3人目は余裕、なんてことはなかった。出産までの記録。
昨日、3人目の子どもを出産した。
出産はしんどくて、命がけの行為。でもあまりに辛い記憶が残ると「また産もう」と思わなくなるから、忘れるようになってるらしいよ。
そんな噂が出産経験者の間では出回っている。
ご多聞にもれず、わたしも上2人を出産したときの記憶がおぼろげである。今回がおそらく最後の出産になるので、鮮明なうちに記録しておくことにした。
※前提条件
・わたし37歳、娘9歳、息子3歳
・3人ともおなじ産院で自然分娩。2人目のときに無痛産院を予約しようと思ったが、すでに予約いっぱいで断念。早めの行動が大事と学んだ。
思いっきりクリスマスを満喫
予定日は1月6日。でも上の姉弟が2人とも10日早く産まれていたので、きっとこの子もそうなるだろうなと構えていた。
念のため、12月26日以降は予定を入れない方がいいだろうなぁ。年越しが病室になっちゃうのかなぁ。とそわそわ。
仕事自体は12月1日から産休をとり、そこから慌てて出産準備や保育園見学、色々手をつけてなかった行政手続きや家中の断捨離(主に大量の本)をしていた。
そして迎えた、12月25日。
この日は、朝からサンタ到来に大喜びする子どもたちに癒されていた。そして、なんと予定を3つも詰め込んでいた。忙しくしがち。
家族写真の撮影
2人目の時から恒例にしていたマタニティ 家族写真の撮影。近所の公園でフリーの写真家さんにお願いしている。
毎度のことながら、思い立ってお願いするのがギリギリになりがちで、この日になった。夜中からの雨もあがって、晴天のなかで楽しく撮影できた!息子の保育園仲間とクリスマス会
撮影が終わったその足で、クリスマス会へ。じつは息子のクラスの子と遊ぶのは、これが初めて。入園してすぐにコロナが流行したため、保護者会もなく交流の機会がほぼなかった。
ようやく子どもたちや親の顔と名前をおぼえた。9歳娘は唯一の歳上として、張り切ってみんなのお世話をしていた。身内のクリスマス会
夜は、わが家に両親と兄夫妻(タイから数年ぶりに一時帰国中)がやってきて、クリスマス会。息子はほぼ初対面の兄夫妻に緊張の様子だったが、サンタさんにもらったレゴを黙々と作ってもらってすっかり懐いていた。
家族で集まること自体がめちゃくちゃ久しぶりで、すごく楽しかった。
そんな予感はしていた、陣痛のはじまり
そんな怒涛のスケジュールをこなしていた25日。
わたしは前日の夜から、やや不安を覚えていた。なんか、定期的にお腹が痛い。
上の子どもたち2人を出産したときは、どちらも先に破水して入院。事前の陣痛の予兆がなくて、陣痛促進剤を打って出産したので、じつは普通に陣痛を迎えるのが初めてだった。
これって、陣痛なのか……?
3人目にして、いろいろ分からないことが多い。
一応陣痛アプリをインストールして、記録をはじめた。こんなの9年前の初出産の時はなかった。便利な世の中になったものだ。
だんだん間隔が短くなっている気がする……クリスマス会の最中も時々襲うプチ腹痛にやや不安を抱えていた。でも、まだママ友に「今日産まれるかも(笑)」と軽口をたたくくらいの余裕はある。
夜になるといよいよ頻繁になってきた。
じつは義姉が元看護師で産科の経験もあるので、お腹を触ってもらって、病院への電話を勧められた。一回あたりの痛みもやや強くなっているが、普通にしゃべれるくらいは余裕がある。
前回までの経験から「陣痛=めちゃくちゃ痛い、歩けない、しゃべれない」と思っていたから、まだかもなぁとぼんやり思っていた。
でも、病院に電話したところ「一度帰ってもらう可能性もあるが、診ておきたいので入院準備して来てください」と言われる。
突然のママとの別れに娘、半泣き。
とはいえ、子どもたちが楽しみにしていたイベントが、すべて終わってからのタイミングでよかった。空気を読んでくれたのかもしれない、ありがとう。
立ち会い不可なコロナ出産の辛さ
上2人の出産時は陣痛の待機部屋で夫に付き添ってもらって、陣痛のたびに腰をさすってもらっていた。正直、それがないと乗り越えられなかったと思う。
ただコロナ禍のいまは、立ち会い不可。ひとりで耐えきれるのか? これはもともと不安だったけど、やっぱり辛かった(涙)
痛みが襲うたび、ひとり悶える。自分で腰もさすってみた。助産師さんが定期的に来てくれるので、そのタイミングで陣痛がきてほしいなぁと思っていた。さすってもらえるから。
ほぼ一睡もできずに迎えた朝。
朝食も用意してもらって、がんばって少しだけ食べたけど、起き上がるとおそう陣痛。噛むとおそう陣痛。いててててて、となかなか食は進まない。
結局食べすすめてしばらくすると、痛みは絶頂に達しかけていた。
助産師さんがやってきて「ごめんね、がんばったね」と褒めてもらった。小さな産院とはいえ、他の入院患者さんいるしいろんな面倒見ててすごいなぁ、神々しい。
内診してもらうと子宮口(赤ちゃんが出てくるところ)が全開に近づいているから、分娩室へ行きましょう!と急展開。
夫に瀕死の状態で電話して「いまから……分娩室行く」と言い残して、切った。当人は、この時のわたしの声がやばすぎて、かなり心配になったとこのこと(後日談)。
もう出てこないんじゃないかと諦めかけた分娩台
上2人は、分娩室に入ってから30分くらいで出てきたので、もう会えるのかぁと少しだけテンションが上がった。ただし、めっちゃ痛いのは続行中。
フラフラになりながら、台に上がる。言われるがまま、点滴打たれたり、血を防ぐためのものを色々装着されたりする。
助産師さんから先生に「そろそろ産まれます」と電話。わたし以外にも、産気づいて入院したひともいるっぽいことを知る。
先生やる気だったわ、お産になると張り切るからねぇ、張り切りすぎも困るけどねぇと助産師さん同士で話していた。謎の会話、記憶に残りがち。
イキむのも数年ぶりだから、こんな感じかな?って雰囲気でやってたけど、ちょっと下手になっていた気がする。
とにかく出てこない。陣痛がくるたびにイキんで、めちゃくちゃ体力を消耗するのだが(助産師さん曰く100mの全力疾走なみ)、出てこない。
もう頭見えてます?と何回も聞いてしまった。
出ない〜〜〜と半べそをかきかけた。助産師さんも、苦笑い。後ちょっとなんだけどねぇ、と慰めてもらう。経産婦、もっと楽勝だと期待していたよ。
「お産は一人ひとり、みんな違うね」
そう声をかけてくれた助産師さんの言葉が沁みた。
イキみすぎて、喉がカラカラ。これも途中で気づいたけど、過去2回の出産は夫が立ち会っていたからいい感じで給水してくれていたんだなと。今回は定期的に「み、水を……」と訴えた。
あと、何回か足がつった。これは3回目にして初。出産で足つるのしんどいから、みんな気をつけて。
結局、なんと2時間経過。先達妊婦たちの「へその緒が絡まっていて、結局帝王切開になった」エピソードが脳裏に宿る。え、これ出てくるのか?
先生がやってきて、お腹を押して吸引しましょうと話している。
限界に近づく体力の狭間で、最後の力をふりしぼってイキむ。出てきて〜〜〜と心の底から叫びながら。
子どもたちのかけ声に癒される
分娩室に最長30分、家族(夫と子どもたち)は立ち会えることになっていたので、ここにきてずっと待機していた3人が部屋に呼び込まれた。
久しぶりの家族の顔にホッとする。子どもたちは心配そうな顔。「ママ、がんばれーー」の声にめちゃくちゃ癒された。
そこからはイキむたびに先生や助産師さんがお腹を押して、下からも引っ張って。押す方式になって2回目のイキみでようやく!出てきた!!
毎度のことながら、こんな大きな生命体がよくぞお腹で育って出てきたもんだと感動する。でかい。髪めっちゃ生えてる。爪長い。
なにより、産まれる瞬間を子どもたちに見せられて、よかった!
産後も待ち受ける、たくさんの痛いこと
出産のたびに思うこと。それは「産後も痛い」。
初出産のとき「そんなの聞いてないよ」「出産したら、そこで終了でしょ」と思っていた。
産んだそばから、胎盤(お腹で赤ちゃんが入っていた袋みたいなやつ)を子宮から取り出したり、出産で痛んだ箇所を縫合したり、残っている血を吐き出すためにお腹をまた押されたり、点滴追加されたり。あぁ、なんというか、とにかく痛い。
子宮も収縮をはじめるので、定期的に痛い。お股もまだ傷だらけだから、座るのも歩くのも痛い。
※産後1日経過した現在、お腹の痛みに悩まされている(涙)
あとあと。イキむときに、腕と足をめっちゃ踏ん張るので、全身筋肉痛。叫びすぎて、喉も痛い。
産後の妊婦、どうか労ってやってくださいという気持ち。
これから、家族5人での生活がはじまる。さいわい、大晦日にはお家に帰れるようなので、新年をみんなで迎えることを楽しみに。
この怒涛の2日の記録は、数年後に読み返したら、きっとおもしろいんだろうな。
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