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上司の話とノルウェイの森との共通項
思ったり思わなかったりすることが、毎日のように繰り返されます。
こうして書いているときも、「これは本心なのか?」と思うことが多々あるし、「別にこれが本心じゃなくてもいいかもしれない」と、自分を肯定することもあります。
いまの自分にとっての本心であるはずだし、この先は決めたことが揺らいじゃうことだってあるかもしれない。
ひとつひとつの決断が、粒で、粒が連なっているだけに思えると、もしどこかで「やっぱり違うかも」「こうじゃないかもしれない」と思ったとき、粒を取り替えたり上書きしたりで、連なりを変えることができるんじゃないかと、思ったり思わなかったりするのです。
昨日、車で移動しているときに、上司と話しました。
移動時間は1時間半。わたしは会話を続けるのがとことん苦手だけれど、上司は話好きで、しかも印象に残る話ばかり。新卒2年目のヒヨッこと一緒に、自分たちの小さな会社の戦略を考えてくれます。
中庸ではなく中道的であり続けること
広告ではなく広報のアプローチで社会と接点を持つこと
二項対立で語られそうなところを敢えてどちらの肩も持つスタンスで臨むこと
そんなことを話しながら、なんてわかりづらくて魅力的な会社なんだろうとつくづく感じていました。
思ったり思わなかったり、行ったり来たりしていることは、ずっと立ち止まって平行線を辿っているように思えるし、見方によっては遠回りに見えてしまうかもしれません。
でも、思ったり思わなかったりすることは、思考を止めない手段であり、ぐるぐるとどこまでも続く螺旋階段のように、正解ではないけど納得のいく場所に向かって登っていくのです。
わたしは足踏みをしがちですが、上司と話していくときに、スイスイっと階段を駆け上がっていく感覚は、気持ちがいい瞬間です。
理解するまでに時間がかかることもあり、言葉を失うこともあるのですが、それでもなんだか前に進めているような、しばらく経って「ああ、そういうことか」と身体で理解していく感覚。
見ている世界がすべてではないと思うけど、今見えている世界は自分にとって一旦のすべてでいいと思う。
世の中は考えすぎくらいが、ちょうどいいのかもしれない。
つい最近、『ノルウェイの森(上)』『ノルウェイの森(下)』(村上春樹,講談社文庫)を読みました。
この小説が登場した際に、帯には「100%の恋愛小説です」というキャッチコピーがつけられました。
正直、主人公のワタナベが考えていること、よくわかりません。
でも、恋愛に対して彼がよく考えていることや、思ったり思わなかったりしていることは、この小説の中で一貫しています。
裏表紙のあらすじにはこんなことが書いてあります。
あらゆる物事を深刻に考えすぎないようにすること、あらゆる物事と自分の間にしかるべき距離を置くことー。
村上さんが、思考停止させない主人公を描きたかったわけではないと思いますが、ワタナベは深刻に考えすぎないために考えていること。それが情景描写とともに、ワタナベの心の揺れ動きを描くシーンが多かったと印象に残りました。
何かを考えすぎてしまうくらいに、自分が熱中して考えられること。それがノルウェイの森で言うと恋愛をテーマにしていたのですが、引いてみると恋愛だけじゃなく仕事も暮らしもそうなんだろうなと思います。
ちなみにこの小説の感想を見てみると「よくわからない」が多く、たしかにこれは恋愛小説なのかもよくわからないです。
他の登場人物を含み、最も焦点の当てられたワタナベでさえも、心の内がわかりません。
直接的な表現はないけれど、思ったり思わなかったりを繰り返す様が、全体で描かれていて、読み応えも考えごたえもある作品です。
上司との話とノルウェイの森。
似ているようで、どこかこじ付けですが、それでもわたしにとってはなにか共通項があるような気がしてならないのです。
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