きっかけぶに

前回

 きっかけ部には新入部員30人がいた。初日に僕一人だけになってしまった。だけど次の日に5人入った。でもすぐ3人が辞め、翌日に10人入部し…、という具合に梅田駅みたいに人の出入りがとんでもなく激しいことが分かってきた。

 どうやらみんな掛け持ちで入部してくるようである。運動部の生徒も思いのほか多い。
 たとえば守備がうまくなるきっかけをつかみたい野球部の補欠とか、馬のにおいが好きになるきっかけをつかみたい馬術部とか。

 そんな彼らを部長が親身に話をきいてやり、きっかけを与えてやるようである。

「部長は何のきっかけがつかみたくてここにいるのですか?」

 疑問におもったのでそう聞いた。

「僕は、グラビア女優と結婚したいきっかけをつかみたくてここにいるんだ」

 と、彼は言った。
 彼は今どき珍しくかっちりと学生服を着こなした一部の隙も無いほどの学生だった。まるで学生服を着て生まれてきたみたいだ。学生帽まで被っている。なんか5年くらい前、後輩からお礼にプレゼントされたらしい。

「達磨も悟りを開くまで9年も座っていたわけだからね。こうやってみんなのきっかけを得るためのお手伝いをしながら徳を積んでいるんだ」

 柔らかな物腰でそんなすごいことをさらりと述べる部長に、求道者の佇まいを見た気がした。

 僕は居住まいを正して部長に尋ねる。

「僕は、どうすればいいんですか?」

 宇宙飛行士なんて絶対になりたくないのに宇宙飛行士になるきっかけをつかみたくて僕はここにいる。

「君の不安はよく分かる」

 部長の言葉いつもは優しい。しかしそれはいつも自分を厳しく律している者だけができる優しさなのだと、今になって僕は知ることができる。

「何事も行動だ。宇宙への道は遠いまでも、例えばペットボトルロケッ…

「嫌です」

「天体観…

「嫌です」

 そんなことをしたら宇宙への興味を持ってしまいかねない。
 だがそんな提案されることはちょっと考えれば想定できる。今になってそんな浅い発言をするだなんてちょっと先が思いやられる。


 いや、だが待て。

 これは自分できっかけをつかまねばならないという部長からの無言のメッセージなのか。


 だが僕は宇宙飛行士なんてなりたくない。だいたいあそこにはWi-Fiはあるのか。あったとしても、モニターかなんかで僕が今どんな動画を見たとかNASAの人にチェックされそうで嫌だ。それに美味しいご飯とか、スーパーで6割引きのステーキ肉を見つけたときの喜びなんかはないだろう。

 悩む僕を見つめる部長の目の奥に、厳しい光がある。野生の母狼が子供を見つめる目に似ている。


 きっかけ、きっかけとはなんだ。
 部長もこんな思いを抱いて日々学校生活を送っているのだろうか。

 いや、違う。この人は、きっかけをつかむために行動を起こしている。確かにああして多くの人に関わっていれば、中にはグラビア女優の親戚とか知り合いの人がいるかも知れない。いや、きっといるはずだ。

 すごい。

 口を開けてきっかけを待つのだけがきっかけ部の活動ではないことを彼が身をもって教えてくれているのだ。

 だったらやることは一つだろう。


「部長、僕も、部長のお手伝いをさせて下さい」

 もしかしたら、この先に宇宙飛行士になるきっかけはあるのではないだろうか。
 
 そんな予感がして、身体が熱くなった。宇宙にいくために小指一つだって動かしたくなんかないけど。

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