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隔離後の人間の欲求変容とビジネス

こんにちは。

ゴールデンウィークも終わった今週末は、いかがお過ごしでしょうか?

私は1つ前のノートに書いた通り、23日間のホテル隔離から終わり、ようやく家に戻りました。

しかし、ミャンマーでは、タウンシップごとのロックダウン施行中。私も例外なく、ロックダウンエリアとなり、まだまだ室内から出れない日々は続きます。

21日間の振り返りとともに、アフターコロナ?ウィズコロナ?のコロナ時代にビジネスをしていく者として、どんなコンテンツが必要な時代になるのだろうか?
私のミャンマーでの役割は何か?

ばかりひたすら考えている日々。

本当に主観的な内容だが、コロナ時代にビジネスしていく人と、
少しでも誰かと何かヒントになることを共有したい、と思い

「隔離と欲望」という切り口で、コロナ時代のビジネスで需要のありそうなコンテンツを考察してみました。

私自身、ミャンマーで隔離され外にでれず、スタッフは村から戻ってこれず、経済活動がほぼストップしてしまったヤンゴンで、何もできない自分への不甲斐なさを感じ、悶々と時間が過ぎ去ります。

そして、コロナ時代に、どうやってミャンマーでビジネスをしていくのかを考えていた時に、まず人間の「欲望」について、隔離前と隔離後(今)で変わったことをまとめてみました。

人間の三大欲求・八大欲求の面から、行動変容と心理変容をまとめていこうと思います。

まずは、

人間の三大欲求

人間の三大欲求は、生きていくための最低限の欲求と言われている。
性欲・食欲・睡眠欲の3つ。

それぞれ、隔離前後とどう変わったか?をまとめます。

-【三大欲求】性欲について

正直、もともと性欲があまりない方なので、割愛。
いきなりすみません。

巷では、オンラインキャバクラも流行っているそうですね!
(何かのビジネスアイデアにでも。)

-【三大欲求】食欲について

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人間の三大欲求で、私が一番強いのは、「食欲」だと思う。

しかし、1日部屋の中から出ないので、食欲自体がありません。

でも、やはり、1日の中での楽しみの1つが「食事」でした。

隔離中は、配給センターからドアの外に運ばれてきます。メニューは選べず、決められた食事しか出てきませんでしたが、毎日の配給の時間になると、ドアの外が楽しみになります。

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一人暮らしで、3食しっかり食べる日もあれば、2食の日もある私にとって、
3食決まった時間に配給されるので、規則正しさは取り戻しました。
(3食食べることが吉かどうかは省略。個人的には、2食で十分)

食欲自体は、あまりなかったが、
決められた食事だったので、「〜〜〜が食べたい」という欲もほぼ出ませんでした。

しかし、甘いものがどーーーしても好きだったので、たまにお菓子が配給されるとテンション爆上がりしました。

次はいつお菓子が配給されるかわからなかったので、大事にお菓子を食べるようになりました。笑

-【三大欲求】睡眠欲について

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睡眠欲も、あまり変わりませんでした。

免疫を上げるには、「睡眠が大事!」という話を聞いて、睡眠にはこだわり、21時半には寝て、4時半起床。そしてヨガを始める生活です。

しかし、隔離された初日は、不安で寝付けなかった記憶があります。
「寝ている場合ではないかもしれない」という焦りに狩られていました。

個人差はあると思いますが、私は窮地に立たされると、その反動で、「不安」を想像したくないタイプ、、、なので、すぐに睡眠欲は取り戻しました。

いかに日中に、オンラインでも誰かと話し、笑い、思考して、という時間を持てるかが、精神を正常に保てるかどうかにかかっていると思います。

私個人で言えば、不安への怖さゆえに、オンライン飲み会の主催ばっかりしていた気がします。

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今後、何かを主催したり、楽しいことに飛びついたり、気の向くままに人の流れの中に入っていけることが、メンタルを弱くしないコツなのかもしれない、と感じます。


次に、人間の8大欲求の観点から、隔離前後の変化を記録。

-【八大欲求】生存欲

当たり前のようにあります!

隔離されても、死刑になるわけでもなく、配給もインターネットもあり、私の場合は、個室もあります。命の危険にさらされるわけでもなく、「隔離」への怖さはなんだったのだろうか?と今では思います。

-【八大欲求】食欲

上記の通りだったので、ここでは割愛

-【八大欲求】障害回避欲

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かなり大きく影響しました。

障害回避欲とは、「不安や怖い思いを忘れようとする努力」のこと。

やはり、最初は「隔離」そのものが怖く、恐ろしい存在でした。その晩は不安で眠れず、私よりさらに不安そうにしていた従業員の不安に満ちた顔も思い浮かんでしまい、なおさら。。

しかし、隔離が決定したその夜は意外と、「楽しいことを考えよう」と必死でした。

隔離翌日から、オンライン飲み会を4夜連続で主催し、話したり、爆笑したり、近況報告しあったり。

隔離された者同士、爆笑動画を送りあったり。笑

不安や恐怖を取り除くのは、自分自身の精神的努力も必要と思っていますが、やはり人との関わりや笑顔になれる会話をすることの大事さも痛感。。

インターネットがあったからこそできたオンライン飲み会です。

インターネットなかったら、もっと恐怖に埋もれていたかもしれません。

恐怖に埋もれないためにも、社会の中での「役割」や、「存在意義」を見いだせる場は、本当に大事だなあと実感します。

コロナ時代の今、誰もが「自分のお役目」について考えさせられる時期かと思う。

そんな時に、マイナスに転じないよう、「役割」を作れる場やコミュニティは自分を守り、育てていくためのビジネスチャンスにもなるかもしれませんね。

-【八大欲求】性欲

上述の通り、割愛。

-【八大欲求】安全欲

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「快適に暮らしたい」という安全欲は、やはり大きく発動されます。笑

今までの生活クオリティーを保ちたい、下げたくない、という下心は無意識のうちに発動されてしまいます。

隔離という限られたリソースの中でも、アメニティや必要最低限の生活用品(生理用品や薬など)は、初日にスタッフと相談し、調達完了!

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暇になる怖さもあり、隔離先の近くに住んでいる知人に依頼して、本や裁縫セットも♪

人間にとっての安全は、「暇にならないこと」なのかもしれません。(個人差あり)

-【八大欲求】優越欲

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人より良い生活をしたい、という気持ちは少なからずありました。
ホテル隔離でしたが、隣の広い部屋に行きたいなあとか。(あっさり断わられました。)

外の世界に対しても、競合にサービスを先にリリースされてしまうのではないか?
隔離されていない人たちは、もっと思った通りの現実を迎えているのではないか?

などなど、人と比較することももちろんありました。

でもやはり、身は拘束され、自分でできることは本当に限られている。
なので、優越や比較は何も意味をなさないと思う。

これは個人的な直感であるが、

コロナの影響で、人類のほとんどが、コロナ渦に巻き込まれても生き残れるか?が試されているように思う。

コロナに勝とう!
コロナに負けない!

という思考自体が、優越欲の現れだと思う。

コロナはコロナ。自分は自分。巻き込まれても、吹っ飛ばない自分ワールドの確立の方が急務な時代じゃないかな。

-【八大欲求】愛情欲

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こちらもあまり変わりはなかったように思う。
でもやはり、人の「痛み」を大きく感じるようになった。

従業員の不安そうな顔や、都度都度送られてくるWhat Appの文章には、

「I apologize~~」

と始まることが本当に多かった。
毎日のようにかかってくる内線でも、「不便をかけて申し訳ない」という言葉が節々に。
隔離されてても、「不安」の渦がじわじわと伝わって来てた。

そういった環境にいると、「痛み」が痛いほど伝わってくる。

今目の前の人にできることは何か?

どうやったら元気になってくれるのか?

などなど。
自分のできることは、本当にちっぽけですが、隔離ホテルの片隅からでも笑顔の原点になれたら良いなと思う毎日でした。

-【八大欲求】承認欲求

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「社会から認められたい」「社会の存在意義を感じたい」「人と繋がっていたい」
という欲求は、私は人一倍大きいと思う。

「隔離」という環境下、やはり最初は社会というよりも、ミャンマーから切り離される怖さというものはありました。

現場にいることが当たり前だったのに、現場には行けず、スタッフも村にいる。
現場にいない私なんて、、、と自分がミャンマーにいる意味もよくわからなくて悶々としてた。

そもそもこんな状態で、ミャンマーで必要とされていないのではないか、もう祖国に帰れ、というメッセージなんじゃないか、色んな感情もぐるぐると。

そう思っていたら、内線で日本大使館から電話で帰国意思の確認の電話など、帰国を迫られるシーンも数々とあり、

「一刻も早く、自分の意義を見出さねば」

という焦りにも近い感情がふつふつと沸き起こってきた。

そして、その焦りは、
SNSでの発信や、コミュニティでの発信、オンライン飲み会主催、ミーティング、仕事に向かい、ありがたいことに、いつも以上に忙しくなっていた。

具体的には、不安からSNSを見る回数もだいぶ増えたし、Twitterに関しては、会社アカウント含め、3アカウント開設して運用してる。最近は、Twitterマーケティングについて学んだので実践中。

あとは、ランサーズやクラウドワークスでの単純な仕事も探したし、マレーシアの会社でもやりたいことや新規集客、新規キャンペーンなど立て続けにやらせていただき、こんなにも、仕事とは楽しく、喜びに満ちていて、成長への実感を感じられることは、精神的にも救われるものなんだ、と改めて感じてました。

仕事=労働
仕事=自由が奪われる

そんな概念が多いように思うが、個人的には、

労働=喜び
仕事=成長

という感覚なので、仕事が増えることに対しては、何の違和感も不快感もない。

ボランティアでも、有料でも、何でも仕事を引き寄せた21日間でした。

労働を喜びに変えるような仕事は、今後の途上国での仕事づくりにも参考にしたい。

途上国に限らず、ベーシックインカム導入が言われてる中で、「喜び」をクリエイトできない会社には、人がいなくなるだろうし、

自分自身で「喜び」の定義ができない社員も、会社の重荷になっていくだけかもしれない。

まだ熟考中だが、私にとっての「喜び」もリストアップ中です。
一緒にリストアップしましょう!(皆さんの「喜び」の定義も知りたいな)


以上が、よく言われる「欲望」の概念と、超主観的な私の変化でした。

あと、個人的にも、世界的にも、とても変化の渦中にあると思う欲望が、
物欲と移動欲です。

ここからも、さらにとっても個人的な主観ですが、まとめてみました。

物欲について

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個人的には、物欲はあまりなく、買い物もほとんどしない。
化粧なんてもう丸っと5ヶ月していないことに気づいた。。笑

しかし、今回のコロナ自粛や隔離生活を経て、「コンパクトライフ」にしようと思うようになった。

コンパクトライフというより、「地球シェアライフ」が妥当かな。

今、食べている食事は、大地からの恵みだし、洋服だって地球のどっかで作られたもの。そもそも、人工的に作られた「お金」と交換しただけで、モノを「私有物」と思ってしまうのは、思い上がりでは?と思うようになった。

「世界はバランスでできている」

という言葉にあるように、

自分のものは、人のもの・国のもの・世界のもの、という感覚に2年くらい前に私の中で、「所有」についての価値観が変わった。

ミャンマーでは、マスクの寄付がそこら中で行われ、政府からの保障はほとんどないにもかかわらず、政府より先に市民が貧困層に向けて炊き出しが行われたり、食事の無償提供が行われたり。

ミャンマーの独特な文化「ドネーション」の1つの手段としての行動だと思われますが、私には何となく、「地球にあるモノをシェアしている」というように見えました。

すでに、太陽の恵みや、自然の美しさをいただいている。
幼少期に振り返れば、無償の愛を注いでくれる母や父がいる。ご近所さんや親戚の愛情だって受け取っている。

すでに、物も愛情も受け取っていることが多いと思うんです。

「世界はバランスでできている」

と考えると、
私自身、先に持っているものが多すぎるので、今は、持ち物を手放し、持ち物でさえもシェアしていかないといけないのでは、と感じます。

なので、物欲自体は悪いことではないと思いますが、受けとったものやその対価は、
それ以上にして誰かとシェアをしたり、誰かにお譲りしたり、そもそも過剰な受け取りをやめたり、という決断をしていく時期かもしれませんね。

移動欲について

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いろんな欲望がある中、私が一番強く持っている欲望が「移動欲」です。

人一倍移動欲が強かったように思う。

なぜかといえば、22年間実家を離れさせてくれなかった、という反動だと思います。笑

高校から大学の7年間を毎日2時間の満員電車で通い、一人暮らしも許されず、おまけに門限ありの家庭。。梅雨や夏の満員電車の心地悪さはもう二度と味わいたくないし、アルバイトのお金を全て満員電車の交通費で吹っ飛ぶ・・・という学生時代。

海外旅行なんてもってのほかで、家から出させてもらえなかった。
(結局、内緒で海外旅行した。事後報告な娘でした。)

そんな22年間だったので、その反動が「移動欲」となって浮き彫りになっている今です。

今年で、社会人6年目になりましたが、社会人2年目以降は、3ヶ月に1回は土日と有給を重ねて、海外を旅して、

ここ1年は2週間に1回のペースで海外旅に出て、それ以外の週末は国内旅行をしていた。

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そして今、ミャンマーはコロナの大きな渦に巻き込まれ、1週間で鎖国が完成し、行き来は一切できなくなった結果、

5年ぶりに、90日間同じ国・都市に滞在している。

5年間、移動欲にまみれた生活でしたが、
(というよりも、移動していないと落ち着かない移動症候群)
初めて21日間一切部屋の外に出られなくなり、移動欲は1ミリもなくなった。

今も、私の住むタウンシップはロックダウンで、不要不急の外出をすれば逮捕されてしまう。

欲がなくなった、というよりも、移動ができないという諦めに近いと思います。

でも、「世界を見たい」という欲は日々、ふつふつと湧き上がっていて、
私の未来構想は1ミリも変わってない。

これは欲望というよりも、希望だと思って、
日々世界地図を見たりもします。

隔離や緊急事態宣言を経てビジネスはどう変化するか?

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人はやはり、刺激や成長を求めて「外出をしたい」という潜在的な欲求はなくならないのでは?というのが私の仮説です。

今後のビジネスでは、ただのセミナーや、ただの買い物など、表面上の欲望の機能を満たすものではなく、
五感や喜びを満たすものが必要になるのではないでしょうか?

視覚:美しいもの、物体、自然、色
聴覚:美しい音、生の音、動物の音、自然の音
触覚:手触り、温もり、人の温かさ、自然の尊さ
味覚:(味覚とともに味わう)場の雰囲気、波動
嗅覚:人の香り、自然の香り、大地の香り、野生動物的直感

など。これらとともに、リアルの喜びを満たすビジネスが今後必須になっていくと、考えています。

仮説ですが、買い物や食事は表面的な欲求を満たすための「ツール」でしかなく、
そういった機能面は全て自粛期間でも満たせてしまうということが、今回の緊急事態宣言や、隔離生活によって明らかになっていると思う。

さらに本質的な人間の欲のようなものを満たせるビジネスが必要になりそうな気がしてる。

特に、消費行動について。

詳しい統計を取ってみたいなと思っていますが、
隔離中・自粛中の買い物は、ネットショッピングで十分。

食事も、室内で十分に楽しめたり、スポーツも最近ではEスポーツも流行っているそうだ。

室内ストレッチなど、ジムに行く理由も、わざわざ美味しい食事を求めて外出する必要も無くなっている。

もしこのまま、ベーシックインカムの導入が進み、
この自粛があと1年、2年続いても、多分死ぬことはない。基本的な欲望は満足させられると思う。

でも、やはり、人は「外に出たい」という欲望を持っていて、少なからず、自粛では味わえない「何か」を人は求めていると思うんです。

その「何か」は、波動だったり、五感だったり、誰かと共有する喜びだったり、
「機能」という次元を超えた世界が必要になるのでは?と思います。

おそらく、隔離・緊急事態宣言を経て、消費者の欲求の変化や、行動変容・心理変容は大きく変わったものと、変わらないものとあったはず。

私自身も、コロナ時代のビジネスで、
どういう視点から、社会を良くしていくのか?

何がベストか?

機能を超えたサービスとは?

などなど、日々ブレストしてます。

表面的な機能的欲求を満たすものだけではなく、喜びあふれるものを社会に生み出していきたいなと思い、お釈迦様のお誕生日だった先日、ようやく、サービス名も決まった。
(近々お披露目しますね!)

アフターコロナも、ウィズコロナも、社会が終わらない限りは、ビジネスも終わらないと思います。一緒に頑張りましょう〜!

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