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【お願い】読める文章を書いてください【何かの批判をしたい時に気をつけてほしいこと】

 こんにちは、野生のVTuberオタクのもりもとくんと申します。今回はVtuber界隈に限らず、何かしらを批判する文章を読んでいて感じたことを書きます。

「読める文章」とは何か~この場における定義~

 この場、つまり批判文を読み書きするにあたって "読める文章" とは、「批判している内容について、その文章を読んだ人が初めて批判内容を知ったとしても筆者の言いたいことや考えたことの根拠や証拠が大多数の人間に客観的に理解できるように示されている文章」とします。批判内容が正しいか、あるいは間違っているかは一度別のところに置いておきます。
 私の考えにはこの定義が根本にあることを念頭に置きながら先の文章を読んでいただきたいです。


読むことが苦痛な文章にたまに出会う

 私にとって "読むことが苦痛な文章" とは、以下の定義に当てはまるものとします。

 「主義主張を妨害するほど暴言が乱用されていること、文章の内容が浅い上に文字数だけはご立派である文章が多いこと、同一文章内で明らかな矛盾があること、挙げた3つの事柄のうちひとつでも当てはまるもの

 このnoteという媒体を含めたインターネット上に公開されているVtuber関連の批判的な話題を取り扱った文章の多くは、読むことが苦痛な文章であると個人的に感じてしまいます。Twitterのように、体裁を求めていない場であれば読める文章かどうか気にしません。なぜなら、ゴミ捨て場に美味しい食べ物があるかどうかを気にするほど飢えておりませんから。ただ、noteやブログのようにある程度の長さの文章を公開することが前提の場では読みやすい文章であるか、文章に破綻が生じていないかということは気にします。

 批判というものは高度なことです。例え批判内容や着眼点が合っていようとも、伝え方や言葉選びを間違えてしまうと「その批判」は全て台無しになってしまいます。つまり、批判としての価値が0どころかマイナスになるということです。


私は議論がしたい

 私はオタクとして自分が好きな界隈が住みやすい環境になるよう、今現在当たり前になっていることが良いことであるか悪いことであるかをじっくり議論したいという理想を持っております。しかし、この理想を実現させるためには、まずは真っ当な伝え方や言葉選びで主張できる方の人数が多くなければ困難どころか無理だと言い切ることができます。あまり長い文章にしてしまうと私のただ一点の主張が霞んでしまうため、最後に私の願いを綴って締めとさせていただきます。

お願いですから、批判を言語化するならば自分以外の人間に伝わる文章の組み立てや言葉選びをしてください



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