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My Beautiful Life


その場に都合のいい感情を切り貼りしたような人間。
可愛げがないな、と思う。

感情とか愛情とかあまりよく分からないのに、それを告白する勇気はないからその場合わせの感情や愛情を寄せ集めて、中でも丁度良い部分だけを掴み取って差し出す。

コミュニケーションが次第にただの作業になっているような感覚があって、虚しくなる。



昔から「父の機嫌を取るのが上手い愛嬌ある子供」だった。誰よりも自分勝手に感情を撒き散らす父は、私が何かしらアクションを取ると機嫌を直すことが多かった。
気に入らないことがあると母にも兄にも夜通し怒鳴り散らす父が、私に大声を上げることは少なかったものの、「機嫌を取ること」を忘れて部屋に篭ろうとした日は、必ず居間に呼び出されて謝るまで詰められた。

「親にそんな態度取っていいの?」
「育ててもらってる自覚ある?」
「少し前まではこんな子じゃなかったのに、変わったね」
「せっかく家族のために一日働いて家族団欒を楽しみにしてたのに酷い」

「ごめんなさい。」

・・・

沈黙の中響く図々しいバラエティ番組の音声がその場を軽くした瞬間から、私が楽しんでテレビを見ている素振りを見せれば、父の満足そうな笑みを浮かべてまた食後のコーヒーを飲み始めた。



父は、世間から見た私達が「仲の良い家族」であることに、固執していた。

外へ出ると「女性陣の尻に敷かれている温和な父」のような人物像を演じてニコニコと笑ったり、
父を混じえた家族エピソードを外で話したと伝えると「…で相手は何て言ってた?」と聞いて「仲良いねって笑ってた」と返すと満足そうにしていた。

「仲の良い家族」という体裁を整える努力を自身は何もしないくせに、私達がその努力を怠ることには厳しかった。
裏で私が自分の身体を傷つけたりノートを真っ黒に塗ってビリビリに破いて泣いていた事実は、父にとっては自分の目に入っていなかったのだから存在しないに等しく、どうでも良いものだった。



後に父が病気になり、毎日のように両親が喧嘩し、仲裁していた時。
父が母を怒鳴りつけ、母がまた父に怒鳴り返すと決まって、

「なんでそんな酷いこと言うの?」
「俺はただ今までみたいに家族みんなで仲良くしたいだけなのに」

と口にしていた。
本当におめでたいな、と呆れて笑ってしまえれば良かったが、そう出来るほどの豊かさをもう私は手放していた。

完全に家庭環境が崩壊して、家族の貯金も底が見えてきて、
そろそろ自分が必要なお金は自分でなんとかしなきゃいけないと思い始めた頃。
両親に各々実家に帰った方が良いのでは、と提案した。私は奨学金とかで何とかするし、一生会えないわけではないのだから。
父は「離れるなんてあり得ない」と拒絶した。
家族とはいつも一緒にいるべきなのだ、そう力説した。


家族だから何なのだろうか?
私達を繋ぎ止めているのは「両親の間に偶然私が生まれた」という事実だけで、その後繋がりが深まるようなことは何もなかったのに、何がどうやって絆や愛が生まれるのか?私にとって父と母は、今この辛い状況で最も排除したい人間であって、それを否定される理由として繰り返し主張される家族愛ほど恨めしいものはなかった。

家族には愛が自然発生するもの、ということに関して私の両親は共通認識を持っていたようだった。
父と母の不和が全ての元凶なのに、2人は結束して家族離散を回避し私を家族愛の中に閉じ込めた。その中で相も変わらず暴言を吐き合い、荒れた空気の後始末は私に丸投げだった。時に私が育てる対象であることを思い出すと「立派な大人になるまでは責任持ってそばにいるから」と宣っていたが、随分と気楽なご身分だな、と思う他なく、何故か共通して「家族愛で乗り越えよう」というオーラを纏う両親の異様な矛盾は気持ち悪くて迷惑だった。

その後しばらくして精神科に厄介になるようになった私に対し、なおも父は「いつも大切に思っている」と言い続けていたものの、「本当に私のことを思っているならとどめを刺して殺してくれないか」と頼んでからは、時々母経由で数万円渡してくるだけで姿を見せることも無くなった。
お金がおさめられた封筒には必ず「体には気をつけて、パパより」とかいていて、あれだけのことがあったのに健気に家族愛を信じ続けている父を思うと本当に、もうやめてほしいと感じる。



感情も愛も私にとっては重荷で、出来れば関わらず・向けられずに生きていきたい。とはいえ時々孤独と虚無感でどうしようもなくなることもあって。
どうしたら良いのか自分でも分からないし、もがいても同じことを繰り返して、毎回絶望する。


どうにか出来るのか。
どうにも出来ない気もする。



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