カッティングプロッターを処分して、プレス機もTシャツを彫るに譲ったので、手持ちの武器は失ったのだけど、Tシャツは増えるばかりだ。 冬も近づくというのに、また半袖Tシャツを作ってしまった。岐阜でお知り合いになった人がシルクスクリーン製作を始めたということで早速、注文をしてみた。 パンチパーマあてたい もう10年以上もあてれてないので、もはや怨念がこもっていそうなワードが並ぶ 英語圏の人にもやさしい、英語併記。 同じような願望系Tシャツでいくと、サウナイキタイTシャツが
Tシャツを自作していた頃は、50枚とか100枚とかの無地Tをまぁ、日常的に購入していたのだが、悪い病気が再発したようで相変わらずTシャツを買いまくっている。 この冊子は大須骨董市で「フォントが良いのでお好きなら。」と譲っていただいて、既にカッティングシートでTシャツ化している。ネットでTシャツを作れるらしいということを知って、最初に作るならこいつだ!と思い立ち、 (多分、ダイレクトインクジェット)で出来たのがコチラ。 更にさらに、Tシャツとか帽子とかに刺繍してくれるところ
Tシャツを自作することが無くなって、そのエネルギーを人が作ったTシャツに向けている。日々の食事もそうで、人が作った飯を食い続けていて、そろそろ自分で料理しようかな。と考えている。(正月のがめ煮が食べれなかったことが残念) 「自作かそうじゃないか」ということは自覚的でないといけないと思っていて、油断すると何もしなくなる。自堕落という言葉があるが、それが叶ってしまう環境に置かれている。砕かれたいと常日頃から思ってきたが、予期せぬ形で叶ってしまった。とも言えるかもしれない。 個
「お父さんTシャツもうやめんの?」 と息子から問われ、まぁそうなるなぁ。と答えると大変残念そうにされた。 そっかぁ…と落ち込む息子に妻が、「また機械集めてやりだすような人だから安心しな」と励まし(?) 改めて自作Tシャツを作り続けてきたことが一体どういった現象だったのかを振り返りたい。私自身がTシャツの人で認知されたのは間違いなくて、15年ぶりにONLINEで集まったのだが、私への関心事は音楽やってるのか?Tシャツ作ってるのか?ということだった。進化がないというか、しつこ
「舞台挨拶終わったら、店戻るけぇ」 11月19日16時。映画の初日にも、普段通り仕込みを行う。 舞台挨拶という特別をポケットに入れながら仕込みを終えたその人は、4時間半後には喉ちんこが見えるほど大きく口を拡げて横川シネマでギターを鳴らし絶唱していた。 配信3部作を鑑賞したのが去年の12月。 『海と川の境い目ってどこかね』 という台詞が引っ掛かっていた。境目を意識する瞬間は苦しい。 汽水の中にいる犬は溺れているのか、泳いでいるのか。水面からはわからない。 兄弟は衝突
喫茶店のコーヒーチケットが残り一枚になった。 家から徒歩2分で着き、朝5時から空いている。夜は17時に閉まる。 数ある喫茶店の中から、ここに通いつめている。 喫茶店通い念願の「いつものでいいですか?」というシチュエーションも経験したし、週刊文春を置いてくれるようになったので申し分ない。週刊ポストのエロいグラビアの袋とじは店主の強い思いがあるのだろうか。事前に綺麗に切り取られていて、跡地として思いを馳せることができる。 いなり寿司二つとホットコーヒーと茶碗蒸し。 相性がいいのか
寮で過ごした4年間が終わった。 入寮した時には、誰も知り合いいないし、心細かった。 病院みたいな壁と鉄のベッドにも慣れて、仲間ができた。ロビーでピアノを弾いてると、猫が寄ってきて、猫を膝の上にのせて弾いていた。 携帯電話も普及していない時代だ。 俺も大学2年になってやっと携帯を持つことになった。ロビー当番といって、外線を取り次ぐ係が持ち回りで回ってきた。男子棟2名、女子棟1名。19時~21時くらいで店番みたく、外線の前に陣取る。後輩を無茶苦茶可愛がっていたので、差し入れに
1.朝の散歩を復活させたいが寒くて、朝起きるが寝床で音源聴いてる 2. 骨董市で前掛けを手に入れる。一つ500円。で計7個。 3. うなぎ蒲焼のオレンジ色の前掛け 4. 前、オレンジ色の漬物前掛け買ってくれた人が買ってくれるかも 5. 買い物が兎に角早いけど、骨董市は買おうかどうしようか悩むことが多い。 6. 実用性があるものは少ないので、面白いかどうかを判断基準にしている。 7. 相撲の絵(3000円)を買いたかったが、今回は見送る。(その後の骨董市で無事に手に入れる。10
爪の垢を煎じて飲む ということわざがある。 「爪の垢みたいな微量で汚くて捨ててしまうような」ものでも優れた人のものであれば薬みたいに自分の中に取り入れるべきだというものだ。微量でもガンぎまる爪の垢、欲しい。自分の耳の後ろとかを触っているとたまにとんでもなく臭い時があってアナルの匂いがする時がある。それを手に纏わせながら仕事中に嗅ぐと眠気が覚める。顔から一番遠い肛門の匂いが耳の後ろからに匂ってくるという人間の神秘性にワクワクする。爪の垢を煎じて飲むということわざの由来を調べた
単純作業しながらとか運転しながらラジオを聴くということは、永くやってきたが、特定のものに定期的に感想を書くということはこの3年くらいで特化してやっていることだ。 テレビを観ていて、「これは書き留めとかなくちゃ」というものは都度ブログに垂れ流し状態で書いてきたが、「感想」というのは感想を書く対象が居て特別感がある。というのを最近になって漸く気づいた。 負けず嫌いの天邪鬼という捻じ曲がった性分なので、自分に感想がマッチするなんて想像もしなかった。どちらかと言えば、自分のアウトプ
照れ隠しという生き方 親子 丼 とりあえず と 朝 起きる とりあえず と 昼 寝する とりあえず と 夜 ふかす シーチキンのフタの鋭さ タラコスパゲッティはしょっぱくもあり なおも 別の食べ方を模索している 瞬間に 芳香剤 は 匂い 痛感す 空の 青さよ フグ 喰う まだ 鯛 続く マダガスカルへの 道 通過点は 通過点でなく 触媒は 塩化ナトリウム 中心は 中心にあらず 照れは 箱にしまっておいた 宿題が 算数の 国語
わたしはあなたと同じじゃない 忘田 正司 孤独な好きな私と、人ごみが好きなあなた。 今日の夕刊。 長寿の亀。 辛抱ならん、太鼓の音。線路の電車の音。 宅急便で幸せが買える時代。 塩分過多。 超常現象というが、あれは本当に超常か? 自然は時に、想像を超える。 突然の減量。 遥かなる頂。 通り抜けるジャージ。 玉子焼きとツナ。 カーテンの向こう側。 塾の帰り道。 是非とも、ハワイはアロハで。 止まることのない寄り道。 あなたは私
人生の終わりの時に望むものはとてもシンプルだ。「好きな人に会うこと」「好きな食べ物を食べること」 「私・家族の命」と「集団の命」を考える時、どちらに重きを置くかはその人次第で他の人が決める権利はない。ただ、俺の人生を振り返っても今ほど「集団の命」がクローズアップされていることはない。他者の気持ちを考えなさいという教育を受けてきたし、みんなもそう信じてきたと思う。はっきり言って、自分が我慢すれば他者の負担や哀しみが軽減することはない。そう刷り込まれてきた、だってその方が管理しや
今はパッタリなくなってしまったが、結婚式にまつわる様々なことを依頼されることが多かった。一番多かったのが余興。Rolandのシンセを背負って前日には現地入りし、司会の方と綿密に打ち合わせをし、ホテル近くの飲み屋で地元のおじさん達と飲み明かし、本番に挑むというのがいつものパターンだった。式で流れる馴れ初めVTRも作ったし、ウェルカムボードも作った。 変わり種だったのが、新郎新婦にTシャツをプレゼントしたいという新郎のお父さんからの依頼だった。「Tシャツ作ってんすよー。」と飲み
10年以上かっぱ寿司には行ってなかった 最後に行った時に、茶碗蒸しが冷たくて温め直してと言ったら、まだヌルくて再度お願いしたら、持てないくらいに熱くして持ってきて完全にブチ切れて店長呼べテンションで詰めよって、もう来ないと決めた。 散歩コースで必ず通っていたが、いつしかかっぱのマークは消え去り、個性を失ったような外観で『生まれ変わりました』感を出していたが許せるはずもなく、素通りしていた。 ある日、散歩してたら「朝食始めました。」というのぼりがかかっていた。8時から開け
バター犬には勝てなかった