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三年ぶりの花火を見て

 昨夜、花火を見た。

 田んぼの畔から見えた花火は、人家の峯までスッと昇り、雲間の一点で炸裂し、咲かせた火花で藍空を飾る。残響は鼓膜と内臓を通り、背にした山々へ吸い込まれると、静寂の間隙を縫うように、夜風が松虫の声を運ぶ。乾いた目を閉じ内省すれば、皺の伸ばされた童心と、それに基づく様々な記憶が、水晶体を無視して貫き、脳裏に当時の風景を映した。
 
 暫くの感慨に触れた後、五感の帰服が瞼を開く。過去と現在の焦点が寄り合い、ピタりと重なった視界の先で、スマホを空に向けているのは、幼稚園以来の友人だった。彼とは四年ぶりの再会で、この町では今日、三年ぶりに花火が上がった。
 
 数年前のある日、急激な変化を強いられた社会を前に、当然のように続くとされている日常など、いとも容易く瓦解することを目の当たりにした僕は、人や物、情勢や環境、どれを欠いても再現不可能なこの瞬間に存在できているということが、ひとつの奇跡であると確信した。

 隣りにいる友人も、雨が降らなかったこの町も、地球の物理法則に従い上がる火球も、何ひとつとして、あたりまえではないのだ。それらの全てが絶妙なバランスで、互いを互いたらしめながら、夏夜の一画を描いている。

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