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ハウスワイフはライター志望(11) ラフ・コンテって何?

「ライターになりたい!
熱い思いひとつを胸に抱えてライターの階段を駆け上がったもり塾塾長・森恵子の再就職奮闘記「ハウスワイフはライター志望」(社会思想社 1992年)を一部編集して連載します。
今回は第11回。ついにやってきた雑誌社からのオファー! 編集者と組んで雑誌記事を担当することになりますが、難題が次々と降りかかります。


ついに雑誌社のライターに!

10月初めのある夜、女性の声で電話があった。その声は雑誌社の名を告げ、雑誌名を告げた。

とうとう、やってきた!

前年、公民館活動を通じて取材を受けたとき、私は履歴書を担当編集者に手渡した。それから一年たって、編集長からの電話だった。

「履歴書をいただいて、気になりながら今までご連絡する機会がなかったのですが、できれば私たちの雑誌をお手伝いいただきたいと思ったものですから。今、どんなお仕事をしていらっしゃいます?」

彼女は、孵化を始めたばかりのライターに向かって、丁寧にしゃべった。

「きものの業界誌と、ミニコミ紙の仕事をしております。後は単発でときおり……」
「ではお忙しいでしょうか」
「いえ、大丈夫です。ぜひさせていただきたいと思います」

それでは、と彼女は日時を指定し、
「今月号はもうお読みになりましたか」
「いいえ、まだ……」
「そうですか。書店にまだあると思いますから、今月号の感想とあなたの作品を持参してください」

そう言って電話が切れた。

私は愛読者ということになっている。
愛読者の投稿欄にも投稿が載ったことはある。
だけど本当は違う。
1年に1、2冊程度の購読者だ。

私はずっと書籍派だった。
小説・エッセイ派だった。
お定まりの純文学愛読者の時代を過ぎて、中間小説、推理小説中毒者風、それに小説以外のベストセラーが入る。

フィクションの世界に浸るあいだは、私の現実を見つめなくてもよかった。
教師社会や、嫁の私を見つめなくてもよかった。

ときおり、女性誌や育児雑誌を手にとっても、あまり魅力を感じなかった。
コンパクトに要約された生きかたを雑誌で読むより、その人の作品を読むほうがいい。

実用記事はもっと興味がなかった。
私の生活は気のきいたものを持ったり、家具の配置を変えても変わらない。

そう思っていた。

雑誌が見せようとする現実の断片さえ、私には耐えられなかったのかもしれない。

しかしもちろん、私はその雑誌を買った。
雑誌の構成など全くわからないままに、編集意図など全くわからないままに、感想を書いた。

編集長の電話から3日後、感想といくつかの作品を持って、その雑誌社に出かけた。
受付で名乗ると玄関脇の応接室に通された。
応接室のある雑誌社に初めて入り、ソファに座っていた。

編集長はニコニコ現れた。
私はビクンと立ち上がり、あわてて名剌を差し出した。自己紹介を終え、感想と作品を差し出した。

編集長は感想があまりお気に召さなかった。
そのかわり、単発でやった作品に目をとめた。

ナカソネ時代の「売上税」騒ぎをパロったショートショート—— 。

消費者運動の専門家たちが揃う注文先にはそれほど評価されなかった作品は、政治やフィクションというジャンル自体に敬意を払うらしい編集長によって認められた。

こうしてその作品は私の履歴書になった。

「ただ」と彼女は念を押した。

「お子さんが幼稚園ということですが、うちの仕事はきついですよ。編集者はもちろんライターの人も、皆さん子どもは保育園に通わせています」

「卒園まであと半年足らずですし、なんとかやってみます」

彼女はすぐに私を編集部に連れていった。

返事は後日改めてと言っている余裕がないようだった。

私と組む編集者はもう決まっていて、挨拶のあと、すぐ打ち合わせに入った。

ラフ・コンテって何?

私は誰かと組んで仕事をしたことがなかった。

「ふたりでということですが、どちらが何を分担するのでしょうか」

「全部、やっていただきます」
編集者はつっけんどんに答えた。
彼女は用件をてきぱきと片づけた。

「今までも同じような記事がありますが、前のは全部否定しちゃってください」と言い、最後に彼女は言った。

「3日後にラフ・コンテを書いて持ってきてください」

はい、と答えるわけにはいかなかった。
私は「ラフ・コンテ」というものを知らない。

「あのぅ……ラフ・コンテってなんでしょうか」

彼女はあきれた顔をし、構成に沿ったページ割りの大まかな絵だと言う。

絵? 絵なんか描けない、私。

「私、絵がとても下手なんですけど……」
「そんなこと、関係ありません!」

いきなり絵を描けと言われ、その絵の巧拙は関係ないと言われ、私は混乱してしまった。

雑誌ライターがどうして絵を描かねばならないのか、まるでわかっていない。

混乱したまま、帰りの電車に乗る。

どう考えれば、いいんだろう。
どうやれば、いいんだろう。
どう描けば、いいんだろう。

何十回も繰り返して、家の前についた。

家には上がらず、車に乗り、シンを迎え、隣町の保育室にユミを迎えに行く。

夕食を作り、食べさせ、風呂に入れ、子どもたちを寝かしつける。
それから、編集をしている知人に電話をかける。

「忙しいのにゴメンナサイ。ラフ・コンテを描けと言われたんだけど、どう描けばいいかわからないの」

彼女は、ほんとに忙しそうだった。

「そんなもんねぇ、あんた。新しいこと、しようって考えるからダメなのッ。その雑誌、手元にある? それをパラパラとめくって、そのアレンジでいいの」

「でも、前のは全部、否定しちゃってくださいって言われたの」

「アーッ、じれったい!」
 バカにつきあうヒマはないと、彼女はもう一度、最初の言葉を繰り返し
「忙しいのよ! 今! 切るわねッ!」

ガッチャン。

電話が切れた。
たったひとつの頼みの網が切れた。

「ラフ・コンテ」という耳新しい言葉に押されて、主役であるはずの「構成」が小さくなっていた。

「前のを全部否定する」のはコンテではなく記事の構成であること。
それにも私は気づかない。

「構成」があってこその「ラフ・コンテ」。
そんな手順もわからない。

私はふたつを同時進行で考えようとし、まるまる二日。
家事の最中も、シンが話かけても、うわの空。
夜更け、ノートの前で頭を抱えた。
そして、いくつか、ラフ・コンテ。

子育て主婦のライターは、「趣味」!?

編集部に向かう電車の中でも、ラフ・コンテを描いていた。

あの彼女が、こんなのにOKするわけはない。
そう思いながら、幸運をひたすら祈った。

こわごわ差し出す。

「これはどういう意味なのかしら?」
私は構成の説明をする。おずおずと……。
彼女はイライラした顔をする。

「しょうがないですね。こちらで考えます」
コンテはともかく、構成のほうはいくつかのうちどれかひとつが、OKかもしれないと期待していたのに——。

原稿の締切りまで10日あまり。

急いで取材先を決め、彼女がアポを取った。
取材は3カ所。ひとつめは夕方からの予定になった。

帰宅が夜になる。たぶん、夜遅くなる。
この仕事を始めてから、シンを友人たちに預ける回数が急上昇している。

夫の帰宅は、夜の会議のために八時過ぎになるという。

いつか夫は私にこう言い渡した。

「急な変更は無理だよ。前もってならできるだけ都合をつけるから」

私には「働かせてもらっている」という気持ちがあった。

そんな気持ちを持っているのを認めたくはなかったけれど、夫の仕事と私の仕事を較べれば、社会的には夫の仕事のほうが大事。そう思っていた。

妻がそう思うのは、夫にとって好都合だ。

こんなふうに言える私なら、どんなにかいいだろう。
——私の仕事の性格上、「前もって」が2、3日前になることはいくらでもあるのよ。

私は専業主婦生活を経て、もう一度仕事に出たのだから、男女が不平等なこの世の中に出たのだから、賃金も労働条件も不利なのが当たり前。

そんな私の状況を誰よりも理解し、できるだけの支援をするのがパートナーとしてのあなたの役目でしょう。
「夜の会議」の日はともかく、もう少し「ともに働く」「ともに生きる」ってこと、考えてほしいわ。

あなたの合意は頭だけの合意だったわけじゃないでしょうね——

堂々とそう主張できない私がいた。

子どもたちと面識のある人の顔を次々浮かべる。

東京近郊に住む夫の従兄の娘に声をかけた。
アルバイト、お願い! 帰宅は10時を過ぎた。

片道1時間半かけて、大学生の彼女が来てくれた。
彼女の父親は、しばらくして会うと笑いながら言った。

「大変な趣味だねぇ」と。

普段は心ばえのやさしい人の言葉だけに、胸に響いた。

やっとの思いで始めた仕事、顔色を変えてやっている仕事も、世間一般から見れば人騒がせな趣味にしか見えないものなのだ、と知った。

公民館で培った関係は一般に通用するものではなく、仲間うちのルールであることを忘れて、私は姻族にまで 「人騒がせ」をやってしまった。

(次回に続く)


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