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ミャンマーで突然隔離対象になった話。

あっという間に4月が終わり、ゴールデンウィークも終わり、時の早さに本当に驚いています。笑

どこに行っても、コロナウイルス の話で持ちきりですね。

世界中で起こっている未曾有のコロナ騒動は、ミャンマーも例外ではありません。

各国に比較すると、最初のウイルス発症事例は3月末と遅かったものの、
感染者が10名くらいの段階で、外国人の入国不可能になり、空港封鎖、実質の鎖国状態に。1週間であっという間に鎖国が完成するスピード感はアジアNO.1だと思います。

その後、1名、2名と感染者が増え続け、
1ヶ月で、サービス業営業停止・タウンシップごとのロックダウン・対象者の隔離が進みました。

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鎖国も、ロックダウンも、通達されてから3時間後から施行!という、凄まじいスピードには、本当に驚き・・。振り回されている時間すら与えられませんでした。

(明日から緊急事態宣言を発令する、という猶予も一切ない)

そんな中、4月の私は、、、というと、
実は21日間ミャンマーで隔離対象となり、ホテル隔離となっていました。。。(実際は2日延長されて23日間)

突然の隔離通達

ミャンマーのお正月休み期間で、たまたま滞在していたホテルにて感染者が確認され、そのままホテルごとロックダウンし、滞在者・レジデンス住民も全員隔離対象となった。

その晩は、チェックアウトはできず、翌日延泊となるか、自宅隔離となるか、ミャンマーの悪名高き隔離施設に行くのか、、、
MOH(ミャンマーの保健省)が決定するとのお達し。結局、自宅隔離は許されず、ホテル延泊となり、部屋から出ることは一切禁止されました。

自分が隔離対象となるとは、夢にも思っておらず、通達された時は、頭真っ白です!!

が、真っ白になっている暇もなく、
リモートで引き受けている仕事も盛りだくさんあったし、新しくキャンペーンの企画もしていたり、
「この後、隔離されて仕事ができなくなったらどうしよう・・・・・」

「私の日常がなくなる」

「ミャンマーの隔離施設って・・・。」

というある意味贅沢な悩みもあったが、異国の地で隔離は恐怖一色です。

先の見えない恐怖と不安で泣きたくなりましたが、
ホテルには、警察?軍隊?やMOHの方が来て不穏な空気が漂い、スタッフの方が泣きそうな顔している・・・

それもそのはずですよね、私よりもスタッフの方が濃厚接触の可能性大です。12名の濃厚接触の方は、そのまま病院で検査対象となり陽性で入院した、と後からホテルスタッフから聞きました。(今は3名退院!他の入院したスタッフも良好とのことでした。)

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コントロールできないコロナや国の決定についてあれこれ思い悩んでも仕方がなく、その晩は寝ました。

ロックダウン通達翌日(2日目)、私のホテル延泊費が、隔離されながらも、1日75ドルの費用がかかることが決定しました。

1日75ドルは、もちろん不服かつ腑に落ちるものでもありませんでしたが、これまでの悪い行いの代償だったと思い、邪なことは今後一切考えない、と誓った。

割と楽観的な私の性格ですが、やはり隔離という状況下、毎日15時くらいになると、仕事が手につかなくなるくらい不安に襲われてました。

その時、仲良くなったホテルレジデンス民である、シンガポール帰りのミャンマー人から内線かかってきて言われた一言。

アウンサンスーチーの言葉。

「我らの母アウンサンスーチー氏は、15年間軟禁されていたんだ。僕らはたった21日じゃないか」

と。

頭上がりません。。

同じタイミングくらいにアウンサンスーチー氏のfacebookにも

”15年の軟禁を経験した私から、自由になれないことへの励ましを与えましょう。 これは終わってから振り返ってみると我慢"の力が残ります。我慢して(3週間)! 将来の可能性になる。
 
Thingyanの日に奮闘している私たちは, 幸せ, 健康で元気に満ちています.
勝ってみよう.”

と投稿がアップされていた。38万超えのいいね数、6.1万以上のシェアで、ミャンマー人にとっては、かなり勇気付けられるお言葉だったのかもしれません。

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私も、この投稿にはだいぶ励まされ、勇気を与えられました。

たった21日間の隔離を恐怖に置き換えて、すみませんでした。と大大大反省。

隔離が怖いといえど、部屋も、インターネットも、食事も用意されている。外に出れる自由はなくなったものの、思考は自由で、仕事も問題なく進められることができていることには、本当に感謝すべきことです。

むしろ、(お金はかかりましたが)食事が自動で出てくるのは、自炊しない私にとってはありがたかったかもしれない。

隔離=自由が奪われる

と思っていたものの、奪われた自由は「移動の自由」くらいでした。

時間の自由、経済的自由、は自分自身の思考次第で生み出せるもの。
この2つは他人に奪われることのない自由ではないだろうか、と。

隔離が不安と言っても、私にとって不安はいつでもあったし、たまたま今は「隔離」という言葉に不安が映っただけだなあと思います。

怖がり・臆病者・怠け者の私にとっては、きっと次は、違う不安要素が姿形変えて出てくるでしょう。

隔離生活のとある1日

完全にMOHの管理のもとでしたが、意外と普通に過ごしました。
(あくまで私の主観です。そして、私の隔離施設は、ホテルだったためインターネットも問題なく、仕事は日常と変わらず済みました。)

二度目は味わうこともないであろう、せっかくの21日の強制隔離生活!

21日は、習慣化するための良い数字だそうです。

なので、21日間続けることをピックアップして日常に組み込みました。

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早朝は、4時半起床で、
5時〜日本とつないでオンラインヨガ、瞑想、気功、スクワット

ヨガマットはなかったのでタオルで代用してましたが、途中で、MOHボランティアに交渉し、
健康保ちたい、コロナに打ち勝ちたい、と適当に理由を申し出て、ジムからヨガマットを調達に成功しました。笑

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7時半からいつもと変わらず、仕事スタート。

午前・夕方1回ずつ、MOHから電話がかかり、体温/ヘルスチェック。

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朝食やランチはこんな感じ。

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初日の食事が、ポテトとパンなど、これじゃ健康保てないな、と言う食事だったので、従業員とMOHのボランティアスタッフにWhat appで連絡。

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免疫アップ食材リストを送りつけ、「配給元のシェフに教えるように」と言ったところ、(元々のメニューだったかもしれないが)翌日から反映されてて感動!!

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ヤンゴン市内のいくつかのホテルが、隔離施設用の食事配給元となっていたそうです。
私の隔離ホテルには、ParkRoyalホテルと、Zaelax hotelから配給されていました。

他にはNOVOTELホテルも配給元だとニュースをちらっと見た。

Park Royalホテルは、私の滞在先と同様に従業員の一人が感染者となり、ロックダウン。途中、配給元が変更になりました。

Park Royalホテルがロックダウンになった日の食事は悲惨でした。
ホテルの従業員の騒々しさ・不安をこの食事が物語っています。笑

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バイオリズムのせいなのか、毎日15時頃には必ず不安に襲われて、仕事が手につかない時間がやってきます。

ビザの不安、オーバーステイリスク、自分が陽性だったら?、海外でコロナ入院したら保険は?お金は?施設どこ??仕事どうなる???

とか、今となっては、時間とともに過ぎ去った不安です。

夜は、オンライン飲み会主催したり、開催したり、勉強会参加したり、誰かと話したり。

たまに、従業員ともWhatappで爆笑動画を送りあったり。笑

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この間、喋ってくださった皆様、本当に支えられました。

MOH(ミャンマー保健省)に対する違和感

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ただ、隔離10日目くらいに、大きな違和感も感じてきました。

それは・・・・

「本当に、MOHはミャンマーなのか?」

ということ。

ミャンマーに滞在していたらわかる人も多数だと思いますが、

銀行も、ビザも、行政も、スムーズにいかないことばかり。
何年も続いていたシステム・ルールであるはずなのにいまだにルールが曖昧です。
改善スピードも遅いと聞いてました。

例えば、コロナの影響&ミャンマー鎖国で私みたいにオーバーステイになった外国人に対して、
外務省からは「延長可能、入国管理局で手続きせよ」という通達に対し、

入国管理局では、尋ねる人によってやり方が違う。結局最終的には、
「やり方は憶測でしかない、更新できるかどうかは知らない。」
と威張られて、敗北した。

(結局500ドルくらいの賄賂は払って申請中)

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(大行列な入国管理局)

しかし、MOHだけは、ルールの徹底と動きが本当に早かったです。

私が隔離された時点では、ミャンマーで感染者が確認されて1ヶ月も経たない頃で感染者も75名ほどでした。

にも関わらず、隔離対象・隔離中のルールは徹底されています。
ワーカーとしては、MOHのボランティアスタッフがメインで動いているそうでしたが、全員徹底されていました。

全てのルールは定かではないが、私の見える範囲では、

・朝・夕方に体温/健康報告の電話
・夜21時に全館消毒
・ゴミの回収の前にゴミに消毒
・スタッフは全員防護服
・食事は、ドアの外に配給(ほぼ時間通り)
・スタッフと隔離対象者は絶対に顔を合わせないように配給
・外部のデリバリーは5日に1回(薬、日用品のみ)
・Grabfood などは禁止。身元確認できる家族、親族、友人のみ可能
・ボランティアスタッフの門限・仕事時間の制限あり

他にも、防護服の着方、マスクのつけ方、配給フロー、消毒など色々あると思いますが、
少なくとも上のルールは徹底されていました。

働いているスタッフは、全員ボランティアスタッフと聞いたので、1日1万チャット(700円ほど)をドアの外に紙に包んでチップとして置いてましたが、1日も誰も受け取っていませんでした。

行政機関では、100ドル、500ドル単位で賄賂要求されるが、ここのボランティアスタッフは、1日もお金を持って行かない。

単純に、ボランティア活動でチップは受け取らない、という精神性の高さかもしれませんが、なんとなく、

「現金=菌」という教育・意識づけがされているのだと感じます。

もしくは、ボランティアスタッフが触って良いものも限られている可能性が高いです。

他にも、入国禁止の措置、鎖国、ロックダウンのスピード、営業停止通達など、日本の比ではないほど早い。決定スピードは、おそらくアジア1だったと思います。
(ロックダウンも鎖国も、3時間後から施行!という通達。本当に驚いた。笑)

外の行政機関と、MOHのスピードの速さ・ルールの徹底度を比較しても、本当に同じ国なのだろうか・・・

という1つの疑問が沸き起こってきました。

ここからは私の仮説にすぎませんが、、、

会計士の知人が言っていた一言が脳裏よぎりました。
「誰か中国から知恵をつけている人がいるのでは?」

当初はピンと来なかったですが、疫学の知識、過去の感染症蔓延も多くはなかったミャンマーにとって、コロナウイルス は本当に未知だったはず。

(中国や欧米は感染症に対して、ある程度の経験と恐ろしさを知っている。)

マスクや消毒も、中国から大量に寄付されているそうです。

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おそらくこの寄付やボランティアスタッフと一緒に、知識人もしくは、知恵、国策も輸入しているのでは?とも感じました。

1年後、中国のいう通りにならざるポジションになっていることは避けたいものです。
ミャンマーは、ミャンマーの意思を持って経済も、民間も、共に豊かになっていたい。

私のただの仮説なので、実際のところは全く知りません。

今は、MOHの動きも指示も追跡も早いし、国民からの支持も高そうなので、良い感じにウイルスとの戦い・共存に立ち向かえるように、共に努力はしたいと思います。

隔離中に起きた夕食だけ盗まれる珍事件。

21日間のホテル隔離中、色々エピソードはありましたが、
私の部屋に珍事件起こりました。

隔離2日目〜5日目の夕食だけが盗まれる事件。笑

通常、ドアの外に決められた時間に配給されます。

こんな感じ。

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朝食・昼食は、時間通りに配給されるものの、夕食だけ配給されない。

7時半に配給予定だが、8時になっても、9時になっても、食事が置かれていない。

不思議だったので、ホテルスタッフに連絡。

すぐにMOHに連絡を取ってもらったが、ボランティアスタッフは配布済みとのこと。

そして、ボランティアスタッフの外に出れる時間も厳格に決まっているため、
夕食を4日間受け取れず・・・・・

朝食とランチは予定通り配給されたので、リスト漏れもしていない、ボランティアスタッフは配給した、と一点張り。。

お隣の部屋の方(MOHのボランティアスタッフが住み込み)が盗んだ疑惑が浮上し、おそらく盗まれていたらしいです。笑

10日目くらいにホテルのGMから謝罪の電話とお詫びが運ばれてきました。

毎3食がっつり配給されるし、正直のところ、夕食は不要でした。
(あまり口にも合わなかった)

なので、「今日から夕飯入らない」と申し出たら、食欲不振だと疑わられ、健康チェックの質問責めにあったので、隔離期間中は二度と食事のお断りはしないと決めました。

あと、ホテルからのご好意なのか、チーズケーキを配給してくれました。これには本気で喜びました。笑

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私の求めていた自由について考えた

「隔離」と聞いて、イメージしたのは、「自由が奪われる」でした。

日本でロックダウンができないのも、
「命令ができない」「人権侵害」の法に触れるからと聞きました。

でも、いざ隔離されてみると、そんなに日常と変わらないことに気づきました。

確かに、「移動の自由」は一切なくなりました。求めていた海外を渡り歩く、なんて今のご時世もってのほかです・・。

一方で、ロックダウンは、人権侵害だ!と言われるほど、「経済的自由」「時間の自由」「思考の自由」は、一ミリも奪われていなかったと思います。

幸いなことに、リモートワークで働かせてくれているマレーシアの会社があり、依頼してくださる方もいらっしゃいます。

時間の自由も、24時間与えられ、濃縮した時間を過ごすか・薄く過ごすかは、自分で決められますよね。

思考の自由も、もちろん自由で、アウンサンスーチー氏は、軟禁されながらもミャンマーの民主化を実現してました。ホリエモンも、拘束されながらメルマガを書き続けたそうです。

ずっと「自由がなくなること」が怖いものと思っていたが、体は健康だし、仕事も健全で、自由とは何か、人権侵害とは何か、考えるきっかけにもなった21日間でした。

海外渡り歩きたい、何カ国も住んでみたい、世界で活躍したい、と言う想いは変わらないものの、大きく嘆くことでは決してなかった、と自分の器の小ささに、愕然とした。

「自由」は追い求めなくても、元々持っているものなんだ、と思いました。

ただ、そうはいっても、「自由」について議論できるのも、全体には当てはまらないことも実感しました。

今、リモートワーク中のミャンマー人スタッフ1名は、地元の村に帰省中。

最近知ったが、その村には電気がなかったらしい。
ソーラーパネルで1日晴天だったら2時間分だけ電気が使える、と言う状態。

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現状は、リモートワークの時間は1時間のみしか稼動できず。
デザリング対応で、インターネット代金は後日負担。

ミャンマーでも、リモートワークは普及しているものの、それができるのは一部の層だけです。

家も狭いので、ソーシャルディスタンスすら取るのが難しい。

リモートワークも、ソーシャルディスタンスも、ステイホームも、実は豊かだからできるのであって、私のスタッフや彼らにとっては、賃金保障・雇用の他に、「インターネット」と「電気」がなければ、成り立ちません。

そんな中でロックダウンが行われ、外出不可、営業不可、となれば、彼らは貧窮まっしぐらです。

多分、そろそろステイホームに悲鳴をあげる人も増えていくかもしれません。

少し隔離と離れた話だが、自由について考えるとともに、現実的な格差にも向き合わざるを得ないとも感じます。

話すと長くなりそうなので、別記事で思うままに書こうと思います。

隔離おわり。

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めでたく、満月の日に隔離がおわり、外出許可!(制限とルールつき)

昨日は、ミャンマーは48度だったそうです。1ヶ月前の38度がすごく涼しそうに感じてしまいますが、果たして、23日間一切外出も外の空気に触れていない私に48度という外の世界に耐えられるのか、、、

正直、外に出る喜びよりも、暑さにビクビクしてます。。笑

隔離前半は不安に襲われ、ミャンマーでの仕事には1ミリも着手できずモヤモヤしましたが、慣れてくるとエネルギーを注げるようにもなり、

隔離中に1つ新しいサービスも決まりました。(今、リリースに向けて準備中!)

隔離期間、メンタルを正常に維持させ、盛り上げさせてくれたのは、やっぱり「仕事」と「役割」でした。

ということで、アフターコロナ&ウィズコロナに向けて、今までの構想とはビジネスのやり方を考え直しつつ、連日、労働を喜びに変えられるような仕事を作れたらと思います。

皆さんも、喜びにあふれる週末をお過ごしください^^

追伸:

昨日、ホテル隔離となった従業員の全員の陰性と回復が確認されたとのこと。一安心〜!営業はまだまだ先かもしれないですが、従業員のみんな頑張ってほしいところ。MOHのボランティアスタッフも住み込み、少ないホテル従業員も隔離されながらも、住民のケアなど大変だったと思いますが、毎日のように電話やWhatAppで励まして元気付けてくれたり、感謝感謝。滞在費に加えて、スタッフへのチップ・寄付をクレカ支払い申し出たら、滞在費は政府か誰かの寄付で負担されることになり、私の支払い分はまるっとMOHに寄付する、とのこと。隔離ホテルとなり、風評被害も損失も計り知れないですが、さらに大変な人に対して寄付に回すというホテルの優しさ、、。潰れないように、応援したいなと思います。ヤンゴンきたら案内しますね。

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