素敵な史跡巡り

歴史はある程度物語だと思っていて、当時の状況を100%理解し知ることはできないと思っている。なので、そこに想像や創作が入ることは承知で、本質(事実)を保つ程度にそれを楽しむ余裕があるものだ、と私は思っています。

そういう意味も込めて、昔から歴史をロマンチックに考える傾向がありました。私は専門家ではないので、市井の人として歴史を想像することを楽しんでいます。

その想像を裏付けるというか、増幅させることとして、史跡めぐりがあります。特に墓所や「最期の地」と言われるような場所が好きで、そこに行ってあれこれ思いを巡らせたりします。

一番好きな場所は、有名な、山口県下関市の赤間神宮にある七盛塚。賑やかな境内の左奥に、ひっそりと佇んでいる平家一門の墓。その下には安徳天皇の墓。有名な観光地でありながら、ある種の神聖さを含んだその静かな空間に、夕方に訪れるのが好きでした。

それから、東大阪の金剛山の登山道わきにある楠木正儀の墓。千早城跡を過ぎたところに佇んで、一説には父・正成の墓とも。中世の墓地によくある五輪塔ですが、がっしりとした石の塀と鉄の柵に囲まれ、ある種の威厳を感じる立派なお墓です。今でもこの地を守っているぞといわんばかりの、正儀(正成!?)の遺志を感じずにはいられません。

インパクトが強かったのが、滋賀県米原市にある蓮華寺裏手の北条仲時はじめ従士たちの墓。鎌倉幕府が崩壊するとき、六波羅探題の北条仲時以下、従士430余名がここまで逃げてきて自害した地であり、彼らの墓石が山中の斜面にズラリと並んでいます。寺では彼らの氏名を書き留めた過去帳も展示してありました。何度訪れても、印象に残る場所です。

そして奈良県葛城市にある二上山にある大津皇子の墓。大津といえば、姉の大伯皇女との別れや万葉集の和歌が有名ですが、悲劇の皇子というにふさわしい、昔から私の中ではそんな存在でした。1時間近くかけて山を登るのですが、本格的な山ではないので、ハイキング気分でたどり着けます。自然豊かな場所で山に囲まれ、穏やかな場所です。大津皇子はとても聡明な人物だったと言われていますが、草壁皇子ではなく、もし大津が後継となっていたらどんな時代を迎えていたのか。

そんな感じで、史跡エピソードもまたいつか続けたいと思います。。

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