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魂が還る場所

我が家が次々と感染の渦へ巻き込まれている最中に、夫の祖母が永眠した。

正直、どうしてこのタイミングで…と思った。
夫の実家はかなりの遠方にあり、私たちの住む街からは通常でもそう簡単に駆けつけることは出来ない。
しかも全員感染してしまったのでは、どう考えても帰省出来ず。


まだ移住して間もない頃、この国の言葉があまり出来ず、夫家族との意思の疎通も難しかった時、突然おばあちゃんが「ロシア語教えようか」と言い出した。
いやいや私はこの国の言葉だけでも精一杯なのに…と思っていたら、数の数え方を教え始めた。
0はнольノーリ、1はодинアヂーン、2はдваドゥヴァー、3はтриトゥリー、4はчетыреチティーリャ、5はпятьピャーチ…
この国の言葉以上に馴染みのないロシア語の響きに戸惑う私を他所に、おばあちゃんは陽気にロシア民謡を歌っていた。
その時はじめて、おばあちゃんはロシア語を母語とする家族の中で育ったことを知った。おばあちゃんの娘である義母や夫は皆んなロシア語は全く分からない。だから普段はこの国の言葉で話していた。
戦争でそれまで住んでいた村がロシア領になり、今住んでいる町へ逃げてきたことなども知った。
この国の歴史についてほとんど知らなかった私は、それから少しづつおばあちゃんの生まれ育った土地のことも調べ始めた。

一族の中で、おばあちゃんだけがロシア正教会の信徒だった。
おばあちゃんの埋葬式(ロシア正教会では葬儀とは言わないらしい)は、ごく数人の近親者だけで執り行われた。
ロシア正教会では人の死を "復活の生命が与えられる来世までの一時的な眠り" と捉えることから、亡くなった人は永眠者と呼ばれるそうだ。

後日、義母から埋葬式の様子を伝える数枚の写真画像がメールで送られてきた。

こちらの国の多数派であるプロテスタント・ルター派では、棺に収められると蓋をされもう対面出来ないけれど、ロシア正教会では顔を見られるように収められていて、おばあちゃんは献花に囲まれ安らかな表情だった。

ロシア正教会では永眠後 40日目に天国へ旅立つとされている。
だからまだ、おばあちゃんの魂はこの世にとどまっているだろう。

義母からのメールの最後に、まだ少女の面影の残る三つ編みをした若い頃の、笑っているおばあちゃんの写真が添えてあり、それを見た瞬間、胸を突かれ涙が出た。


95歳で永眠したおばあちゃんは、
戦後に故郷を追われ77年

またロシアが戦争をする世界が来るとは、思ってもみなかっただろう

長い時を経て、
おばあちゃんの魂は、生まれ育った北の果ての村へ帰れただろうか

きっと今は、部屋にある絵の中に描かれていた北極海の畔にある村へと、還っただろう

激動の時代を生き抜いた、
一つの命の物語が静かに幕を閉じた






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