もり塾の歩き方(8)ブックレットがついに完成! 卒業式は通過点
60歳目前。でも人生100年ならは、まだ折り返し地点。
これが最後の挑戦と、「もり塾ブックライター・編集ライター養成コース」に挑んだ野村紀美子の受講体験記、いよいよ最終回!
ようやく書き上げた原稿は、何度も入念な確認作業を経て印刷所へ送られ、ついにブックレットとして形になります。
そして卒業式。1年間の研鑽を終えた後……。
執筆後も続く入念な確認作業
先生からOKが出た原稿は、次に「校正・校閲」というチェックを専門家の方に依頼します。
誤字誤植だけでなく、表現や全体の統一性、内容の事実確認、差別的表現に当たらないかなど、世に出る印刷物として厳格さが求められるからです。
必要があれば再び自分たちで修正して提出すると、今度は「ゲラ」と呼ばれる紙の原稿に。それを再度自分たちの目で確認していきます。
この段階で、取材したご本人に内容や画像などを確認していただくのですが、ここまで出来上がっていても、ご本人から大きな修正依頼が入ることもあるそう。
原稿執筆が遅れていた私は、ご本人から返信が来るまでは気が気ではありません。
気を揉みながら返事を待つこと数日。内容について肯定的なお返事、微調整のみで大きな加筆修正を免れ、ほっと胸を撫でおろしました。
自分が書いたものや名前が印刷物に載る
冊子は、受講生の執筆ページのほかに、表紙と目次、巻末は自分たちのプロフィールと顔写真で構成され、それらも自分たちで考えて作っていきます。
特にプロフィール部分はSNSも活用できるので、私たち受講生の広報的役割も果たすと先生は言います。
自分の顔を印刷物に載せるなんて気恥ずかしいことはできれば避けたい!
私を含めた何人かが、ためらいの本音を申し出ると、先生は
「自分を印象付けるためには重要、気取らずに素敵なものを」
と私たちの背中を押します。
履歴書用か、日常のスナップ画像しか持っていなかった私。
ずっと残るものならば自分を象徴できて、堅苦しい表情でなく、自然な雰囲気で載せたい!
億劫がる家族に頼んで、納得のいくまで何枚も撮影してもらうというこだわりぶりを発揮。
プロフィール文を自分で書くとなると、自信も経験もない私は控えめな内容になってしまいます。
しかし、自己紹介と同じ、読者に向けた名刺となる重要なツール、今はこれが最大の武器。
臆する気持ちを抑え、自分が編集者になったつもりで、個性が際立つ事実をありのまま書いてみました。
さらにSNSアカウントの掲載は、自分をさらけ出すことを避けてきた私にとってハードルの高いものでした。
しかし、これも自己マネジメントと心に言い聞かせ、恐る恐る公開アカウントに。
こうしてようやく全ての確認作業を終えると、いよいよ印刷所へ原稿が渡ります。
インタビュー取材をした日から約3ヶ月半、ようやく刷り上がりを待つばかりとなったのです。
薄くて軽い小冊子。なぜだか重くて眩しくて
卒業の日。春なのに少しだけ風が冷たく感じる東京・銀座。
顧問の先生が日ごろ文化的ミニ講座を開催している場所を会場として用意していただき、少人数ながら「卒業おめでとうイベント」と名付けられた卒業式が開かれました。
オンライン画面でしか会ったことのない講師の方々や仲間たちと、初めてリアルにお目にかかれる機会でもありました。
塾長である森先生から、卒業証書と記念品、出来上がったブックレットを手渡していただきます。
長い期間をかけて大変な思いをして仕上げたのに、現物は小さくて薄くて軽い小冊子。
でも実際に手にすると、なぜだか重くて眩しくて愛おしく、今日までの日々が駆け巡ります。
ページをめくると、お二人の先生からの前書きと後書き。
私たち受講生は、その日までその内容を知りませんでしたが、こめられた思いが伝わってきて胸が熱くなります。
受け取ったブックレットを手に、受講生たちの短いスピーチ。
もちろんみんな、素晴らしい笑顔です。
照れくさそうに、喜びと興奮を隠しきれない様子で、感動と感謝の気持ちを伝えていきます。
私は、こう述べました。
「『もり塾』に参加していなかったら取材どころか会うことさえできなかっただろう、という方に実際にお会いし、インタビューをして、自分の署名入りの原稿を書くことができました。
そして、販売可能な署名入りの印刷物として出来上がった。
こんな貴重な経験ができたのは、この『もり塾』いう看板と、未熟すぎる私を辛抱強く指導してくださった先生方のおかげです。
ほんとうに深く大きく感謝しています」
心の底から湧き上がるその思い。卒業から一年たった今でも変わっていません。
卒業式は通過点
卒業前に、「入塾直後の初課題『一年後の私』を引用して、自分の職能について800字で書く」という最終課題が出されていました。
1年間学んできたことを礎として、これから先「書くこと」を職業とするための展望と解決すべき命題を記すのです。
私は初回の課題で、“取材を積極的にこなす地域情報誌のライター”になっているという夢を描いていまいた。
1年経ったとき、その願望を成し遂げるための見通しは、なにも立っていなかったことに焦りを感じました。
卒業したからといって何か資格が得られるわけでもなく、就職の斡旋もありません。
ライターというのは、自力で仕事を掴んでいかなければならないのです。
私は、一つの製作物を作り終えた達成感と安堵感に満たされてはいたものの、どこか習い事の域を超えていなかったと思い当たりました。
出された課題をこなす中で、先生の指示と指導を受けながらの執筆と作業です。
一人で何もかも請け負うなど想像もできないし、ましてや報酬をいただくなど不相応と感じていました。
ずっと時間の拘束によって月給を得る雇用形態で働き、独立、起業などという野心も持たずに生きてきた私は、自分の成果物や行動に対して、直接対価が支払われるという経験がほとんどありません。
どんなライターを目指すのかについて
「職能。書くための得意スキルや得意分野を見出し活用することが重要だ」
と先生は言います。
しかし私は、職能どころか、フリーランスで収入を得るという自分の価値観から見直さなければなかったと、このときあらためて気づいたのです。
1年前の卒業式を思い出しながら
一般のブログさえ書いたこともなく、本当は自信がなかった私ですが、
「ど素人だった私だから書けることがあるはず!」
と信じてこの連載に立候補。
「迫力がある」
「どんどん上手くなってきているね」
「野村さんにしか書けない。説得力があるよ」
先生方に、何度も励ましの言葉をかけていただき、連載を続けることができました。
ブログ執筆のために、受講当時を再度振り返えることで、新たな気づきや学びを得られたことも大きな収穫です。
まだ少しですが、「めでぃあ森」から、お仕事をいただけるようにもなりました。
小さなトライを重ねることで、ちょっとずつライターとして道を歩んでいるような気がしています。
専業ライターへの遥かな旅路はまだまだ続きます。
(完)
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