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ひも一筋に生きてきた男たち。

成り立ち

時は1952年、その会社は産声をあげた。
世の中では、国会中継がスタートしたり、
硬貨式の公衆電話がスタートした年でもある。

そんな時代に、森製紐(もりせいちゅう)は創業した。
初代社長は祖父である森登一(といち)。

登一は、兵隊として戦争へ行っていた。
しかし戦うより、達筆が功を奏して
書記のような仕事を任されて生き延び生還した一人。

終戦後は、元いた呉服屋に勤めようと考えていた。
しかし、当時の上官に「今からは繊維業や」と言われ
上官が務めていた会社に就職。

しかしその会社もうまくいかず倒産。
その後独立したのが1952年だった。

父入社

時は過ぎ、1963年、株式会社として設立。
晴れて、森製紐株式会社となる。

その時の世の中は、力道山が刺されて死亡したり、
アメリカのケネディ大統領が暗殺されたりと
少し不穏な空気が漂っていたかもしれない。

森製紐も例外ではなく、売り上げに伸び悩んでいた。
そんな時期、父は、大学を卒業後入社。1967年のことだった。

父は、すぐに東京へ行き、得意先を開拓。社会人経験のない状態で右往左往しながら、時には得意先の人に怒鳴られる事もあったという。
販路拡大、売り上げ拡大するべく孤軍奮闘していた。

しかし、そうは簡単にはいかず、3ヶ月ほどで東京店を閉めることに。
当時の父は「朝起きるのが辛かった。大阪まで帰る道のり、途中の浜名湖を通りながら、このまま飛び込もうか」と何度も考えたという。

起死回生

そんな状況の時に、ある得意先から
「こんなベルト作られへんか?」
と新商品の問い合わせ。

できない、そんな言葉を言う訳にもいかず
協力工場とともにベルトを完成させ納めた。

するとその商品が時代の波とともに
爆発的に流行。それが
「アイビーベルト」だった。

当時アイビールックが流行っていた。
そのファッションにあったベルト
「ファッションベルト」として売れた。

二代目社長就任

その後、ダメな時こそ、新商品を作るという事を身を持って経験した森製紐は、新商品のひも製品の開発に力を入れる。

とは言っても、考えるのはほとんど父だった。
アイデアマンとして森製紐の新商品を開発していった。

★帽子が飛ばないようにするバンド。
★洗濯物が片寄らないようにできる穴あきテープ。
★小さい子が右と左の靴を間違わないように覚えられるバンド。
★ビニール袋が肩掛けバッグにできる持ち手。
などなど。

そんな父が祖父の後を引き継ぎ社長に就任した。
1989年のことだった。
それ以来、協力工場のおかげもあって
さまざまなひも製品を生み出した。
その数は100を超える。

代表的な商品といえば
「結び目のないあやとりひも」

特許がある特殊な接着方法で、1本の紐を輪っかにした。
きっかけは、父の母、つまり祖母の記憶が薄れていく症状を
少しでも留めておきたい、そんな親を思う気持ちからだった。

手を動かす事が脳の活性化に良い、それを信じて祖母にあやとりひもを渡してみたところ、覚えてないと口では言いながらも、手が勝手にあやとりをしだした。

これはすごい、という事で、一人でも多くの方に使って喜んで欲しいという思いから、老人施設や幼児施設に無償で提供するという事も初めていた。

3.11

いまだに揺れを感じると思い出す。
東日本の大震災。とてつもない大災害を日本が経験した。
父は人一倍感受性が豊かで、「なんで自然はこんなむごいことをするんや」

被災された人々を心配し、何かできないだろうか
そういつも考えていた。

そんな時、近所の郵便局のネットワークで支援物資を送るという話を聞いた。そこで、局長に相談し、あやとりひもの支援がはじまった。

その数30000本を超えた。
ある日、大きな郵便が父宛に届いた。

それは、あやとりひもを受け取った被災地のこどもたちからだった。
あやとりをしている絵や写真とともに、いかにも幼稚園らいし
なんとも言えない可愛らしい字で

「もりさん、あやとりありがとうございます」
などとそれはそれは、温かい気持ちのこもったお手紙だった。

父は泣いた。朝礼で社員に報告しながら泣いた。
朝から感動の渦がまいた。

三代目社長就任

それからほどなくして、兄である森真彦が三代目社長として就任した。2016年の事。当時兄は、44歳。ちょうど父が社長に就任した歳と同じだった。おそらく父は同じ頃をひとつの目処にしていたのだろう。

父はワンマン社長だった。なんとか自分が先頭を走って奮闘しなければという責任感と熱い思いがあった。

しかし兄は正反対で、自分がよりは、私たちみんなで一緒にやっていきましょう、そんな性格だった。それまでほとんど父が一人で考えていた新商品も、社員全員で考え出す体制へと少しずつ移ってきた。

おでかけGo!Go!

そんな中ひとつの商品が誕生した。
その名も「おでかけGo!Go!」

まるで電車のつり革のような子ども用持ち手、だ。
世間はコロナ禍で、電車のつり革をもちたくない人が多かった。
しかし、子どもは「電車のつり革」を持ちたがる。

じゃあ、いつでもどこでもつり革が持てたら子どもも喜ぶし
カバンやズボンなどに引っ掛けて使えば、子連れでお出かけのパパママの両手が塞がっていたとしても、子どもに持ってもらえて親も便利では。

そんな毎週行っている新商品開発会議にて社員で生み出した商品だった。
ちょうどその頃から「広報PR」に力をいれるべく、ボクはPRを学んでいた。おかげさまで、発売直後から、さまざまなメディアに掲載された。

メディア掲載

神戸新聞、朝日新聞、日経MJ、ケーブルテレビ、ねとらぼ、Yahooニュース、MBSラジオ、など多くのメディアで掲載された。

そして、一番の反響は「Twitter」でバズった時だった。
るしこさん、という子育て漫画を書いている漫画家さんがいた。

当時、PRの一つとしてSNSの活用も視野にいれ、Twitterも再活用しようとしてた時だった。その時20万いいねと大バズしたツイート漫画をみた。
子育てに疲れたるしこさんが店員さんのやさしさに触れて号泣したという内容だった。

「こんな子育てに悩んでいる方にこそ使って欲しい!」そう思った。すぐにDMで連絡したところ、快諾してくれたので、サンプルを送付。この時はまさかそんな事になるなんて想像もしていなかった。

2.3万いいね!と大反響

ある日「常務、なんか注文めちゃめちゃ入ってます」
とネット担当の社員が言う。

すぐさま、ネットを調べるとあのるしこさんが、おでかけGo!Go!を使用した場面を描いた漫画がツイートされていた。

発見した時点で3000いいね。しかし、みるみるリアルタイムで「いいね数」は跳ね上がっていった。しかもありがたい事に、漫画とともに、オンラインショップの商品URLもツイートしてくれていた。

そのおかげで、注文がしばらく続き、100件以上頂いた。
もちろん在庫がないので、2週間ほど待っていただくお客さまも続出。

子育て漫画描いていたるしこさんのフォロワーさんには、子育てをしている、同じように悩みをもったフォロワーさんが多かった為、共感を産んだのだと分析している。

おでかけGo!Go!その後

その後、商品を気に入ってくださった方のおかで
なんと、有名スポーツチームとのコラボ商品が生まれた。

★サンフレッチェ広島Ver
★千葉ロッテマリーンズVer
★ジュビロ磐田Ver

さらには、
★松坂屋名古屋店で鉄道グッズとの販売
★名古屋で防災イベントのグッズとして販売
というような進化も見せている。

紐を通して社会貢献

最近の推し文句は
「ひも一筋70年続く、大阪のひも製品メーカー」

正確には、仕事内容のほとんどが、
相手先ブランドの完成品作りや、資材そのものだったりする。

自社ブランドの「ひも製品」というのは数は多いが
売り上げを占める割合はまだまだ低い。
しかし、父が社長時代に言っていた言葉が
ぼくにはずっと響いてる。

「紐を通して社会貢献」

「なんで紐なん?」
と言われても正直わからない。

ひもと言えども、いろんな紐がある。
細い巾着袋などに使われたり、靴に使う紐だったり
ベルトのような少し幅がある商品でもひもと言う人はいる。

だからまとめて「ひも」なのだと思う。
世の中の紐という紐を極めて
森製紐というアイデアを掛け合わせて

まだ見ぬ「ひも製品」を生み出していきたい。
そんな森製紐株式会社はイチ推しの会社である。

#推したい会社

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