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ビジネスでの勝ち組になれ!『ゼロをイチにする法則』~第7章~情報解禁

第1章から第6章までは、ビジネスでの勝ち組になるための『ゼロをイチにする法則』について説明をして来ました!ここからは特別に、実際にわたしが実現した事例をご紹介して行きますので、是非皆さんの今後の行動・活動の参考にしてみて下さい👍


日本をサッカー大国にする⚽

2002年日韓ワールドカップ(以下W杯)開催決定
この時代の日本サッカーはどのような状況だったのでしょうか?
1993年にJリーグが発足、1998年のフランスワールドカップに初出場するなど、日本国内では盛り上がっているかな・・・💦という微妙な人気でした。
スポーツニュースで放映される時間の%では、野球が50%以上、サッカーは10%程でした。
サッカーファンの観戦スタイルは、サッカーが文化として定着していたヨーロッパと違って、スタジアムに観戦しに行くファンの70%が男性。しかも、ユニフォーム姿ではなく、学校帰り、会社帰りの服装そのままでした。
このW杯までのサッカー日本代表のユニフォームの販売枚数は10万枚を超えたことはありませんでした。
☆ゼロイチが動き出したポイント☆
当時のアディダスジャパン社長Christophe・Bezuはフランス人でした。
W杯の前回大会は1998年フランス大会
このフランス大会でフランスは見事開催国優勝を果たし、代表ユニフォームを30万枚販売することに成功しました。
当日のフランスの人口は5830万人でしたので、日本の約半分です。
『W杯で君たちは何枚のユニフォームを販売するんだ』 from Bezu
わたしは、フランスに負けたくない、Bezuに認めて貰いたい・・・その想いから、『フランスが自国優勝して、30万枚売ったのなら、日本は倍の人口がいるから60万枚販売します🔥』
この言葉へのCommitmentが、ゼロをイチへと導くきっかけとなりました。
この会話がスタートしたのは、W杯開幕の2年前(2000年)
開幕戦2002年5月31日~6月30日決勝戦まで2年間の出来事となります。
開幕戦はBezuの愛国、前回優勝国のフランス
対戦相手は、初出場となるセネガル
なんと、セネガルが1対0で優勝国フランスに勝利し、波乱の大会の幕開けとなった。フランスは優勝候補筆頭として大注目されていたが・・・事前の対韓国の親善試合で負傷したジダンの抜けた穴を埋めることができず、アンリトレゼゲシセと3か国のリーグ得点王を擁しながらグループリーグで1得点もあげられずに敗退した💦

そしては、日本の成績はどうだったのだろうか?
<サッカー日本代表W杯史>
1996年5月31日ヨーロッパ、南北アメリカ以外は初となるW杯は、21世紀最初のW杯となり、日本と韓国による2つの国の共同開催は史上初。
1993年5月15日にはJリーグが開幕
1998年フランスワールドカップでは1次リーグ敗退
初戦のアルゼンチン、クロアチア、ジャマイカから初ゴール(中山雅史)
2002年日韓ワールドカップではベスト16
初戦のベルギー戦では2-2(鈴木隆行、稲本潤一)
ロシアとの試合では1-0W杯初勝利(稲本潤一)
チュニジア2-0(森島寛晃、中田英寿)
初の決勝トーナメント進出するものの、1回戦でトルコに敗退
2022年カタールW杯では、ドイツとスペインに勝利したものの、決勝トーナメント1回戦でクロアチアにPK戦の末敗退
ベスト16の壁が現在のサッカー日本代表(FIFAランキング17位)だが、
FIFAランキングNo1のポジションを何度も獲得しているドイツに2連勝中🔥

⚽ ご期待ください ⚽

今回は基礎情報として記載しましたので、ここまで🤔
次回は、ユニフォームを60万枚販売するために行ったゼロイチを1つ1つご紹介して行きます。
✔日本ブルー化計画 with KIRIN,FamilyMart,DENTSU,JFA….
✔最強プロジェクトメンバーの紹介
✔川口能活選手獲得の裏側
✔270万羽の折り紙
✔渋谷をサッカーの聖地に
✔逆さ富士、機能性ウェアの採用
✔中村俊輔乳首事件
✔渋谷スクランブル交差点で巨大サッカーボールが落下
✔渋谷ゴミ拾い活動
✔1日20時間体制
・・・・・
⚽ ご期待ください ⚽
 


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