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食育心理カウンセラーになった理由①

なぜ私が「食育心理カウンセラー」という仕事を選んだのか?について、改めて自己紹介をしたいと思います

ちょっと長くなりますが、お付き合いくださるとうれしいです

私は幼いころからずっとピアノを習っていました。でもピアノが好きだった訳ではありません。気が付いたらピアノを習っていて辞めることができなかった。ただただ、それだけだったんです

中学卒業後は音楽高校→音楽大学と進学したのですが、それも私にとっては他に道がなかったからでした

生きていく上で選択肢が他になかった。だからその学校に行ったというだけ

自分で選んだ進路という気持ちは全くありませんでした。だから当然、私にとってのピアノは「やらされているもの」という認識でした

とはいえ、親も先生も本気の環境でピアノを習っていると学校では「ピアノが上手な子」として認識さるんです

それだけでなく割と何でも器用にこなせていて…勉強もできる方でした

テストは90点以上が当たり前。中学受験組の子と肩を並べるぐらいの成績でした

それは私がとても読書が好きだったのも理由としてあると思います

普段から黙々と本を読んでいることが多く、クラスで読書本の数を競ったときはダントツ1位だったこともありました

そんな優等生だった私ですがアトピーであるゆえに見た目に全く自信がなく。自信がないがゆえに超絶地味。それなのに勉強やピアノでは目立ってしまう…

私にとっては不毛な子ども時代でした。そして、めちゃくちゃ浮いていたと思います

学校ではそんな毎日でしたが私を悩ませる大きな問題がありました。それは学校での評価とピアノの先生からの評価が真逆だったということです

当時、特に太っていたというわけではなかったのですが「〇〇ちゃんと比べて太いよね」とクラスの人に言われる反面、ピアノの先生には「ガリガリだから体重を増やせ」と言われる

学校では「ピアノの上手な子」という立ち位置なのに、ピアノの先生からは「練習をしてこない本当「ダメな落ちこぼれ」扱いで…毎回のレッスンは怒られてばかりでした。もちろん褒められたことなど一回もないので、本気で「私はダメな子なんだ」と思っていました

学校では「勉強もピアノも出来る子」
ピアノの先生からは「練習すらしてこない出来ない子」

そんな状態が何年も何年も続き、自分とは一体なんなのか?分からなくなっていました

また、ピアノ以外何もやらせてもらえなかったので、自分の意志というものがどんどんしぼんでいきました

大人になる頃には「好き」が全く分からない状態にまで育ってました

結婚も、とりあえず母親から離れたい一心でしたようなものだってんです

今からすると全て自分で選んできたことだし、その経験があったからこそ…と思える部分も多くあります

そしてピアノ漬けの日々だったことすら母の愛だった…ということも今なら分かります

でも当時の私は本当に苦しかったんです

そして中学生になると、どんどん周りの目が怖くなっていきます。私が通っていた中学では、いじめや無視が露骨にあるような状況でした。だから小学生のころ浮いていた私は、さらに目立たないことを心がけるようになります

とにかく穏便に毎日が過ごせるように

その努力の甲斐もあって少ないながらも友達はいました。ピアノのために土日に遊ぶことはできなくても、一緒に登校したり下校する友達はいたんです

それが中学校2年生の夏ぐらいから学校に行く日数がどんどん減っていきます

すべてはピアノのため

中学校3年生ともなると「学校に通ってた…よな?」ぐらいの記憶しかありません。楽しみにしていた修学旅行も行かせてもらえませんでした。それはピアノの先生に「1日さぼると3日分衰える」と言われたからなんです

林間学校も行けなかった私は本当に落胆しました。それでも修学旅行の文集には「ピアノが理由で行けなかった」とは恥ずかしくて書けず、「体調不良で行けなかった」と書いた記憶があります

・林間学校も行けなかったので、修学旅行だけは行きたかった
・たまにしか会えない友達とたくさん話をしたかった
・みんなとの思いで作りや自由行動をしてみたかった

当時は母親とピアノの先生を恨みました。でも反抗するほどの強さが私にはもう残っていなかったんです

そして私にさらなる追い打ちが訪れます

あまりにも学校に行っていないために出席日数が足りず…普通高校の受験が無理な状況だったんです。それでも私は普通科の高校を受験するという希望を持っていました。ピアノもそんなに好きという訳ではなかったし何より勉強が好きだったんです。学校に行きたかった

でも「音楽高校の受験が終わるまでは普通科の受験はさせない」と母親に言われてしまい…絶望しました

なぜなら音楽高校の受験日は2月の末日
そこから受験できる普通科の高校は皆無に近かったのです。その事実を知った私は「生きるのびるためには音楽高校に絶対に合格しなければならない」と本気で思いました

ピアノが好きとか嫌いと言っている場合じゃない。音楽高校に合格しなければ私の人生は終わる

小学生の頃からは想像できないほど毎日必死に練習をしました

人間って好きじゃなくても生きるためなら頑張れちゃうものなんです。そして、その努力の結果、無事に音楽高校に合格することができました

長くなったので次に続きます

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