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読書録「ペガサスの記憶」その1

 
 2ヶ月ぶりの読書録は「育児書」ではなく、大胆不敵でバイタリティに溢れた「母親の伝記」です。

 伝記の著者・桐島洋子さんよりも、私は娘の女優・桐島かれんさんの方を先に知っていました。私の好きな映画に出ていて、その堂々とした仕草や美しさがとても印象に残っていました。

 桐島洋子さんは20歳で出版社の記者になり、エッセイストとして多くの著書を書かれています。(現在85歳)認知症を発症する2014年までの日記が本書の内容で、発症後の続きを娘・息子の3兄弟が書き上げて出版されたのが「ペガサスの記憶」です。

 寝る前に少しだけ読もうと思ったら、おもしろくて止まらなくなり、隣で寝ている息子を起こさないよう、スマホの照明で文字を照らしながら一気に読んでしまいました。そんな本書の中から、私が衝撃を受けたストーリーをいくつかご紹介します。




長女・かれんさんの妊娠と出産

 20代半ばでバリバリのキャリアウーマンとして働いていた洋子さんは、米海軍の男性との間に長女・かれんさんを身籠ります。仕事を辞めるつもりのなかった洋子さんは、その妊娠を家族にも会社にも秘密にしました。

 さあいよいよと武者ぶるいしながら、私は素早く支度して、最寄りの産婦人科に駆け込み、数時間後に無事女の子を出産することができた。1964年8月20日。

 出産翌日には退院して隠れ家に戻り、育児の参考書をめくりながら、たどたどしい母親業を開始したのだった。
 ともかく親には知らせるべきだろうと思って電話したら、たちまち飛んできた母は、「こんな綺麗な赤ん坊、見たことないわ」とメロメロなのだ。案ずるより産むが易しとはこのことではないか。
 私は毎日かれんを抱いて浜に出ては、砂丘に座って飽きずに海を眺め、乳房を陽光と潮風にさらしながら授乳した。それはなんと濃密な快感に満たされた時間だったことだろう。しかし、いつまでもこの快感に浸っているわけにはいかない。この子を育てていくためにも、私は一刻も早く仕事に復帰しなければならないのだ。

 信頼のおける知り合いに、しかるべき書面と、当座の費用や衣料などとともに、かれんをしっかりと託したのである。
 その足で文藝春秋に出社した私は、「ご迷惑をかけましたが、お陰様で腎臓が快癒しましたので、また精一杯働かせていただきます」と、しおらしく挨拶廻りして、何食わぬ顔で仕事に復帰した。
 真っ黒に日焼けした私は、とても病み上がりには見えなかったから、ズル休みして遊んでいたのではないかと疑われたかもしれないが、まさか隠し子を産んでいたとは誰一人夢にも思わなかっただろう。
 毎週末、かれんに会いに行き、その目覚ましい成長ぶりを楽しんだが、別に後ろ髪を引かれるようなこともなくサバサバとさよならをして帰路に就きながら、私はちょっと冷たい母親なのだろうかと思ったりもした。
 それなのに翌年またもや身籠ったのだから、性懲りもないとしか言いようがない。

「ペガサスの記憶」P89-92より

  
 1960年代はまさに私の両親が産まれた時代。女性は結婚もしくは子どもができたら退職という考えが主流だった当時、出版社という男社会で働き続けるために妊娠・出産を隠し、さらには生後1ヶ月の娘を他人に預け、週末だけ会いにいく、というスタイルを貫いた著者には驚愕しました…(笑)
 でも娘のカレンさんや兄弟も、まったく母を恨んでいないそうで、むしろリスペクトは揺るぎないもの、と本書で語っています。

 次回、もっと壮大なストーリーの続きを紹介します。


 
 幼少期から波瀾万丈な人生で、でもそれを悲観するでもなく、いつでも自分の本能のままに行動するパワーやバイタリティーには憧れるものがあります。とても自分には真似できないな…と。
 だからこそ、あっという間に読めてしまう、とても興味深い本です。

◎本書はこちらから!


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