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島宇宙の未来はwow,wow,wow,wow

柴那典『ヒットの崩壊』(講談社現代新書、2016年)

やたらに長い生放送の音楽番組が増えた。

紅白見ても知らない人ばかり。

オリコンのランキングはAKBとEXILEだらけ。

周りで夏にフェスに行く人が増えた―

そんな経験はありませんか?2000年代(とくに、ゼロ年代の後半)以降、日本の音楽シーンは地殻変動を起こしています。それは、かつて経験したことのないような大きなパラダイムシフトであり、現在もその変動は継続中なのです。

本書は、小室哲哉など音楽関係者へのインタビューなどをもとにして、90年代から本書が執筆された2016年までのJ-POPを取り巻く動向を丁寧に追いかけたルポルタージュです。

私も世代的に90年代のCDバブルを体感しています。毎週のようにミリオンヒットが生まれ、3週連続CD発売ですべてミリオン達成、などということが珍しくもありませんでした。

この時代をけん引した大立者の一人、小室哲哉のインタビューは大変印象的でした。

CMでも、ドラマの主題歌でも、地上波のテレビに流れることで、楽曲をみんなに浸透させることができた(中略)何千万人が一気にそれを聴く。そこからCDが売れて、それがチャート1位になって、また注目を浴びる。(p,39f.)

確かに、90年代ってこんな感じで馬鹿みたいにCD売れてましたね。本書でも触れられてますが、月9のタイアップ曲とか、CMタイアップとか、日本人がみんな同じ方向を向いて、同じ音楽を聴く、そんな時代でした。

しかし、社会の変化と技術の進歩がCDを取り巻く環境を変えていきます。技術面では、iTunesを始めとした音楽配信サービスの登場がCDを購入するという枠組みを大きく変えていきます。音楽配信の形もダウンロードから、現在はサブスクが標準となっています。この間、わずかに10年足らず。

音楽を聴く環境が激変したことに伴い、聴衆が音楽に求めるものも変質してきました。90年代、CDは所有するモノであり、楽曲をカラオケで歌って楽しむ、という消費のされ方が一般的でした。誰もが同じ音楽番組―Mステ、HEY!HEY!HEY!Music Champなど―を見て売れているアーティストの話題で盛り上がる。ある世代以上の方には覚えのある光景だと思います。

先ほどの小室哲哉のインタビューにあったように、この時代、音楽はタイアップという形でリスナーに刷り込まれ、CDの爆発的な販売につながっていましたが、それは音楽が一過性のブームで消費されつくされることの裏返しでもありました。しかし、多くの世代が共通してある楽曲を「ヒット曲」として共有する体験ができたわけです。

宮台真司の「島宇宙」論が94年に出てきたのが示唆的ですが、ヒット曲が続々と生まれていた時代、社会は静かに「ヒット曲」を不要にする枠組みへの変質を始めていたのです。インターネットの発達という技術的な理由だけではなく、社会全体が統一性への指向を放棄し始めたのでした。音楽シーンでいうと宇多田ヒカルの登場が象徴的でした。彼女の登場は単なるヒットチャート上の主役の交代ではなく、聴衆が音楽に求めるものが分断されつつあった時代の転換点を象徴するものだったのです。

社会が「大きな物語」を喪失し、クラスター化して分断されていく中で、それまで有効だった「ヒットの方程式」は通じなくなります。CDを買ってもらい、カラオケで歌われることを前提にしたJ-POPの中で、当時の宇多田ヒカルの立ち位置は特殊でした。特段のタイアップもなく、素人がカラオケで歌うには難解を極める「Automatic」はそれまでの方程式を覆して売れたのです。

ゼロ年代に入ると、次第にCDの売り上げ全体が失速を始めます。2008年ごろからはオリコン上位がAKBにより「ハッキング」され、オリコンチャートがヒット曲の指標として機能不全を起こしていきました。

モノ消費からコト消費へ―

マーケティングでよく言われるこのテーゼが、音楽シーンにも当てはまります。CDというモノを消費するのではなく、今、ここでしかできないコトを消費者は音楽に求め始めました。それが、昨今のフェスやライブ市場の拡大を支えています。

ヒットの崩壊―それは、島宇宙化した社会における必然であり、国民すべてが、いや、人の欲望を欲望する形で生み出されていたヒット曲が不要になってしまったことの裏返しでした。本書は2016年の執筆ですので、本論はここで閉じられています。

しかし、昨年、私たちは「ヒット曲」を手にしました。そう、米津玄師の『パプリカ』です。(あいみょんはヒット曲というには惜しかった。)連日あの子供たちの声を耳にして、老若男女がある共通の曲を口ずさむという光景を目にしたのは久しぶりではありませんでしたか?

ヒット曲が失われた現代において、米津玄師はたぶん意識的に「ヒットの法則」を使ったのだと思います。馴染みやすく、歌いやすいメロディー(よなぬき音階使ってますしね)。そして、なによりNHKのタイアップと露出の多さ。テレビの力が相対化された現在、かつての月9の役割を果たすのはNHKしかないという米津玄師の目の付け所はすごいと思います。

人は世に連れ、世は歌に連れ―

島宇宙化した社会の果てで、僕たちはフェスで今だけの時間を共有し、データとしての音楽をサブスクでとっかえひっかえ消費しています。カルチュラル・スタディーズを持ち出すまでもなく、音楽は間違いなく、社会を分析する有力なツールです。作者の論自体に特段の目新しさはありません。しかし、J-POPをめぐる現状についてなんとなく「そうなんだろうな」と思っていたモヤモヤを、きっちりと根拠立てて論じており、納得できる運びでした。

冒頭にあげたいくつかの疑問も、この本ではすべてすっきり説明されていました。J-POP(この概念自体も、特徴的な概念であることが述べられています。)の今と、未来を語る上では必読の一冊でした。

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