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「働く=傍(はた)をラクに」する。 世界の誰かの助けになりたいから、はたらく。 それは、だれから強要されるものではなく、常に自発的なものでありたい。

「公務員辞めるなんて...もったいない」

なんて言われたこともありましたが、地方公務員から、スタートアップに転職して20日が経ちました。毎日が、新しいことばかりで、スピード感が早すぎ、刺激を受けまくり、日々学びまくり、やりたいこと多すぎる、もっと成長したい、そんな戦いの毎日です。

今日は、なぜ働くのか、について、考えてみます。(もちろん、前提として生きるために働く、ということなのですが...。)

そもそも、働くことはいつから始まったのか。
時代ごとに働くことにどんな意味があったのか。
とある文章から引用します。

■古代ギリシャ ~5世紀ごろ:奴隷が行う苦役

■古代・中世のキリスト教世界 5~14世紀ごろ :「神の罰」としての労働。「労働には人間をよくする作用がある」として、祈りや瞑想(めいそう)とともに重要な行いの一つに

■近世のキリスト教世界:15~17世紀 宗教改革を経て「与えられた仕事にできる限り励むことが宗教的使命」という流れが誕生。神の偉大さを証明するための仕事という意味で、「天職」という概念が生まれたのはこの頃。

■近代 18~19世紀:市民革命を経て、政治的平等や経済的自由を手にする時代に。職業倫理が宗教から切り離され、労働の意義が世俗化。仕事・事業は成功者になるための手段。「アメリカンドリーム」の時代が到来。産業革命による大量生産と資本主義が結び付き、多数の賃金労働者が誕生。単調に反復する労働には新たな否定的見方も

■現代 20世紀~:労働者の多くは、企業や官庁など組織に雇われるサラリーパーソンに。組織から言い渡される多少の無理難題を忍耐強くこなす会社員の勤勉さが社会を支える。自己実現や社会貢献の機会であってほしいと願う人たちの増加

日経ビジネスより:https://business.nikkei.com/atcl/forum/19/00028/012700002/

これを読むと、古来労働とは、「苦役」そのものの象徴だったのに対して、現代に近づくにつれて、自己実現や社会貢献の機会、と捉える考え方が主流となってきたということです。

近年は、ネット社会・テクノロジーの普及・進化によって、農作物や自分がつくったモノを直接、日本全国に販売・届けることができたり、ライバーやYouTuberという職業の登場など、組織としてだけではなく、個単位で実施可能な、さまざまな商習慣(新しい労働)が登場しています。

「好きなことで生きていく」という昔のYouTube広告のキャッチコピーに象徴されるように、労働の多様化により、苦役だったはずの労働が、自己実現=働くことが一体化した状態で達成することが、可能な時代となってきました。

個が働く上で、組織に本当に固執する必要があるのか?という点は今後議論の余地がありそうです。

私自身も、1000人規模の大企業、市役所のなかと、組織数社で働いてきた人間です。ほとんどの人が組織の中で働き、無理難題(笑)をこなす日々を過ごしているの知っていますし、私自身もそうでした。

ただ、その無理難題をこなす意味は、本当に「働く=傍(はた)をラクにする」ことに繋がっているのか、やることが目的になっていないか、誰かを助けるという目的を忘れてはいないか、について、改めて振り返ることは必要だと感じます。

自分が関わったプロジェクトで、結果として「うまくいったなあ」というときは、「誰かの役に立ちたい」「これを成し遂げれば多くの人が助かるだろう」という思いが優先され、自分自身のこと(私利私欲)を忘れていることが多いです(おかげで家はぐちゃぐちゃ、片付けもできない状況に一時的になります、朝ごはんも食べないことが多いです)。

残念ながら、(これをやったらきっと誰かから評価されるだろう-ニヤニヤ)の下心状態では、なかなかプロジェクトがうまく行った試しがないのです。(私の場合)

また、圧倒的に優れた結果を出している人を多く見てきましたが、「自分のため」だけに働いている人は誰一人としていなかったような気がします。

没頭領域まで、その仕事(働くこと)に集中できているか。

これを今後の働くうえでの、ひとつ、うまくいかなかった時の、軌道修正の指標とします。

まとめ

働く目的が、自分の心から思い描く私利私欲を越えた未来と一致する時、仕事が「苦役」から、「自己実現や社会貢献」の源泉となり、人生の幸福へとつながっていくのではないでしょうか。

ワークライフバランス、などという言葉もありますが、私は「ワークアズライフ(仕事とプライベートを分けることなく、寝ている時間以外はすべて仕事であり趣味であるという考え方:落合陽一氏提唱)」を採用します。(今のところは)

誰もが働くことを肯定的に捉えられる世の中になったなら、きっと、もっと生産性も上がるし、心が解放されて、ラクに生きれると思うんです。

というか、ハンパではない結果を出してきた皆さまは、すでにそうした働き方をしているから、それをカッコいい、同じように目指したいのなら、じぶん自身もそれに合わせていかないとなあ、という思いなのでした。

そんな日曜日。ゆるりと、しなやかに、淡々と。

Sam

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