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ミスを責めるべきか【6月10日standFM文字起こし】

冒頭挨拶

皆さんこんばんは。
ソフトテニスのコーチ、そしてプレーヤーのモリオカです。
6月10日金曜日、夜に向けての放送を始めていきたいと思います。

今朝、ライブ放送をしたんですが、今回は収録です。
ナンバリングします。
番号忘れないようにしないといけないんですけど。

BIGBOSSの言葉を引用

テーマは「ミスを責めないのは正しいのか」という感じのお話にしたいなと思います。
これ、少しTwitterの方で投稿したんですけど、 まず僕がこのテーマで喋ろうと思ったきっかけが二つあって、一つは昨日の夜ジュニアの練習があってそのとき子どもたちに話した内容の一つに、ショート乱打とか一本打ちとかしてて当たり前のようにミスをするんですけど、それって「本番だったら」と思ってやってますかっていうことなんですね。
本番だったら、ミスしたからもう一回は当然ないわけです。

新庄BIGBOSSの言葉を借りながら話したんですけれど、

努力は一生
本番は一回
チャンスは一瞬

ということを、会見などで言われたことがあると思うんですけど、本当にその通りだと思います。
本番は一回で、努力は一生。
これを小学生に語ると少し気の遠くなるような話になってしまうんですが、少なくとも本番は一回でチャンスは一瞬であることは小学生であろうが大人であろうが基本的には同じです。
もちろんその一瞬のチャンスであったり一回の本番を、ミスしたり逃してしまったところで命を取られるわけではないので、深刻に捉える必要はないんですが、それで悔しい思いをするのは結局自分だということを、よくわかってほしいなという思いがあって、この言葉を引用しながら話をしました。

中学生が壊してしまった美術品

もう一つのきっかけが、ニュースでご覧になられた方もいるかと思うんですけど、新潟の美術館の展示品を修学旅行に来ていた中学生が壊してしまった話。
なかなかしっかり壊しちゃったようで、美術館側が被害届を出す騒ぎになったんですけど、それに対して展示品を製作したアーティストの方が「誰でもミスをする。作者本人が、それを修復して作り直すだけの気力も体力もある。」ということと「こういった思春期の世代の子どもたちが抱えているモヤモヤや怒りといった、やり場のない気持ちをうまく表に出してあげるような、社会の寛容さとか、何かしらの方法というのを考えなきゃいけないんじゃないか」というような言葉を発信されたわけです。

それに対して「なんて寛大な人なんだ」「素晴らしい」という声ももちろんあるし、作者の方の心の広さは本当に素晴らしいけど、やっぱりこれに対してちゃんと罰を受けるというのは、例え中学生であっても必要なんじゃないかという声があったり、ちょっと社会の中で話題になっているわけです。

自分に置き換える

この二つのきっかけがあって、ミスに対して責めるのは正しいのかどうかということを考えたんですね。
僕の場合はソフトテニスのコーチでありプレーヤーなので、ソフトテニスの現場に置き換えて考えてみるわけですが、結論から言ってしまうと、責めるべきときもあるし責める必要のないときもあるよね、というどっちつかずな答えになってしまうんですが。

そこを掘り下げていくと、まずプレイヤーの立場で考えてみたときに、僕は本職が前衛なんですが、試合をしていて、ペアの人がミスをするということに対して責めるかというと、ほぼ責めません。
よっぽどいい加減なミスをするような人だったら別ですが、ここまで大人になってペアを組んで一緒に試合に出ようという人の中に、いい加減なことをする人っていうのは滅多にいません。
なんでそこに打っちゃったんだろうとか、今のその選択だったかなって思うことはありますが、責めたってしょうがないんで、次こうしようみたいな感じで話をしたりするかなと思います。

ではコーチとしてのときはどうかというと、昨日の練習においても言えるんですが、やはり練習中などにおいては試合と違うというのもあって、一つ一つの動きがいい加減になったりしがちです。
今朝のライブでフットワークについての話を少ししたと思うんですけど、まさにそういうことが一番サボりがちなところで、足を運ばずに適当に打ったり、体勢を整えずにボールを打つというミスなんかも非常に多いわけです。

こういうことに対して、責めずにに「いいよいいよ」というのは違うな、と。
明らかにいい加減なことをしているわけで、僕もコーチという立場ですから、最終的に試合をするのは本人達ですが、その本人たちが試合に出て、勝ちたいし良い試合をしたい、試合を楽しみたいという思いでいてくれてるわけで、それに対して「そんなことしていいの?」というのは、言ってあげなきゃいけないことなのかなと思います。

逆に、一生懸命やった結果、きっちりやった結果のミスというのは、もちろん責める必要はないですし、むしろ形が良かったりプロセスが良かったんだというところをちゃんと認めてあげて、今のはミスになったけれどももう一回同じ形でやってみて、 もう少し調整してごらん、という風に言ってみたりして、その方向でいいんだよっていう背中押しも必要だな、と。
例えば、単純にボールをネットに引っ掛けたという現象だけを見て、「なんでネットに引っ掛けてるんだ!」というのは違う。
結果に対するプロセスの中で、そのプロセスがいい加減だったのか、それともあともう少しの形だったのかっていうところを、ちゃんと見定めた上で責めるのかどうかというのを判断するのが、非常に大事なんじゃないかなと考えました。すごく当たり前のことなんですけどね。

ただ、ここ最近というか、現代の風潮というか、これは僕自身ちょっと気をつけなきゃいけないなと思っていることとして、ミスを責めてどうするのっていう雰囲気というか、風潮みたいなのってあるなと思っていて。
でもやっぱり看過してはいけないミスっていうのがあると思うんです。
ミス自体を責めるっていうというより、そのミスに至った経緯・プロセスっていうものに対してちゃんと指摘して、子どもたちの場合などは諭してあげるっていうのが、必要なんじゃないかなと。
恫喝したりしては、これはお話になりませんので、怒鳴るとかの形では全く意味がないんですけれども、ちゃんと話して、わかってもらうアプローチっていうのが、ミスの内容によっては必要かなと。

これはミスを責めるのとは違うかもしれないけど、ミスを責めるの形の問題ですね。
形さえ間違えなければ、必要に応じてきちんと、責める。
そういうことも必要なのかなというふうに思いました。
やはりプロセスですね。
過程をちゃんと見るっていうのは、起きたことだけではなくて、そこに至るまでどういう経緯があったのか、ちゃんと見てちゃんと言葉で伝える。
ちゃんと正面向いて話す、これが大事かなと。
「伝える」と「伝わった」が違うのと同じように。
「何してんねん!」ではきっと伝わりませんから。
そんなことを思ったお話でした。

今日このあたりでおしまいにしたいと思います。
今週も一週間お疲れ様でした。
最後までお聞きいただきありがとうございました。

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