荒野
訳の分からない行為でも、続けていれば仕事になる。
荒野も同じところを何度も何度も何度も歩いていれば道ができるのと同じだ。
大仏になろうと思ったのはそんな理由からだ。
私が座ったのは、イオンの近くにある田んぼだった。稲が青々と茂っている。でっかいタニシがいる。
お金も欲しかったので、昨日食べたサバの味噌煮の空き缶を脇に置いた。内側を擦るとまだ油っぽい。
裏道を使ってイオン・JR―私鉄へ行く人たちを狙う。
田んぼ関係者以外には、たまに帰りの小学生や犬を連れた人が通る。見向きもされない。
私はジーンズとマーベルのロゴのTシャツだった。これでは大仏というより歩き疲れて座っている女である。それに気づいたのでその日は帰った。座布団を持っていこう。あと日傘と水筒。
次の日金髪にし、肌と服を金色に塗った。
小学生に写真を取られた。
それを境にちらほら人が来始めた。
「何やってんの」
小学生に問われ、私はしゃべろうかどうか迷う。
「…だいぶつ」
と、迷いながら私は言った。しゃべれた方が何かと都合がいいだろうという気持ちが少し勝った。
小学生は改めて傘を差して立つ金色の私を上から下まで見た。背を向ける。やり取りを離れたところで見ていた仲間たちのところへ戻っていく。
やっぱり女の人だった。
…えー。
外人?
ううん、日本語通じた。
何してんの?
大仏だって。
…ジーユーの服着てなかった?
子供たちの会話が聞こえる。気になったのは、サバ缶のことには触れられていないことだ。小型のさい銭箱を用意した方がいいかも知れない。
ヤフオクで買った袈裟が届いた。
拝んでいく人がいる。売り上げ、3時間1321円。
カラまれることもある。
若い人から酔っ払い。それから小学生集団。
学生にはこちらの覚悟を伝える。酔っ払いにはテキーラを飲ませる(一杯1000円)。
小学生が一番手ごわい。
金を取っていく。追っかけるわけにもいくまい。親に連れられて返しにきてくれる子もいるが少数だ。
だがそれも、小型のさい銭箱で解決した。
徐々に私はこの町に大仏女として認知されていった。
しばらくすると、弟子ができた。
いや、弟子なのか。
スーツ姿の男が私の横に座って動かない。体育座り。たぶん彼は本物のビジネスマンだ。髪はセットされ乱れがない。靴もきれい。スーツもハリッとしている。
次の日も来た。私はお昼から9時までいる。彼もお昼に来た。
客が寄ってこない。
「あの」
と、私は言った。
「はい」
と、男が答えた。
話せるんだ、と私は思った。
「私が言うのもなんですが、何をやっているんですか?」
男が答える。この田んぼの所有者の孫らしい。
変な女がいると聞いてやってきたのだそうだ。
「あの、迷惑ですか?」
一応ここのおばあさんからは許可を得ている。おばあさんは熱心に私を拝んでいく。信者だ。
「いや」
と、孫は言った。ずうっと遠くをずっと見ている。
今日の会話はそれで終わった。
次の日も孫はやってきた。
私は孫に袈裟を渡してみた。なんだかわからないけど、そうした方がいいと思った。
孫はそれを無言で受け取り、ビジネスバッグに無理やり押し込んだ。
隙間からタブレット端末が見えた。バックはパンパンである。元々袈裟を入れる用にはできていないのだ。
次の日、本格的なチベットの坊さんがやってきたと思ったら孫だった。
頭を丸め、昨日渡した袈裟を着ている。
その一方でロングヘアーを金髪にし、身体も金色に塗った私。
これは、何だろう。コント?
一瞬の戸惑い。
だがすぐ言葉が降りてきた。
荒野が道になってきた。
しばらく姿を見せなかったおばあさんが、拝んでさい銭箱にお金を入れていく。一万円。
孫とは目を合わせない。田んぼのゴミを拾って帰っていく。
人が来始めた。
ネットで本物の僧がいると話題になっている。いや、彼は孫だから。
だが確かに本物っぽい。絶妙に物静かだ。所作もそれっぽい。
この世のすべてのことを諦め、しかし真っ直ぐな姿勢だけは崩さずどこまでも流されていくようなところがある。あと無駄に顔がいい。
大仏やってる私の方が悪い意味で浮いている。
孫の人気はすごかった。お金がいっぱいもらえる。それを全部私にくれる。
そういうのが陰徳みたいに作用しているのか、女の子のファンもつき始める。
このままだと、私は完全に変な女だ。
孫の身体も金色にしてしまおうか。
袈裟のときとは違い、私はすんなりと言い出せない。
はっと気づいた。
私の大仏としてのクオリティがいけないのでは。
書き込みには、観音様?とか、腐ったミロのビーナスとか言われている。
でも確かにそうなのだ。
私は大仏なのだ。
だが大仏って何なの?
調べた。ネットで。
大仏とは大きな仏像のことらしい。
知らなかった。もうその時点で私は大仏ではない。
おっきくないからだ。
じゃあなんでおばあさんを始め、道行く人は私を拝んでいったのだろう。
なんか考えると恥ずかしくなってきた。
それまでだったら、大仏だからそんな些末なことは関係がないということにすればよかった。でも私は大仏ではない。
私は髪を結い上げた。
鏡で見ると、意外と似合う。
それで翌日座ってみる。孫は傍らに立ち合掌をする。
ピタッと、何かがハマった。
道行く人の私を見る目が静かだ。私が何か分かっているのだと思う。
戦える。そう思った。もう孫にも負けない。
「髪型、変えた?」
帰り支度をしているとき、孫にそう言われた。
彼から話しかけてきたのはこれが初めてかも知れない。
「うん。観音様」
と、私は言った。「私も聞いていい?」
「はい」
「なんで(頭)丸めたの?」
「袈裟を渡されたので」
「じゃあ笹を渡せばパンダになった?」
「いえ、かぐや姫になったと思います」
「竹じゃなくて?」
あそうかと、彼は真顔で言った。桃をあげればよかった。
「なんでお金全部くれるの?」
「袈裟貰ったので」
袈裟あげてよかった。
いや、あげてはないんだが。
その後も私たちはこの仕事を続けた。必然的にどこかで待ち合わせて話す機会が増えた。お互いの連絡先は知らない。名前も。
SNSをすれば、今ならそこそこフォロワーが集まるかも知れないという話になった。
窓口を作っておけば、他の仕事の依頼もくるかも。
「私は反対」
と、私。
「理由を聞いていいですか?」
と、彼。平日朝のファミレス。
「辞めたいときにすぐ辞められなくなるから」
即座に彼は分かったというようにうなづく。
彼はビジネスバッグから、タブレット端末を取り出す。
「これが、今の僕らの勤務状況」
グラフ。稼いだお金とかも載っている。
「これが、お客がくる時間帯で考えた我々の勤務表」
つまりこの通りにすれば、今よりもずっと少ない働きで、同じくらいのお金を得られるということらしい。
「そういうのもいやなの」
間に休憩を取れば、10時までやってテキーラを売る時間を伸ばせる。だがわざわざ人のいないときを見計らって、ちょっとした話をしていく人もいる。
おばあさんが来る時間も入ってないし。だがたぶんそれはわざとだ。
「そうですね」
と、彼は言ってそそくさとタブレットをしまった。
労働時間や収益の効率化は、私が大仏から観音様へ転身したことと何が違うのか。
彼はそう言いたいのかも知れない。
私は立ち上がる。
「行こう」
それを見て彼も立ち上がる。
私は私なりに観音様になり続けようと思う。彼もまた、それを受けてついてくるなり去るなりするだろう。
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