「て、丁寧な生活は、苦手なのです。」
 店員は能面のような表情を崩さなかった。
「それは大変失礼いたしました。」
 流れるように、言った。
 緑ジャージは、耳まで顔を赤くすると、ぱっと振り向いて、街路に駆け出して行った。
 店員は、その背を見送った。
 店長が、奥の事務所から出て来る。
「おや、いまの、急須のお客さん。帰っちゃったか。」
「急須って、なんですか。」
「さっき、駐車場から見えたんだよね。外から急須をじっくり眺めてくれていたから。十中八九、急須かな、と。」
「いいえ、布巾を見ていましたよ。」
「そっか。まあ、そりゃ、いろいろ見るよね。目移りしてもらうための、雑貨屋さんだもの。」
 店員は、はっとした。
「あ、そっか。すみません。お目当てが違ったんですね。また、気が付けなかった。それで急に出て行ってしまったのかな」
「ううん。別に、良いんだけどね。接客は十人十色だから。なにが正解というのが、ないところが、難しくて、面白いんだから。」
 店長はにこにこしながら、奥から出してきた皿を並べ始める。
 店員は帳簿を持って、カウンターに座ると、項垂れた。
「やっぱり、私は接客業に、向いていないのでしょうか。」
「そんなことないよ。あなたほど品物が好きなら、大丈夫だよ。お客さんは、品物の先に、いるのだから。」
「品物なんかじゃないです。ここにあるのは、もはや、作品ですよ。」
 店員は顔を上げると勢いよく言った。
 熱弁を聞き慣れている店長はリズミカルに頷きながら手を動かしていた。
「ここの作品は、我が子のように愛おしくて、自分の家よりも、この店のほうが好きなくらいです。」
 店長はからりと晴れた声で笑った。
「本当に、商品への愛が、人一倍だよねえ。勉強熱心だし。お客さんにうまく伝えられると、もっといいよね」
 店員は悲し気な顔をして、ショウウィンドウの前の鉄急須を眺めやった。
「丁寧な生活が苦手と言われてしまいました。褒め言葉だと思って言ったのですが、難しいものですね。」
「なんだろうね。広告で使われ過ぎて、耳が飽きてしまっているのかなあ。上品な生活と言われると、上品よりは下品な生活かもしれないと、反射的に謙遜してしまうから。対義語がセットになって思い浮かびやすい言葉は、使い方が、とても難しいよね」
 店員ははっとして顔を上げた。
「そうか。丁寧な生活と言われると、丁寧じゃない生活が、浮かんでくるってことですね」
 店長はディスプレイを終えると、SNS用に写真を撮り始める。
「そうなんだよね。丁寧じゃない可能性と言うか、負い目を感じさせられると言うか。日常生活の癖に、一定のドレスコードを感じさせられるのかな。ワンランク上とか、プチ贅沢とかと同じで、差別的と言うか。ケの日の暮らしなのに、ハレの日のような、非日常感やオシャレ感があるのが、肩が凝るのかもしれないね。」
「そんな。差別だなんて、あんまりです。その人が気に入っているなら、生活はみんな丁寧なのに」
 店員がぽつりと言った。
 店長が目を丸くして、大いに頷く。
「そうだよ。お気に入りの生活は、全部、丁寧なんだよ。辛くて苦しい自暴自棄な生活以外は、ぜんぶ丁寧だよ。それなのに、今の生活と違う、憧れの生活って言う次元を作るから、おかしなことになるんだよ」
 店員が真顔で頷く。
「源氏物語に出てくるんですけど、憧れるって本来は空く離れるで、幽体離脱するくらい羨ましい、恨めしいっていう、意味なんですよ。憧れの丁寧な暮らしなんて、ケの日の暮らしにまで羨ましさを浸み込ませる、消費意欲を煽りまくりの文句ですね・・・。すみません。今まで考えたことがなかったです。お客さんと対面すると、間を持たせようと必死で。流行り言葉とか、キャッチ―な褒め言葉とかで、場を繋いでしまっていました。」
 店員は深々と頭を下げた。店長が慌てて首を振る。
「いやいや、私も、そこまで深く考えたことなんて、無かったよ。商売だから、コマーシャルも仕方がないんだけどさ。SNSでもアピールもするし。でもまあ、空く離れるより、根が生えるくらいのほうが、生活としては、慕わしいよねえ」
「本当ですね。根が生えた生活。確かに、安心感はあるけれど、泥臭くて、キャッチフレーズにはならないですね」
 店員が溜息を吐きながら帳簿を付けていると、ドアの木鈴が鳴った。
「いらっしゃいませ。」
 店員は、レジカウンターからさっと立ち上がった。今度のお客さんは、何が目当てだろう。今度は発言に気を付けよう、と深呼吸をしながら、客との間合いを取って歩いて行った。
 急須に近づいていく客に、猫のようにそっと近づいていく店員の背中を見ながら、店長は首を傾げて、ぽつりと呟いた。
「さっきのお客さん、なんで着替えて来たんだろう。家に財布を取りに帰ったついでかな」
 (終)

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