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インドの中心で人権を叫ぶ インド仏教最高指導者の日本人と出会った話 (2)アンベードカル博士

前回、インドのカースト制度について書きましたが、今回はカースト制度を覆したビームラーオ・アンベードカル博士について書きます。

インド憲法の父

1949年に成立したインド憲法は世界最長の憲法として知られています。
そこには信教の自由やアファーマティブアクション(議員の議席などにマイノリティ枠を設ける優遇策)などを定めたとても近代的な憲法です。
その憲法制定議会議長で当時の法相がアンベードカル博士です。

インドは当時イギリスから独立するタイミングであり、さらにインドという国は多民族多宗教のるつぼ。そこに一筋の憲法を通すということは文字通り命をかけた大事業だったとのことです。

アンベードカル博士は秀才で、ボンベイ大学、コロンビア大学、ロンドン大学を出ています。ネル首相はこの大事業を成し遂げられるのはアンベードカル博士しかいないと白羽の矢を立てたといわれています。

アンベードカル博士の出自

実はアンベードカル博士はアンタッチャブル出身です。
しかし、当時の藩主がいわゆる名君といわれる人で教育の機会と奨学金を与え、その機会をしかとつかんだアンベードカル博士は海外で経済学・社会学・歴史学・哲学・人類学・政治学・法学の研究を深く行い、そこに世界を知り、実力で人を見たネル首相が法相に引き上げたのです。

インド憲法はこうして針の穴を通すような確率のもと、成立したといえます。

アンベードカル博士のその後

アンベードカル博士はその後、仏教徒に改宗しています。法律上カースト制度を廃止したとしても、社会は急には変わりません。そこで先陣を切ってカーストの呪縛から逃れる方法を示しました。そして、同時にカーストの階級を越えた結婚をしており、お相手はバラモン出身の女性でした。
我々の感覚におきかえると、皇族がウォシュレットと結婚するような感覚だったのかもしれません。

そして、アンベードカル博士は生涯3万人におよぶアンタッチャブルの人々を仏教徒に改宗することで、人権回復に努めました。

しかし、憲法成立から数年で亡くなっています。当時は暗殺説も数々浮上したそうですが、文字通り命を使って憲法を書き上げたというのが本当のところでしょう。まさにこれが彼の使命でした。

次回はインドの中心で活躍する日本人について書きたいと思います。

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