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伐倒、尊さと儚さの連続

先日、チェーンソー講習に行ってきて、無事に業務で伐倒することができるようになりました。

自分で木を伐り倒して、搬出して、乾燥させて、プロダクトにしてみたい。
その夢を叶えるべく、最初の1歩目として伐倒できるようになりたくて講習に参加しました。

講習に参加したメンバーがみなさん女性で、知り合いの方もいらっしゃったので、終始たのしくエネルギッシュな3日間でした。

講習の3日間で、2本も伐倒させていただきました。
わたしは幸運なことに、スギもヒノキも倒させてもらいました。

1本目を伐るときはとにかく夢中で、教えていただいたことを復唱しながら、倒れるかな…無事に倒れるといいな…と思いながら倒しました。
自分のことに精一杯で、「た、たおれた…!!!」と倒れてから、自分が伐倒したことを実感しました。

その後、他の講習者の方が倒したときに、涙が出そうになりました。

そして、前に木こりさんに聞いたことばを思い出しました。
「命をいただきます、と思って伐っている」
そうか、これが命をいただく瞬間で、こういうことなんだなと…。

50年生を伐採させていただきましたが、この地を見守ることから離れ、倒されていった木。そして、運ばれ、使われる。
なんだかこの尊さを受け止められなさそうで。受け止め方がわからなくて。
そんなときに、「第2の人生を歩んでいくね」と他の方がおっしゃって、受け止め方がすこしわかった気がします。

倒す前も倒した後も、愛しさと切なさとありがたみと尊さと…いろんな感情が込み上げてきて、その「木」と向き合うことができました。
なんて尊くて、なんて儚くて。
次につながってゆく、バトンをわたす行為でした。

残された木々たち、そこに暮らす生き物たち。
伐られて次の人生を歩む木。
伐採という、その木にとって残酷かもしれないけど、少し先と遙か先を同時に見ると、みんなにとってプラスに思える。
少し先を見れば、木にとっての第2の人生。
遥か先を見れば、木々や生物の礎となる森づくり。
林業も森づくりも、尊さの連続とその積み重ねだと感じることができました。

1本の木を伐り倒すこと。
それだけかもしれないけど、自分自身の森づくりへの解像度がぎゅるんと上がりました。

わたしたちの生活につながる森。
身近なはずなのに、どこか遠くて、得体の知れない場所。
「誰もが気軽に入れる森もつくりたい」
このことの意味も、意義も、体感として覚えることができました。

自分と森の距離を近づけていくこと。
まずはここから、始められてうれしい気持ちで満たされています。
このうれしさが溢れ、波紋のように広がっていくことが、森づくりを助ける力になるといいなと思います。

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