どうでもよくなったあの日。




最近、引っ越したいなーと思ってるんですけど、
お金が全然たまらないんですよねー。
だれかお金貸してくれる人いないかなー。
貸してくれなくてもいいです。
くれるってのでもいいです。
しょうがないけど。






なんだか色んな人間を見て、どうでもよくなったなと。

どうでもいいってのをもっと言うと、

「自分さえわかって、やっていればいいのか。」

って思考になりました。

まあ、あきらめってやつなんですかね。


こんな思考にいつからかなっていて。
そんな日々を繰り返していると、やっぱり身についていくもので。

他人になにかを望まないし、
まず自分でどうにかするし、
周りがどう言おうが自分が正しいと思うことをするし。

なんか、昔の自分より強くなっていました。


こうなるまでに、やっぱり多くの物を捨ててきたし、
割り切ること、自分の現在の立場も気にしてきたし。

なんだかんだ、楽しいことばかりじゃなかったし。


苦労話とか冷めるタイプなので、
あんまりそうはとらえてほしくないんですが、

過去を振り返ると、自分で考えて、どうしたらいいか反省して、
うまく立ち回ってきて。
八方美人どころか、十六方美人でした。
十六方美人です。
いや、十六方美男か。


中学の時、僕はクラスメイトからちょっとひどい扱いを受けてました。
いじめって言葉は強いし、もっとひどいことをされている人はいると思うから、こういう言い方にします。

元々、クラスでいじめられていた子がいて、
僕もその子がいじめられているのを傍観して、
勝手にうれしがってると思って、加担してました。

でもそれがどんどん過激になっていって、
それに違和感を感じた僕は、
その子と二人で一緒にいるようになりました。

一応言っておきますが、褒めてほしいとか1ミリも思ってないんで、
こいつ最初はいじめに加担してたのかよ。
クソ人間じゃん。
そう思ってください。


まあ色々ありました。
体育祭では後ろから、怪我しない程度の小石を投げられたり。
いつしか標的は僕になり、
トイレの個室に閉じ込められたり、
休み時間の勉強中に机の周りを囲まれたり。
そんな日々を過ごし、精神的にも参ってきました。
夜、お風呂で泣きながら、死んだほうが楽だろうなと考えたり。
他のクラスメイトにもいじめられている人はいて。
自分が弱いから、助けてあげることもできなくて。


結局、なんやかんやあって、中学は卒業し、高校に進学したんですが、
そこからは、全部自分でどうにかしようとやってきました。



過去の自分にも、今苦しんでいる人にも届いてほしい。

君は何も悪くない。とは言い切れない。
いじめられてる子を救えなかったこと。
ちょっとした出来心で悪事をはたらいたこと。
自分にとっては正義でも、
色んな行動が、周りの人にとっては許されないこともあります。
十字架を背負って生きるからこそ、
もうこれ以上背負わないように生きていける。
失われた時間は戻ってこないから、
今の、これからの時間を楽しむ。
十字架を背負える人間は強いですから。
安心してください。
明日をまた戦えるように。
ともに十字架を背負い、支えあいながら。




結局、中学時代最初にいじめられていた子と、高校時代に会ったんですが、
彼は何も気にしていませんでした。
それが何を意味していたかは分かりません。

いまだに、僕は人生が、社会が何なのかわかりません。
分かんないままでいい気もしてます。
そうもいかないときもあるので、
十六方美男として、今日も社会を生き抜いていきます。





今日もお疲れさまでした!
明日も一緒に頑張りましょう!

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