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実朝—王者の孤独、果ての「冷え」

 中野孝次『実朝考―ホモ・レリギオーズスの文学』(講談社文芸文庫、2000年)

 鶴岡八幡宮の大銀杏が台風で倒れたのは、もう十年も前のことでした。十年と言えばひと昔。ニュースで聞いたときは大変残念な気持ちになったのを覚えていますが、一昔前のことなんですね。切り株から生えたひこばえも少しは大きくなったことでしょう。
 
 鶴岡八幡宮といえば源氏累代の尊崇を集めた神社です。拝殿に至る大階段で源家三代将軍実朝は公暁に暗殺されました。時に建保七年(1219年)1月27日、実朝26歳(数え年28歳)のことでした。

 実朝については、様々な論考や小説があります。本書もそのうちの一つですが、小林秀雄の『実朝』、太宰治の『右大将實朝』などが有名なところでしょうか。文学や歴史学の専門の研究を含めると枚挙にいとまがありません。斯くまでに我々の心をとらえている実朝はいったい何を思い、26年の生涯を駆けていったのでしょう。

 源頼朝による鎌倉幕府の創設は、初めから波乱含みであり、内部抗争の連続でした。2022年の大河ドラマ『鎌倉殿の13人』でも描かれるでしょうが、鎌倉時代の初期は歴史上まれに見る陰謀の時代といえます。頼朝が征夷大将軍に任じられたのが1192年(建久3年)ですが、その翌年に、頼朝は異母弟の源範頼を追放し、殺害しています。1199年(正治元年)に頼朝が死去していますが、一説には暗殺ではないかともいわれています。同じ年、有力御家人であった梶原景時が他の御家人たちから弾劾され追放、翌年、一族郎党が攻め滅ぼされてしまいます。

 頼朝死後の将軍位をめぐっても暗闘が続きます。城一族による建仁の乱(1201年)が起きたり、頼朝の弟、阿野全成が謀反の疑いをかけられ殺害されたりしています。18歳で二代将軍に就任した頼家さえ、就任後わずか一年にして、母親である北条政子らにより修善寺に幽閉、のちに殺害されます。北条氏は自らの権力を確立するため、比企氏や畠山氏といった有力後家人の一族を次々に滅ぼしていきます。鎌倉幕府の正史である「吾妻鏡」には、「族滅」という言葉が頻出し、まさに北条氏以外の有力氏族は一族悉く潰えていったのです。

 血で血を洗う抗争を間近に見て育ったのが源氏三代目の将軍、実朝です。実朝自身、祖父である北条時政に暗殺されかかっています(牧の方事件)。想像を絶する環境で育った実朝は、いつか来るものではなく、必ず来るものとして「死」を感じていたのかもしれません。もしかすると、生きている実感さえもなかったのではないでしょうか。

 自分はいつか用済みになって殺される。そして、そのいつかは遠い先のことではなく、明日、いや、今夜のことかもしれない。想像を絶する孤独と絶望です。

 実朝の一般的なイメージというと、源氏という武門の棟梁にありながら、都の雅に憧れた文弱の貴公子、と言ったところでしょうか。最近の研究では、実朝は政治をしっかりと行っていたという説もありますし、いや、病気のためやはり実権はなかったのではないかという説もあるようです。しかし、上記のような環境で育った人間にとって、この世のことなどどうでもよかったのではないかと思います。立川談志風に言えば、生きることは所詮死ぬまでの暇つぶし、という思いがあったのかもしれません。

 実朝の歌集『金槐和歌集』に、「雪中待人(ひとをまつ)」と題した歌があります。

けふも又 ひとりながめて暮れにけり たのめぬ宿の庭の白雪

今日もまた、あなたのことを思いながら一人物思いにふけっているうちに日も暮れしまいました。あなたが来てくれる約束なんて何もないこの宿の庭の雪を、ただ眺めているばかり。(筆者訳)

金槐和歌集の「冬部」に収められていますが、版によっては「恋の部」に収められた一首です。確かに、上記のように訳すと、女性視点の恋の歌のようにも見えます。

しかし、次のように訳してみるとどうでしょうか。

今日もまた、鬱鬱と、あれこれともの思いをしているうちに日が暮れてしまった。誰か来てくれる約束もないこの宿で、ただ庭に雪だけが積もっている(筆者訳) 

いかがでしょうか(ずいぶんな意訳になっているかもしれませんが…)実朝から2世紀の時を経た室町時代、心敬が『ささめごと』に記した「言わぬ所に心をかけ、冷え寂びたるかたを悟り知れとなり。境に入りはてたる人の句は、この風情のみなるべし。」という「冷え寂び」の原点を感じるような一首です。

千利休が大成するに至る日本の美意識の一つ「侘び」。その源流には藤原定家らの新古今和歌集があったわけで、定家に師事した実朝の歌にも新古今らしい「冷え」が見られるのは至極当然かもしれません。それでもなお、実朝の和歌には絶対的な絶望や孤独の影が見え隠れしていて、単なる「冷え」の美意識の表出にとどまらないように思えます。

実朝にちらつく「死」の影、本書の作者も戦争に送られようとする青年期を過ごしており、まさに実朝同様に死を身近に感じていたそうです。

実朝の絶対的な絶望感は、どこかハイデガーの「死への投企」を思わせます。もし実朝がハイデガーの思想に触れることができたなら、深く共感していたかもしれません。人間は死を前にして孤独な存在であることをつきつけられる。ハイデガーはそう喝破したわけですが、実朝は体感していたのです。死は身近どころか、今日にでもやってくるものだと。王であるはずの自分は、所詮誰かの駒に過ぎず、誰も自分の周りにはいないのだと。哲学書の中の言葉ではなく、日々感じる現実だったはずです。

ハイデガーと千利休。なんの接点も無いように見えて、源実朝という一人の若者の中に、思想の源流があるような気がしました。

周知のとおり、実朝は自らの運命を受け入れるかのように甥の公暁に暗殺され、頼朝の血筋、いや、河内源氏という「ウヂ」の血は断絶します。「ウヂ」から「イエ」が生まれつつあった中世にあって、北条家という「イエ」が、源氏という「ウヂ」を圧倒したという事実もまた興味深いものがあります。

新しい時代の思想的源流となり、古い時代の終わりを告げた実朝という人物は、これからも多くの創造的ヒントを与えてくれそうです。

うつゝとも 夢ともしらぬ世にしあれば 有りとてありと 頼むべき身か



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