天理教では他系統の人とは付き合っちゃいけないのか?
タイトル通りのテーマだが、きっと様々な思いを読者の方々もお持ちなのではないかと思う。
信仰初代の人は直接、にをいをかけられ、そのにをいをかけた方の所属の教会から、別席やおさづけを願い出るケースが多く、それはそれで自然なことなのかもしれないが、その所属の会長さんが出直し、次の会長さんの代になった時に、問題が起こりやすいのかとも思っている。
天理教の会長職というのは実質的に世襲が多いようなので、よほど何か問題でも起こして、罷免でもされない限りは親子で後継されるケースが多いのかとも思う。代が変われば、新しい会長に心を合わせて、共に勇んでいけばいいのだが、現実はそんなに甘くはないようだ。
新しい会長は古い体制ではだめだと、勇んだ気持ちで改革したりすることもあるかと思うが、役員や信者さんの方は、どうしても導かれた会長と比較してしまうわけで、ついていけないとなるケースもあるのかと思う。
かく言う私も同じで、所属教会の会長(伯父)が出直してから、娘さんが養子を迎え、その方が会長となっている。つまり従兄弟夫婦が跡を継いでいる形になる。会長としてふさわしい方が来られ、私自身はこれでよかったのかと思っているが、落ち着くまでには時間もかかったようだ。
話を戻すが、交通が発達した現代、親は地元にいて、子は都会へ出てというケースもあれば、諸事情で引っ越したり、様々な理由で所属教会に、なかなか参拝できないケースもあるのかと思う。その場合、歩いて行ける距離に他系統の教会があり、夕勤めに参拝したり、月次祭に出たりということはよくないことなのだろうか。系統が違うから他系統の教会に出入りすることはよくないとか、はっきり指導しているところもあれば、会長さんの方針で自由にしているところもあるのかと思う。信仰といっても何を目的にしているのか。どう行動することが正しいのか、答えは出てこないのかとも思っている。
多文化共生社会と言われるが、天理教の中は江戸時代の封建社会のままのように感じてしまう。なぜなら、殿様が亡くなり、世襲で次の殿様の時代になっても家臣たちは、どうしようもない放蕩息子であっても、殿として崇め、ついていかなければならないわけで、現代社会に生きる我々が見れば、「バカバカしい」となってしまう。
多文化共生社会という言葉を使ったが、私は教会の中に、いろんなハッピを着ている人が集まっていても、その地域で集まりやすく、皆が心をそろえて勇んだ気持ちでおつとめも勤め、連携して周囲へ「にをい」もかけ、社会全体を陽気な社会へと導いていける体制ができるのなら、その方が神が喜ぶのではないかと考えている。
(そもそも、教会名の入ったハッピ自体も、おかしいのではないかとも考えている。)
縦割りの教会制度があるというということで、自由にその教会へ行けるのは、これから信仰する初代か、その系統の人だけが基本のようだ。もちろん、そんなことはなく、自由に参拝していただいてけっこうですよと言われる会長さんもいるかもしれないが、おさづけも拝戴し、よふぼくとなっている場合、他系統の教会へ足を運んだり、その会長と話すということなど、憚られる現実があるように思う。
しかしながら、それも、既に過去の話で、インターネットが発達した今、他系統の人と話すということも、もはや止められない動きにもなっているし、情報を求めて検索している間に、知らず知らずの内に、他系統の人と話していることも多くなっているはずだ。近くに教会があって情報発信でHPやブログまで持っているとなれば、自宅にいても、その教会の情報を得ることもできる。こういった現実に対し、神が働いているとしか思えない。
自由に「にをいがけ」もできないから、国家に追従し、応法の神道下で公認を得るため、教会制度を作り上げてきた歴史から、自由に布教もでき、にをいもかけられる今の時代で、もう応法からの悪い流れから離れ、新しい組織の在り方を見直していくべき時がきているのではないかとも思う。
教祖在世時である明治初期から、本席が亡くなる少し前(明治37年)まで神道国教化政策で宣教活動も自由にできなかった時代に「教導職」を得て、人を集め、布教をしていた歴史もある。そんなことにはおかまいなく、熱心な布教師は「にをいがけ」にも歩いていたのかと想像もするが、明治36年に明治教典ができ、翌年には、それに従えない布教師は教導職も解かれ、淘汰されていったのかと理解している。
その後、明治41年には念願の一派独立も果たしたが、その姿は教祖の教えをもとにしながらも、国家に追従する一つの大きな新興宗教団体になってしまったのかとも思う。そんな歴史から、第2次大戦終了後、「復元」ということで天理教は変わったのかと思っていたが、むしろ、信仰の炎は徐々に消えつつあったのかと、いろいろ調べながら感じている。
様々な意見が出てくるとは思うが、おつとめの手もそろわない、名称はあっても、実質的に教会としての運営も、家族だけでやっているとかいう話を聞くと、教会制度自体が、もう時代にそぐわないのではないかとも思っている。
「理の親子」についても記事を挙げたが、自分自身の「理の親」って誰だろう?と思ってしまう。何を言っているのかと思われるかもしれないが、前にも書いたように、私は信仰四代だ。生まれた時から既に天理教なわけで、父親は御用で忙しく、ほとんど家にはおらず、子供の時から信仰の話などしたこともない。母親と信仰の話をしたくらいの記憶しかない。なぜなら、全て当たり前のことで、教理に関しても、おぢばの学校出身なので、子供の時から天理教の勉強も「学校」でしてきているわけで、全てが当たり前のことばかりなのだ。まわりも天理教の子供というのが当たり前で、大教会子弟から、末端信者子弟まで、すべて天理教の子供ばかりである。それだけに天理教の教理と、教団の現実との間でいろいろ考え、育ってきたわけで、天理貴族といわれるようなところから、末端の教会の諸事情まで見て来たわけである。
厳しく仕込まれたこともなければ、全てが天理教の当たり前の中で育ってきて、「理の親」って誰だ?と考えた時、それは「母親?」じゃなければ、「学校の宗教の先生?」私には「理の親」と言われても、即答できない事情がある。強いて言えば教理面で自発的に、過去の疑問だらけのことを、整理するために自分自身で歩いて、調べてきたことが、自分の今の信仰の糧になっているのかとも思う。
「知らぬが仏」という言葉を以前の記事で使ったが、全てが天理教の当たり前の中で育ってきて、「知らぬ」どころか、見て、経験してきている自分自身が、やはりおかしいと思っているから、あれこれ調べているわけで、「知らぬが仏」が通じるのは未信者か、初代の信仰歴の浅い方なのかとも思っている。それだけに教友の方々には、ご自身でつかんだ信仰があるのなら、迷わず正しいと信じて、陽気に暮らしてくださることを祈るし、天理教の歴史などには無関係に信じられる教理だけを胸に生きていってほしいとも思っている。
「理の親子問題」にしろ「宗教二世問題」にしろ、正直なところ、私にはできれば避けたく、煩わしくて触れたくもない問題である。私にとっては忌まわしい過去とつながった忌むべきテーマでもある。それを、あえてテーマとして取り上げ、記事を書いてきたが、自分の過去を振り返るようでもあり、嫌な部分を見つめ直すような気分でもある。
乱暴に聞こえるかもしれないが、「理の親」のことで悩んでいる人がいるのだとすれば、静かに離れればいいし、まだ、わだかまりがあるのなら、口に出して理由をはっきり伝えてもいいのかとも思う。その方が精神的にも健全だ。
二世三世問題でも、嫌なら逃げ出せばいいだけのことだ。義理だの、情だの、言っていないで、腹を括って離れればいいと思う。親子の縁まで切るわけではないのだから。
天理教では神は引き寄せなければならない人間は何をしても、引き寄せるのではないのか…?。
私は信仰に関して強制されたことは一切ない。また家族を含め、すべての人に信仰というものを強制するつもりもない。真実だけを知りたいと思うから、信仰しているようなものだと思っている。
社会でも教内でも、いろいろ問題が起こっているが、単純に成ってきたことにしか思えない。天の理のままになっているだけのことで、自然なことなのかとも思っている。それだけに何も変わらずにいれば、またいつもの10年に一回の行事として三年千日が始まり、年祭だと掛け声がかかり、勇むどころか疲れ果てた様子で、教祖に喜んでもらうどころか、形だけ何とか年祭を行ったということにしかならないと思っている。
多くの教会長さんが年祭ということで、また上からのノルマと、信者さんへの説明などで、頭を悩ますのかとも思っている。さすがに無理なお供えを頼んだりとかはないだろうとは思うが、系統によっては何が何でも「心定め完遂」と、信者さんに負担をかけるようなことも一部では起こるのではないかと想像している。
しかし、冷静に考えて少子高齢化で、教会のメンバーも高齢者ばかりという教会もある中で、年金生活者ばかりに負担はかけられないという現実も考慮しなければならないと思う。無理をすれば統一教会の二世問題のようなことも起こりかねないと想像するし、その高齢年金生活の信者さんの子供たちが、更に離れていくであろうから。また、中間に位置する教会長さんたちも、板挟みの立場で苦しまないでほしいとも願う。
話がずいぶん逸れてしまったが、今回のテーマ「他系統の人とは付き合っちゃいけないのか?」の答えは、既に出ているようだ。
ここまで読んで、他系統の私の文章をじっくり読んでくださったのだから…。
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