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なつかしい景色

 二〇一七年に担当していたY氏は、二〇一九年に八十九歳になった。町からすこし離れた場所の、急な坂を上がりきったところに自宅があり、インターフォンを鳴らすと「入って」と元気な声が聞こえる。加齢による筋力の低下に加えて、もともと持っていた疾患(悪性の腫瘍)のせいで、一人暮らしが難しくなりつつある。歩行器を使ってゆっくりトイレまで移動したり、台所に立って調理したり、洗濯物を干したりしながら維持する「日常」がゆっくりとほころび、少しずつ崩れていく。
 介護サービスは利用しているし、ヘルパーさんとの関係も良いけれど、離れたところに住んでいる息子さんが「『もしも』ということもあるし、施設に入ったほうがいい」と言うことが増えた。急に具合が悪くなったときや、何かあったとき、今の状況では危険が大きい。そのために住まいを安全なところへ変えればいい。自分の家の近くに有料の老人ホームがあり、そこに住むと頻繁に会える。今、住んでいる木造の二階建ては、立派なつくりではあるけれど、不便な場所にあるし、何より広すぎる。ほととぎす、秋明菊、女郎花、ミヤコワスレの花が咲く庭も、手入れに手間がかかる。

「施設、決めてきたって言われてん」
「息子さんに?」
七月に訪問したとき、Y氏はベッドに座って、わたしに言った。
「そう。息子は、わたしに煩わされるのが嫌やねん。何かあったとき、呼び出されたり、緊急の時に対応したりすること、それに、老人の一人暮らしやから『何か』あるんちゃうか、と思ったりしてるねん。火事とかやな。隣の人に迷惑をかける、ってことやな。わたしは、ほんまは、この家、息子に住んでほしかってん」
「息子さんに?」
「そう。だから、帰ってくるのを待っててん。でも、あかんみたいやな」
エアコンでひんやり冷えた部屋の中で、Y氏は話しだすと止まらない。部屋の窓から見る外は、明るい真昼の光できらきらしている。庭に茂った木の葉がつややかだ。高台から町の様子……住宅の様子が見える。
 
 わたしは集中して話を聞いた。Y氏が幼かったころのこと。むかし、九州にいた時に、同い年の子どもとたくさん遊んだこと、戦時中、動物がいなくなった動物園で走り回ったこと、父親の会社の社宅でも、同い年の子どもとたくさん遊んだこと(赤ちゃんを抱いている若いお母さんたちがいた)。少し成長して娘になると、母親がきれいな布でワンピースを仕立ててくれた(モノクロームの写真の中で微笑むY氏が見える)こと、結婚してから移り住んだ家のこと……語る言葉のむこうに、わたしの知らない風景が浮かび上がる。元気で、ギンガムチェックのワンピースを着た若い娘が走っている。あたたかく、ずっしりした赤ちゃんを抱えたり、庭の花を切ったり、買い物かごを下げて田んぼの道を歩いたりしている。お姑さんのお世話をしている後ろ姿も見える。子どもが大きくなってからは、電車に乗って、働きに行く、仕事が終わったあとは、きびきびと歩いて帰りの夕食の材料を買う。目が回るほど忙しく、いろいろな出来事があった過去は、今となってはすべてがぼやけて、何もかもがなつかしい。手を伸ばせば届きそうな思い出も、かつての記憶も、今、ここ、このベッドに座っていると、ずいぶん遠くなってしまった。

 黙ったまま、Y氏の言葉に耳を傾けていると、声と言葉が、わたしに「自分ではない、他者の思い出」の記憶を連れてくる。Y氏の思い出と、わたしの喚起した映像は別のものだけれど、少しだけ似ている。わたしはY氏の言葉の中で、わたし自身の思い出を思いだす。小さな子どもの時に、砂場で遊んだこと、池をのぞきこんで魚をみつめたこと。ブランコを勢いよくこいだこと。ひょっとしたら、わたしの思い出のどこかに、動物園で走り回っていた子どもや、ワンピースを着た娘がいたかもしれない。後ろ姿にむかって「待って!」と声をかけたいけれど、何も言えない。
どこにでもある、どこにいっても見つけられない、大きな夕日の赤い光の中で遠ざかる後ろ姿は、いつもとても懐かしい。
「息子が言うこともわかるけど、『施設』って簡単に言わんといてほしかったなあ。聞いてほしかってん。わたしの考えてたこと」
Y氏は、わたしの顔をちらっとみて、窓の外に目をやった。 

 Y氏の家を出て、職場にもどり、仕事を終えて帰宅しても、Y氏が語った話と、話を聞きながら見た景色を覚えていた。その後、Y氏が体調を崩し、入院して、病院よりも息子さんのところよりも、施設よりももっと遠い所へ行ってからも、ときどき、Y氏の思い出の景色のことを考えた。夕暮れの赤い空、夏の夜の星、やわらかな雪の降る冬の空のむこう、満開の桜の花の影のそば……。どこにでもある、どこにいっても見つけられない場所で見る、なつかしい景色のこと。