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自分にできることって何だろうって考えるときっていつだろう?

余裕があるかないか問題

「自分探しの旅」とか、「やりたいこと探し」っていう言葉があるとおもうのですが。

これって自分のことを考えられる余裕がある時に出てくる言葉だと思うんですよね。そうでもないか?もう何もかも違う!って思うときとかもあるか。

とにかく、今自分がしていることから目を背けたり、視点を変えようって思えるときに、考えることだと思うんですよね。

今の自分に余裕がないと、「なにができるか」ではなくて、「なにをするべきか」とか「どれから終わらせるか」とかの思考になるわけです。

つまり、自分の時間を持てるかどうかがそのまま自分というものを考えウr時間になっているのです。少し例を出して考えてみることにしましょう。

極端な例:Aさん

Aさんは始発で仕事に行き、丸一日働いて、終電で帰るという生活。Aさんは、仕事以外の時間をほとんど食事や睡眠にあてる必要がありますこれでは自分のことを考える余裕などあるでしょうか。

極端な例:Bさん

Bさんは9時から18時までの勤務で、基本残業なし。アフター6も自分の趣味等にあてられるし、朝も少し早起きすれば優雅に過ごすことができます。おいしい食事に、充実した趣味の時間、仕事も充実しているとあれば、大満足ですよね。

充実した日々の中に潜むもの

人間幸せな時ってずっと続いてほしいですよね。でも、永遠を信じないのも人間。充実しているけど、自分のことを考える余裕があると、「このままでいいのか?」「もっとできることがあるのでは?」という考えがおこってくるのではないか……という風に考えたわけです。漠然とした不安、湧き出る承認欲求、そういったものが「自分探しの旅」へと駆り立てるのではないか。

極端な例のAさんは仕事を終わらせることに必死、ただ自分が死なないように食事と睡眠をとって、社会的死を迎えないように最低限の清潔を保って、生活をしていく。果たしてその中に自分は必要なのか。誰かがその中の自分を気遣ってくれるのか。そもそも気遣うほどの価値があるのか。

極端な例のBさんは自分は充実した日々を送ることができて幸せだと思ってるけど、果たしてこのままでいいのか、もっとできることあるんじゃないか、本当にこのままの生活が続くと思う?と自問自答する日々。この中にいるのは自分である必要があるのか。これって実は私以外でもいいのでは?もっと自分を必要としてくれるものがあるかもしれないじゃないか。



いや、偏見の塊かよ。

でも、私がいま考えてることってそういうこと。



今回の私の話

こんなこと話してる私も、仕事の時間以外にこういうことを考える時間が出来たことによって、こういう文章を書き連ねているのであって、まさか仕事中にこんなことを考えているわけではない、絶対。

極端な例:Aさんだった最初の3年

新卒で就職をするにあたり、結構追い詰められた日程でやっと内定をもらった私は、しばらくは仕事を覚えることで精いっぱいでした。そして3年があっという間に過ぎていきました。嫌な思いしたことも喜んでもらえたこともたくさんあったし、何度もやめたくなったけど、自分ができることをやろうと思って頑張ってきた3年でした。

極端な例:Bさんになった異動後の2年

しかし、人員不足という理由で異動した転属先には予想以上に人が入りそのまま過剰人員となり、日々の仕事には余裕が生まれました。それまで見えてこなかったものが見えてきて、「果たして私がここで働くことってメリットある?デメリットしかなくね?」という思考になっていくこと多数。やることは決まっていて、人数が必要より多め、ということで、それぞれが考える「いまやりたいこと」「この先やろうと思っていること」「やる手順」などなどが少しずつ異なり、そのすれ違いから苛立ちが募り、「これわたしいらなくね?めんどくさ。」という考えに至った2年でした。

同じ会社の中で働いて5年過ごして変わった自分の考え

それまで嫌な思いをしてきても「みんな大変だものね、わたしがもっとできるようにならなきゃ。」と思っていたことが、「私じゃない人がやったほうがもっと効率よかったり、私以上の成果を残すのでは?」という考えになっていきました。

私がやることが気に入らないなら、あなたがやればいいのでは?私の優先順位はそこじゃなかったんですけど。

最近ずっと私がこれやってるなあ、みんなは気にならないのかなあ、気になっててもやらないだけかなあ。

少しずつ家に帰ってから仕事のことで嫌な思いをしたことが気になり始めていくのがわかる。仕事の時間以外でも仕事のことを考えているってこういうことじゃないよなあ。

そして転職へと踏み切ったのであった

to be continued …

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