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小噺「もうしない しないよ」

言葉で殴り合ったその後の、気分の何と悪いことだろう。言いたいことを言えば言うだけ、後からやって来る遣る瀬無い後悔を僕は何度味わえば止めることが出来るんだろう。眉間に寄った皺も、緊張で上がった息も、すべてがただ辛い。
喧嘩の末に離れたい訳でも無い癖に、仕様も無い話で揉めてしまうのも冷静になれないのも、すべて若さのせいにして逃げてしまいたい気持ちになる。「あれは本心じゃなかった」と後から言うのは(簡単じゃ無いが)何時だって出来る。けれど後からじゃなく、その時の場面で口に出さない判断をしたい、のに。世界で一番大切にしたい筈の人を傷付ける言葉が口から飛び出してしまう僕は若さ云々の前にただ莫迦なだけだった。もしも愛想を尽かされてしまったとしたら、絶対に立ち直れはしない癖に。傷付ける言葉に涙を流した彼女の表情が目蓋の裏に焼き付いて離れない。隣の部屋に居るだろう彼女にどんな言葉を掛ければ良いのか分からない僕は、どんなに大人ぶったとしても所詮ただの子どもなのだと、いい歳をして思い知る。詰まらないプライドを心の壁にして、少しの間彼女に意地を張ったとしても、結局彼女と話せもしない苦しさから直ぐに心が折れて彼女にしがみ付きに行ってしまう、幼い僕を、彼女はまた許して呉れるだろうか。

彼女の居る部屋に入る、彼女が鼻を啜る音が聞こえる。僕はまだ何も喋れない。彼女もまた何も喋らない。俯く彼女を背中越しに抱き締める。ごめんねと、たった一言を紡ぎ出せるのはまだ先だ。其れよりも何よりも先に僕の唇からこぼれ落ちたのは「傍に居て」だった。そんな僕に「うん」とだけ頷いて呉れた腕の中の愛しい体温に、僕はまた深く後悔をして、情け無い水滴が一滴、目から零れ落ちた。

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