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モマの火星探検記(原作:毛利衛/少年社中)

火星探査車が火星に着陸!のニュースで思い出した。

暮れに久しぶりに観た「モマの火星探検記」。
原作は宇宙飛行士・毛利衛さんの同名小説。
少年社中が3回にわたり舞台化。

原作は、近い将来、人類で初めて火星へ降り立った宇宙飛行士のモマが、子どもの頃の自分に向けて、自らの火星探検記を語って聞かせるという構成。この原作がまず面白い。
火星への往復だけで約1年、そして100日間の火星滞在。地球から遠く離れ、地球に残してきた家族に何かあっても帰ることもできない宇宙空間で共に暮らす仲間どうしの深い絆。
彼らの人類初の偉業に沸き上がる地球に対し、火星にいる6人は淡々と、しかしある種の感動をもって、目の前の困難なミッションをこなしていく。まさに「未知との遭遇」のリアルな感動が、一人称で淡々と語られていく。

原作には、宇宙船カムイ号で共に火星へ向かうモマと仲間の宇宙飛行士達の世界しか描かれていないのだけど、少年社中バージョンでは、その十数年後、自分達でロケットを打ち上げようとする子供達の世界が並行世界として描かれている。ついでに、モマが火星にいる間に、別れた彼女がモマの子供を産む!というびっくり設定まで。
…いやー、子供達の世界はともかく、元カノが子供産んで云々…まではいらなかったのでは…?と思ってしまった。子供達のロケットの話も正直リアリティは全然なかったけど。。。
しかし、やるならユーリは大竹さんにやって欲しかったなあ…。

原作と社中版の一番大きな違いは、モマの火星探検の結末なのだけど、うーん正直言って、その終わり方はどうなんだろ…。まぁ、演劇的にというか物語的にはそっちのほうが良かったのだろうけれど、まぁ毛利さんならそういう結末は絶対描かないよね…という終わりかたでした。

しかし、原作に出てくる、実際に宇宙へ行って戻ってきた毛利さんだからこそ描ける描写、語れる言葉というのは、劇中で印象的に用いられていて、それは凄くよかったなあ。
だからこそ、毛利さんがこの物語に託した、人間達の国レベルの争いなんて宇宙から見たら本当無意味だぞ、というメッセージを、舞台版のラストシーンにもちゃんと残してほしかったなぁと。
もちろんラストに至るまでにいろいろなシーンに織り込まれてはいたのだけど、ラストシーンが原作にない親子3代設定による、モマとユーリの個人的な感傷だけで終わっちゃったのがちょっと残念というか、もったいなかったな。

あと、原作に出てきた「宇宙野菜」の話がとても面白かった。これを舞台美術で再現してくれてたら、ビジュアル的にかなり秀逸だったのではと思う。

毛利衛さんの原作は今もう絶版で、紙の書籍では入手できないのだけど、電子書籍で読むことができるので、興味ある方は是非。カテゴリとしては児童文学となってますが、大人が読んでも楽しめる内容です。

そして最後に気づいた。
モマって、もしかして「毛利 衛」の頭文字から取った…?

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