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どこにもない時

以前勤めていた仕事場では、自動車に乗って移動することが多かった。範囲は職場のある市内がほとんどだったけれど、他市に行くこともときどきある。ある時、自宅のすぐ近くを通ることがあった。わたしは軽自動車を家の前に止めて、家に入ってみることにした。
 平日の午後、鍵を開けて家に入ると、今朝ばたばたと出勤していった玄関先にスリッパがあり、廊下や部屋は薄暗く、空気はひんやりとしている。なじんだ匂いはするけれど、自分の家ではなくて、他人の家のように思えた。誰もいなくて、静かだからかもしれない。台所で冷蔵庫を開けると、冷たい白い光が目に沁みる。奥に残っていたいちごのヨーグルトを取りだして、キッチンにもたれて立ったまま食べた。口の中に甘さとつめたさが広がるけれど、やはり落ち着かない感じがして、他人の家にしのびこみ、勝手に物を食べているような気がする。食べ終わり、スプーンを洗って、自動車に乗って職場へ戻った。誰にも知られない時間に、誰もいない家で息抜きをするつもりが、どういうわけかうまくいかなかった。
 自分の行動については誰にも言わなかった、職場の人にも、家族にも言わずにいた。

 後になって、ときどき、誰もいない家でヨーグルトを食べたことを思いだし、同時にあの時の不思議な感覚について思いだす。なじんだ場所が、よそよそしく、知らない場所に思えたこと。思いだすときにはいつも「時間の流れの中の、句読点みたいな時だな」と考える。もしくは泡。ゆったり静かに流れる川の中に、突然あらわれて水面にぽこっとあらわれる泡だ。「裂け目」ともいえるかもしれない。一定方向に流れる時間の中に、ぴりっとできた裂け目。

「裂け目」については、もっと生々しい感覚を伴う出来事があった。

 わたしは仕事で、なじみのない場所にある病院へ行くことになっていた。電車で移動し、さらにバスで二十分移動する。バス停は病院を少し過ぎたところにあって、降りるとすぐにわかる。受話器の向こうでクライエントはそう説明した。「大きな白い病院です。嫌でも目につきます」。バスに乗ってしばらくしてから、方向を間違えたことに気づいた。しまった、と思って次のバス停で降りようとしたけれど、渋滞しているせいでなかなか動かない。乗客の吐く息でうすく曇ったバスの窓から外を見ると、古い総合病院が見えた。あの病院かな? ガラスの自動扉の向こう側に、受付のカウンターと患者たちが見える。古い病院でよく見かける、こげ茶色のビニールの、ぺったりとした椅子もはっきり見えた。椅子に見覚えのある、こげ茶と紺のチェックの上着を着て座っている男性がいた。あっ! と思った瞬間、バスはすっと動き、通り過ぎてしまう。
 バス停を下りて、急いでさっきの病院へ向かうと、男性はいなかった。名前を確認すると、目的の病院と異なっている。結局わたしは方向を間違えたうえ、病院の名前も間違え、行くはずの病院へは三十分遅れて到着した。 
 仕事を終え、ぐったり疲れてバスに揺られながら、わたしは、さっきの古い総合病院で見かけた、こげ茶と紺のチェックの上着を着ていた男性のことを考えていた。たぶん、あの人は、ずいぶん前に亡くなったわたしの父親だった……。

 あの時、父親がいる! と思った瞬間にあの病院へ移動できれば「父のいる世界」にもどれたのかもしれない。そんなはずはない……と理解していても、この世界には、別の世界や時間に続く道「句読点」「泡」「裂け目」があるのかもしれない、と思うことをやめられない。冷たいヨーグルトを食べていた時間、父を認識した瞬間、ときには誰かと会って別れたあと、一人でエレベーターに乗っている時間や、華やかなパーティーを抜けてトイレの鏡で自分を見るときに。どこかで、このタイミングをうまくとらえることができたら、懐かしい世界や、別の世界に行けるかもしれない! 今とは違うどこかに行って、自分ではない誰かになれるかもしれない……。

 でも、あたりまえのように続く時間の中で、ふいに我に返るときに、別の世界や時間に続く道があらわれるのだとしても、そこに行くことは叶わないのだろうと思う。わたしはたぶん、そこに至る可能性のことばかり考えて、わたしと、わたしを包む時間の中で、立ちすくむだけなのだろうと思う。闇夜に光る星が瞬いて見えるように、わたしのいる時間と、別の時間を結びつける句読点は、きらきら輝いて、とても遠いところにある。