司法書士と人の死


1 死に関する司法書士の仕事

 司法書士の仕事は、人の死に接することが多いです。
 ・相続登記の代理
 ・遺産承継業務
 ・遺言書の作成支援
 ・遺言書検認申立書の作成
 ・遺産分割調停申立書の作成
 ・相続放棄申述書の作成
 ・相続財産管理人選任申立書の作成
 ・相続財産清算人選任申立書の作成
 ・不在者財産管理人選任申立書の作成
 ・失踪宣告申立書の作成
 ・死後事務委任契約
 あっという間にいくつもの仕事が頭に浮かびます。

 最も直接的に死に関わると思われるのは、後見人等として、被後見人等の亡骸を目の前にすることです。この瞬間が、最も人の死に直面する場面ではないかと思われます。ときには、最初の発見者になる可能性もあります。在宅で生活されている被後見人等を訪ねた際、もしかすると、ということがあり得ます。

 そのとき、どういう感情になるでしょうか。人の亡骸を目にしたことがあるか否か、これは一つの境目かもしれません。考えてみれば、人が死ぬのは当たり前のことです。この世に絶対があるとすれば、私もあなたも含めて人間全員が死ぬことです。

2 日常と死

 しかし、健康的に日々の生活を送る中で(自分は死ぬ)と思って生きている人は少ないでしょう。不思議です。もしかすると、怖いからなのかもしれません。私は、正直、怖いです。自分が存在しなくなるということの意味がわかりません。自分は存在しなくてもこの世は続くと理解できます。でも、それはもう、自分にとっては何の意味もないことではないかと感じます。

 では、怖いから、死を考えなくてもよいのでしょうか。冒頭に挙げたように、人の死に接する仕事をしているのにもかかわらず、死を考えなくてよいのでしょうか。自分の死と向き合って遺言書を作成しようとする人や死後事務委任契約を模索する人の支援ができるのでしょうか。依頼者にとって一定の人間関係がある人の死―そして、それは多くの場合、大切な人の死―によって生ずる様々な相続関連業務ができるのでしょうか、自問します。自らの死生観とそこから生じる司法書士業務の考え方とはどのようなものか。

3 自らの死生観と司法書士業務

 自らの死生観と司法書士業務について考えることを思いつくままに箇条書きにしてみます。ときに後見人等として、ときに遺言の相談を受けた司法書士として、死後事務委任契約の相談を受けた司法書士として、遺産承継業務を受けた司法書士として。

1 死を忌み嫌うことなく、当たり前のこと、誰にでも生じることとして受け入れる。
 自分自身の死を含めて人が死ぬことは当たり前のことと受け止め、必要以上に感情を動かされない。相続登記の依頼が来るたびに涙する司法書士はいない。

2 自らの死や大切な人の死と向き合うことによって怖さや寂しさを感じる人がいることを認識する。
 自分自身も死を怖いと感じるので、共感できる。

3 その怖さや寂しさを0にしてあげることはできない。
 どうして差し上げることもできない、ということを受け入れる。安い言葉を並べるより、黙って話を聞く方が相手に届くこともある。

4 その怖さや寂しさを0にしてあげられなくても、もしかすると少し減らしてあげられることはできるかもしれない。
 
不安なことや心配事を正確に聞き取って取り得る手段を考える。心情を想像して違う視点からも考えてみる。相談者が気づいていないことがあるかもしれない。ときには人にアイディアを尋ねてみる。考える。

5 この世で会った最後の人間に自分がなるかもしれない。
 
終末期を迎えていると思われる方と会う時は、今日が最後の面会かもしれないと思うこと。遺言の相談者であれば、とりあえず現在の想いを自筆証書遺言に書いてもらう。遺言は何が何でも公正証書でというステレオタイプの仕事をしない。被後見人さんであれば、楽しい話をする。会話ができるのであれば、話をしてもらう。笑顔で辞する。

6 依頼者が確認できない依頼者の死後のことを託されることがある。
 誰に、何に、何を、どうしたいか、それはなぜか、目の前の相手が今何を思っているのか、必死に考える。一番心配なこと、心残りになりそうなことを想像する。

7 自分の対応で社会が変わることはなくても、目の前の依頼者の心情は変化する。
 自分の仕事ぶりで、会話で、何気ない態度で、依頼者の気持ちは変わる。立場を逆にして考えればわかること。例えば、電話口の相手の一言で自分が嫌な感情になったり、店員の何気ない態度で嫌な感情になったりしたことを思い出す。反対に、不相応な高評価を得ようと取り繕うこともしない。可能な限り一定の対応を心がける。できる範囲のことを確実に行う。できない範囲のことをしっかり伝える。

8 その人を知る。
 その人が、どこで生まれ、どこで育ち、何を考え、何をして、何が記憶にあり、どの時代を、どういう社会的地位で、どういう家族関係の中で、そして今何を思い自分の目の前にいるのか。なぜうちに連絡したのか。できるだけ点ではなく線で考える。事実は自分の想像を超えている。その人の思想信条を受け入れる。


4 結局

 人生経験が長くなれば長くなるほど誰かの死に接する機会が増え、そのたびに何かを感じ、何かが変わったり、何かが揺るがなくなったり、そんなことを繰り返しているうちに、あ!と、自分が死を迎えているのでしょう。自らの死を考えることで、自らの生を考える、自らの生き様を考えることになるのかもしれないですね。

 あー死にたくない。生きたい。アレもしたいしコレもしたい。アレもしたいしコレもしたいということは、時間を使うということ。時間を使うということはそれだけ死に近づくということ。

 我が人生は今、お昼どきかしら。
 それとも、夕暮れ時かしら。

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