ものづくり好きだけどやらないってタイプ
ものづくりとの関わり方の変遷
今回、工作室もくもくはりねずみで活動するにあたって、幼い頃からのものづくりとの関わり方を自分語りすることで自己紹介できたらと思います。
「そういう時期あるよね~」「あんたもか」みたいに楽しんでください。
幼稚園 ~まねっこ期~
幼稚園ではお絵描きの時間や工作の時間があり、ものづくりはそこそこ好きというレベルでした。ハサミで指を切ってしまった苦い記憶があります。
3月生まれということもあり同級生より大変幼く、絵を描くにしてもまねっこ、夢を語るにもまねっこだった記憶があります。
絵は友達のタケロウくんのまねっこをして、全員の髪型がスネオでした。
小学生 ~画用紙、ミニ四駆、プラモ、父~
今思えば小学生時代が第一のものづくりピークでした。
最初は画用紙を使ってサイコロを作り、のりしろを覚え、次は剣の形を立体でつくり、、、授業中にずっと画用紙を切り刻んでいた小学生でした。
ある程度画用紙を使い慣れると部屋の上から下までビー玉レーンをつくりました。
同居していたおじさんの部屋を壁紙の端材でミニ四駆コースにし、おじさんがミニ四駆コースの内側で寝ることに。。
夏休みの自由研究は父が張り切ってしまうタイプで巨大なパチンコ台を作ったりしました。
父は職人で家のものをなんでも作ってしまう人でした。
背中に背負うサイズの銀ピカの大剣と鞘、輪ゴムが強烈に飛ぶライフル銃、ダンボールハウス、戦車など大作が多かったです。
兄の机を作ったり、壁をぶち壊して内装を変えたりしているのを見て、ドン引きしていた覚えがあります。
中高大学生 ~ものづくり反抗期・勉強期~
両親が何でも手作りするのがとてつもなく嫌だと感じて、みんなと同じ既製品や新品に憧れる時期がありました。
スパロボにハマり、ロボットへの興味が強くなった時期です。
ちなみに中3のときに自作PCデビューし、CPUはDuron 1.2GHzでそのときからずっとAMD党です。
高校では現実とネットの区別がつかなくなり、薄い本ももっぱら消費するだけの消費豚としてぶひぶひしてました。
自転車いじりには少しハマって八丈島を旅したりしました。
大学はロボットへの憧れから機械科で学び、図面を描いたりと量産を意識するようになっていきました。急にものづくりへの意識”だけ”が高くなった時期です。
それでも個人ではとにかくなんも作ってない!
社会人 ~家つくった期~
社会人になってメカ設計の仕事につき、デジカメなどの設計をしてました。
ただ、仕事でものづくりをするとプライベートでものづくりをしなくなるタイプの人間だったようで、しばらくは何も作りませんでした。
そろそろ退職かと思ってた時期に経済的に不安が生まれたのですが、そこに父の病気やもろもろの課題が発生したので、ならば家を建てよう!ということで注文住宅をかなり細かく設計しました。
何を言っているかわからないかもしれませんが、そのとき抱えていた3つ4つの人生の課題が家を建てることで解決する見通しがあったんです。
ただ、そのままでは肝心の経済的不安は解消されませんでした。
そこで、助ける人や解決する課題の数が足りない!とバグ取りのような感覚で考えて「10人を助ける20の課題」を設定したところ、収益も安定する計画になりました。
社会人 ~DIY不要→必要→ただやりたい~
持ち家になればDIYし放題だ!というのも持ち家を選択した根拠です。
しかし、実際は設計にこだわりすぎて不満がほとんどない状態のため、DIY不要が長く続きました。
IKEAやニトリ、通販も充実しきっていた時期なので、買うとめちゃくちゃ安いし良質というのもDIY不要を後押ししていました。
その頃は友人に頼まれた古い椅子の修理や、近所のこどものおもちゃの修理など、まちの修理屋さんくらいしかしていませんでした。
結婚して妻が工作室を運営しだしたら、どうにも見ていられなくなりDIYが増えていきました。
手を動かすと次のやりたいことが生まれてくる感じがあり、最近では自主的にDIY系や電子工作系のものづくりを楽しんでいます。
画像生成AIも楽しんでいて、自作の絵本を作ったりもしてます。
本質的に作ることがそこまで好きなタイプではないのかなーと思ってはいるのですが、幼い頃に刻まれたものがちょいちょい顔を出します。
買うのもだいぶ好きですが、買う以外の選択肢があるって幸せなことだと身にしみる日々です。