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これから,noteでできること

noteの画面を開くと,思わず,

ウッとなる...

真っ白な画面に n o t e とだけ書いてあるのだ.

学生時代の夏休みの宿題,読書感想文の書き始めに似ている.
あの夏休み最終日に追い込まれる感じ,思い出す.

いや,このnoteは何を書いてもいいのだ.
そういう気楽なスタンスでいたい.

note面白い

最近,仙腸関節関連のnoteを書いている.
これがなかなか面白い.
意外な発見があるものだ.
先日もnoteを書いていて研究のネタに行きついた.

論文のように形式張ったものではないし,
こうでないといけなというものもない.
査読もないし,
協同著者やラストオーサーもいない...

ただ,自分は大学院で学んでいる身である以上,おかしなことは書かないつもりだ.

名前も出しているし,物好きな方なら,Googleで検索したらFacebookでもResearchmapでも何でもでてくる.特に隠すものもないし,構わない.
ただ,このnoteを指導教官に見られたら,論文かけと言われるだろうが...

いや,これも立派な仕事の一つだと思うようになった.
仕事をしていますというようにしよう.
ちなみに妻は仕事であると思うようになってくれた.ありがたい.

書いた文章には論文をまとめてEndnoteも紐付けているし,そのままレビューに使えるようにしている.

誰かに必要な情報が,ふとした時に届けられるかもしれない.
特に仙腸関節の内容は,認知が広がればいいなと思っている.

なお,所属やこれまでの指導教官の考えとは関係の無い,個人の意見と思って読んでいただければ幸いだ.

noteの良いところ

対話のように書けるところだろうか.
本来,書籍や論文であれば,1文で終わってしまうところが,その背景や経緯など細かく書くことができる.

論文には到底できないような,臨床での考察やこんな研究ネタがあるということも含めてだ.

ただの知識ではあまり意味をなさない.それは権威のある方が何十年もかけて行きついた先に書かれ,編集者や査読者等の目が通った書籍や論文を読んだほうがいい.
なにか一つでいいので,参考になるもしくは,疑問に思う,課題が見つかる,そんなことがあれば,幸いだ.

以前であれば,書籍執筆の依頼が来なければ,書くことさえなかった文章.正確には,書くことは自由にできたが,見られることはなかった文章.
今は,それを自由に発信することができるわけだ.
いい時代だろう.

これをこのnoteに書いていきたいと思う.

noteの値段

教科書的な内容を書くとしたら無料で.
個人の意見や書籍をざっと見た限り記載の無いような内容は有料で書いていきたいと思っている.

「この紙に、絵を描いてくれませんか?」熱望するファンに対して,ピカソがとった行動の逸話?が好きだ.
 "ピカソが30秒で描いた絵に
「100万ドルです」と値を付け,
「えっ,たったの30秒でお描きになったのに」と驚くファンに対して,
「そうです,30年と30秒です」と答える”ものだ.

クリエイターの時間と価値に関して考えさせられるものがある.
今後も考えていきたい.

noteの名前

名前はまだない.
ジャーナル的な位置づけにしたいと思う.

本数が増えたらネーミングしたい.

今後ともどうぞよろしくお願いいたします.

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