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小噺「迷わず行くよ」

真夜中に突然電話が鳴った。寝惚け眼で起き上がって、携帯を見る。知らない番号だった。
月も真上に来るような時間帯だと言うのに、一体誰だと言うんだろう。何時もなら不機嫌のまま無視していただろう電話に、何となく出てみる。すると電話の向こうから明るい声が聞こえてきた。

「ねぇ、あなた、私は今何処に居ると思う?」

もしもしの句も告げずにそう尋ねてきた声の主を、私は知らない。なんだ、迷惑電話だったか。起き上がろうとしていた身体を横たえて、携帯だけを耳に当てる。夢かも知れないこの電話に、ひと時だけ耳を傾けてみようと思った。明るい声はまるで幼子のように楽しそうに電話口で話し出す。時々聞こえてくる「ねぇ、聞いてる?」という問いに時々頷けば、満足そうにまた話し始めるのが少し耳に心地良かった。

「ねぇ、あなた、どうしてずっと聞いていてくれるの?」
「どうしてって、うーん。楽しそうだから、このまま聴いていたいなって」
「みんな私の話を聞くのは嫌がるのに。とっても変な人なのね」
「あはは、そうかも知れない」
「……」

ぽつり、不意に明るい声が呟いた言葉を、まだ寝ぼけてぼうっとしている私の耳で聞き取ることは出来なかった。なんて言ったの、と問おうとした私の言葉を遮るように「ううん」と明るい声は否定した。私は尋ねるのを止めて、またその声に耳を傾ける。

「私ね、生きているの。何年も何年も。どうしてって、訊いて」
「どうして?」
「…探している人がいるのよ」
「探してるの?」
「ええ、そうよ。…何年も、何年も…見つからないのだけれどね」

ふう、と息を吐くのが聞こえた。
それを言ったきり、明るい声はとんと静かになった。時々吐息が聞こえるだけの、ほとんど無音の静寂が私とあちらの電話口を繋ぐ。其れでも、電話は繋がっている。如何してこの電話が繋がったのかは未だ分からないのに、当初胸にあった不信感のような迷惑さはとうに消えて、鈴のような声を聞きたいと思っていた。如何して、なんて無粋な問いだと思った。繋がるべくして繋がったかも知れないこのか細い糸電話のような繋がりを、いつの間にか私は、切ってしまってはいけないような気がしていたのだ。

「ねえ、聞いてもいい?」
「…どうぞ」
「君はどうして、私に電話したの?」
「……………」

それは長い沈黙だった。聞いてはいけないことだったのかも知れない。それでも聞きたかった。最初に耳に飛び込んできた明るい声の裏側に、精一杯の装われた明るさのようなものを感じたことに、私は漸く今気付いたからだ。
声は聞こえてこない。この声の主が、何処に居るかも分からない。それでも、出来るなら、叶うことなら、この声の直ぐ傍に居てあげたいと、思った。

「ねえ、君は今何処に居るの?」
「……」
「地球の裏側に居ても良いから会いに行きたいって言ったら、君はまた、笑ってくれる?」

私の問いに相変わらず返事は無かった。
嫌だったかな、と思った、次の瞬間。小さな小さな声が電話口から溢れてきた。
断末魔のようなその言葉を聞いて直ぐ、私はベッドから起き上がって車の鍵を持って外に出た。あちらに着く頃には夜明けが来てしまうかもしれないけれど、地球の裏側ほど離れていなくて良かった。
寂しさから首を擡げてしまいそうだったあの声が、泣かずに居てくれるのならと、それしか頭に無かった。会ってからの事は、会った後に考えよう。
電話口から教えて貰った、海の近くの展望スポットをナビに登録する。ただひたすら、必死な思いで、私は夜の町へ車を走らせた。
「何」から掛かって来たのか、なんて、今はもう如何でも良かった。
あの声が泣かないでくれるのなら、それだけで良い。


「……これを最期にしようと思ってたのに、今まで誰にも繋がらなかったのに。ねぇ、あなた、どうしてこの電話に出たの……」

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